第十九話:ギルドへの達成報告
石畳の道を歩く足取りは、行きの時よりも遥かに重く、けれど、その重さは心地よい疲労感と確かな達成感に裏打ちされていた。
西に傾きかけた太陽が、フロンティアの街並みを鮮烈な茜色に染め上げている。家路を急ぐ人々や、一日の労働を終えて酒場へと繰り出す冒険者たちの喧騒が、風に乗って耳に届く。
それは平和な日常の音色であり、これから私が持ち込もうとしている「森の災厄」の証拠とは、あまりにかけ離れた穏やかさだった。
私は背負った革鞄のベルトを握り締め、もう一方の手で背後の氷で作られたソリ――水魔法で摩擦を極限まで減らした包み――を牽引するためのロープを引き直した。
滑り出しは順調だった。私の水魔法による運搬術は、問題なく機能している。だが、問題は重さではない。その中身が放つ、隠しきれない強烈な存在感だ。
「おい、コレット。足が止まっているぞ」
私の足元で、漆黒の毛並みを揺らすベルが不満げに鼻を鳴らした。
彼は夕暮れの街の空気を深く吸い込み、その金と赤の瞳を細めている。
「我の嗅覚は、すでに街の市場から漂うバターの芳醇な香りを捉えているのだ。貴様がぐずぐずしている間に、パン屋が店じまいをしてしまったらどうする?」
「ご安心ください、ベル。パン屋の親父さんには、とびきりの焼き立てを取り置いてくれるよう頼んでありますから。それに、急いで転んで、この『成果』を通りにぶちまけるような事態になったら、それこそお菓子どころの騒ぎではありませんよ」
私は努めて冷静な声で返したが、内心では緊張の糸が張り詰めていた。
今、私が引きずっているのは、ただの獣肉ではない。
数時間前、ギルドの掲示板から剥ぎ取った「緊急依頼」のターゲット。森の食物連鎖の上位に君臨し、猛毒の尾と鋼鉄の爪を持つ魔獣、マンティコアの素材なのだ。
一方的な蹂躙劇の末に手に入れたこの素材は、ベルにとっては「珍味」であり「高値で売れる金蔓」でしかないかもしれない。しかし、一般市民や他の冒険者にとっては、遭遇=死を意味する恐怖の象徴そのものである。
「ふん、小心者め。たかだかマンティコア一匹の残骸で、何をそこまで警戒する必要がある」
ベルは呆れたように髭を震わせた。
「あの程度の雑魚、我の前では羽虫と変わらん。むしろ、綺麗に解体してやったのだから、人間どもは感謝してひれ伏すべきだろう」
「その『羽虫』が、街一つを壊滅させる災害級の魔獣として恐れられていることを、どうかお忘れなく」
私はため息交じりに釘を刺した。
私たちは依頼を受けて出発した。つまり、ギルドの人間は、私たちがマンティコア討伐に向かったことを知っている。
Fランクの少女と猫が、Sランク相当の依頼を受け、五体満足で、しかもこれほどの短時間で戻ってきた。
その事実が、どれほどの波紋を呼ぶか。想像するだけで胃が痛くなる。
「行きますよ。目立たないように……というのは無理でしょうが、堂々と振る舞いましょう」
私はフードを目深に被り直し、自分の表情を隠した。
街の大通りを避け、人気のない路地裏を選んで進む。
すれ違う野良犬たちが、私の背後の荷物から漂う微かな威圧感に怯え、尻尾を巻いて逃げ出して行くのが見えた。
動物の本能は正直だ。死してなお、マンティコアの放つ捕食者のオーラは消えていないらしい。
冒険者ギルドの建物が見えてきた。
夕刻ということもあり、建物からは地響きのような活気が漏れ聞こえてくる。
入り口の扉が開くたびに、紫煙と酒の匂い、そして男たちの粗野な笑い声が吐き出される。
私は覚悟を決め、その熱気の渦へと足を踏み入れた。
カラン、とドアベルが鳴る。
一歩、中へ入った瞬間。
入り口付近にいた数人の冒険者がこちらを振り向き――そして、動きを止めた。
「……おい、あれ」
「ああ、間違いない。昼間に赤い依頼書を持ってった、あの『掃除屋』の嬢ちゃんだ」
「戻ってきたのか? まさか、怖気づいて逃げ帰ってきたんじゃ……」
「いや、見ろよ。あのデカい荷物」
ひそひそとした囁き声が、さざ波のように広がっていく。
彼らの視線は、まず私の無事な姿を捉え、次に足元の黒猫に留まり、最後に背後の大きな荷物へと注がれる。
その目に浮かぶのは、侮蔑ではない。奇妙な違和感と、信じられないものを見るような困惑だった。
私は彼らの視線を無視し、いつものカウンターへと直進した。
床板がミシミシと悲鳴を上げる。
カウンターの中には、昼間に依頼を受理してくれた赤毛の受付嬢がいた。彼女は山積みの書類と格闘していたが、私の姿を認めると、羽ペンを落としそうなほど目を見開いた。
「……コレットちゃん!? あ、あんた、無事だったの!?」
彼女の声は裏返っていた。
歓迎というよりは、死者が蘇ったのを見たような反応だ。
やはり、彼女の中では、私は「無謀な自殺志願者」として処理されていたらしい。
「ええ、なんとか。足の速さには自信がありますから」
私は荷物をカウンターの前の床に下ろし、軽く息を整えてから、懐から依頼書の控えを取り出した。
そして、それをカウンターの上に滑らせる。
「緊急依頼『猛毒のマンティコア討伐』。完了しましたので、報告に参りました」
「か、完了……? 嘘でしょ……?」
受付嬢は絶句し、私の顔と、背後の荷物を交互に見比べた。
周囲の冒険者たちも、私の言葉を聞き逃さなかったらしい。
ざわめきが、どよめきへと変わる。
「おい聞いたか? 完了って言ったぞ」
「馬鹿な。出ていってからまだ数時間だぞ? 森の深部までの往復だけで終わる時間だ」
「マンティコアだぞ? 遭遇しただけで全滅の危機だってのに」
疑いの視線が集中する。
当然の反応だ。
私は苦笑しながら、包みの結び目に手をかけた。
百の言葉を並べるよりも、一つの証拠を見せる方が早い。
「確認をお願いします。討伐部位の証明として、毒針を含む尾と、討伐の証となる魔石、それから素材の一部を持ち帰りました」
私は分厚い布を、一気に開いた。
一瞬、空気が凍りついた。
そこに現れたのは、見紛うことなき「森の災厄」の一部だった。
艶やかな光沢を放つ、赤褐色の甲殻に覆われた太い尾。
その先端には、今にも致死性の猛毒を滴らせそうな、鋭利な毒針が備わっている。
さらに、獅子のような金色のたてがみの一部と、鋼鉄すら切り裂くであろう鉤爪。
そして、きれいに血抜き処理をされた、上質な赤身肉の塊。
「…………っ!?」
受付嬢が、音にならない悲鳴を上げて後ずさった。
椅子が倒れる音が、静まり返ったギルド内に響き渡る。
「こ、これは……本物……」
彼女は震える手で拡大鏡を取り出し、恐る恐る素材に近づいた。
プロの目つきに変わる。
「信じられない……。毒針に傷ひとつないわ。普通、戦闘になれば暴れ回って、針が折れるか、毒液でボロボロになるはずなのに。まるで、眠っている間に切り取ったみたいに綺麗……」
「ま、魔法で動きを止めた隙に、相棒が急所を突きましたので」
私はさらりと嘘を吐いた。
実際には「急所を突いた」どころか「首をねじ切った」のだが、結果は同じだ。
ベルはカウンターの上に飛び乗り、騒ぐ人間たちを見下ろして「やかましい」と一喝するかのように大きな欠伸をした。
「おい嘘だろ!? 本当にやりやがった!」
「あんな小娘と猫が……どうやって!?」
「いや、見ろ。あの肉、完璧に処理されてやがる。熟練の解体屋でもここまで綺麗にはできねえぞ」
驚愕、恐怖、そして畏怖。
無数の感情がない交ぜになった視線が、私とベルに突き刺さる。
もはや、私たちを「洗濯係」と笑う者は一人もいなかった。
「……コレットちゃん。これ、本当に二人だけで?」
受付嬢が汗を拭いながら尋ねる。
その問いに答える前に、奥の扉が荒々しく開かれた。
「騒がしいぞ! 何事だ!」
現れたのは、熊のような巨漢だった。
顔には無数の古傷が走り、白髪交じりの髪を無造作になでつけている。
冒険者ギルド、フロンティア支部のギルドマスターだ。
彼は大股でカウンターに近づくと、床に置かれたマンティコアの素材を食い入るように見つめ、次に私を睨みつけた。
「……お前か。赤い紙を持っていった命知らずは」
彼の眼光は鋭く、歴戦の猛者特有の威圧感を放っている。
だが、私は怯まなかった。
「お久しぶりです。では、改めてご挨拶を。私はコレットと申します」
私はスカートの裾をつまむ代わりに、シャツの裾を軽く引いてカーテシーのような礼をした。
ギルドマスターは目を丸くし、豪快に鼻を鳴らした。
「おいおい、ここは戦場帰りの荒くれ者が集まる場所だぞ。そんな上品な挨拶が通用すると思ってんのか?」
「場所がどこであれ、礼節は人としての基本ですから」
「……へっ、言うじゃねえか」
彼は口元を歪めて笑うと、私の足元――ベルへと視線を移した。
その瞬間、ギルドマスターの表情から笑みが消え、頬がピクリと引きつったのを私は見逃さなかった。
彼は前回の「キラーベア騒動」の際、ベルから放たれた殺気を、骨の髄まで記憶しているのだ。
「……そうか。やっぱり、お前らか」
彼は納得したように頷き、奥の部屋を案内するよう指さした。
「ここは騒がしすぎる。詳しい報告は奥で聞かせてもらおうか。……その『相棒』様も連れてきな」
彼の視線には、以前のような「たかが猫」という油断は微塵もない。
猛獣の檻に入る前のような、張り詰めた緊張感が漂っていた。
私はベルを抱き上げ、ギルドマスターの後に続いて奥の部屋へと入った。
重厚な扉が閉められ、外の喧騒が遮断される。
部屋の中は、質実剛健な執務室といった風情だった。
ギルドマスターは椅子にどかりと腰を下ろし、私に前の椅子を勧めた。
彼と向かい合うと、ギルドマスターは深い溜息をつき、頭をガシガシと掻いた。
「さて、コレット。お前さんがこれを持ち込んだってことは、そういうことなんだな?」
彼の言葉は短いが、そこには全てが含まれていた。
私がただの薬草採りなどではなく、規格外の力を持つ「相棒」と共に、Sランク級の魔獣を狩ったという事実の確認だ。
「はい。依頼通り、マンティコアを討伐いたしました。これが魔石と、討伐部位です」
私は淡々と事実を述べた。
ギルドマスターは机の上で指を組み、私をじっと見据えた。
「俺はこれでも、長年冒険者をやってきたんだ。素材を見れば、どういう戦いだったかくらいは想像がつく。……あのマンティコア、暴れた形跡がまるでねえ。毒針も無傷、毛皮にも焦げ跡ひとつない。魔法で動きを封じて急所を突いたって言ってたが、そんな生易しいもんじゃねえな」
彼は鋭い眼光を、私の膝の上で欠伸をしているベルに向けた。
「一撃だろ? それも、相手に何もさせずに、瞬きする間に終わらせた。……違うか?」
図星だった。
さすがはギルドマスター。伊達にこの荒くれ者の街を束ねていない。
私が答えに窮していると、ベルが片目を開けてギルドマスターを見返した。
金と赤の瞳が、妖しく輝く。
「……なんだ、人間。我がそんなに気になるか?」
ベルが口を開いた。
人の言葉で。
ギルドマスターの肩がビクリと跳ね、椅子がガタリと音を立てた。
知ってはいても、やはり猫が流暢に喋るという現実は、彼の常識を揺さぶるらしい。
「キラーベアの時もそうだったが、お前のその猫……いや、相棒は、なんでまた、マンティコアの依頼を受けたんだ?」
ギルドマスターは冷や汗を拭いながら、努めて平静を装った。
「あれの尾の肉は弾力があって美味い。毒袋を取り出すのが面倒だがな」
ベルは事もなげに言った。
ギルドマスターは呆気にとられた顔をしていたが、やがて乾いた笑い声を漏らした。
「ハッ、とんだ美食家様だ。マンティコアを食うために狩ったってのか」
「ええ。肉の味が気になったそうです」
私が補足すると、ギルドマスターは机の引き出しから革袋を取り出した。
ジャラリ、と重い音がする。
「まあいい。理由が食欲だろうが何だろうが、ギルドにとっちゃ、依頼が達成されて、良質な素材が手に入ればそれでいいんだ。それに、あのマンティコアは最近街道近くに出没しててな、被害が出る前に片付いて助かったってのが本音だ」
彼は革袋を私の前に放った。
「今回の報酬だ。依頼金の金貨50枚に、素材の買取金を上乗せしといたぞ。締めて金貨65枚だ」
金貨65枚。
それは、平民が十年は遊んで暮らせるだけの大金だ。
私が一瞬息を呑むと、ギルドマスターはニヤリと笑った。
「驚いたか? だが、それだけの価値があるもんだ。毒針だけでも、王都にいる魔法使いが研究するために、喉から手が出るほど欲しがる代物だからな」
私は革袋を手に取り、その重みを確かめた。
これで、ベルの食費も、家具代も、当面は心配しなくて済む。
しかし、タダでこれだけの大金を渡すほど、この男がお人好しだとも思えなかった。
「……高額な報酬、感謝いたします。ですが、これだけの厚遇には、何か条件があるのでは?」
私が問うと、ギルドマスターは満足げに頷いた。
「話が早くて助かるぜ。条件は二つだ」
彼は指を二本立てた。
「一つ、これからも良質な素材が手に入ったら、優先的にうちのギルドに卸すこと。王都の商人に直接流したりするなよ。この街の経済を回すためにもな」
「承知いたしました。私としても、遠くへ売りに行く手間が省けるのは助かります」
「二つ目。……これが重要だ」
ギルドマスターは声を潜め、真剣な眼差しを向けた。
「お前らが森で何をしようが構わん。マンティコアを狩ろうが、ドラゴンを落とそうがな。だが、街の中では大人しくしてくれ。……特に、その『相棒』様のご機嫌を損ねないようにな」
彼は顎でベルを指した。
前回の威圧で、彼はベルがどれほど危険な存在か骨身に沁みている。
もし街中でベルが暴れ出せば、フロンティアなど一夜にして灰になるかもしれない。
ギルドマスターにとって、私はベルという災害を制御しようとしており、同時に街に利益をもたらす「益獣」にしようという魂胆なのだ。
「分かりました。彼には美味しい食事と快適な寝床を与えて、機嫌良く過ごしてもらうよう努めます」
「頼むぜ、本当に」
ギルドマスターは心底安堵したように息を吐いた。
「それと、表の連中には適当に言っとく。お前さんが変に崇められたり、逆に妬まれたりしねえようにな」
「お気遣い、痛み入ります」
私は深く頭を下げた。
私の正体を暴こうとせず、ベルを危険視して排除しようともせず、あくまでビジネスパートナーとして利益を共有し、隠蔽工作まで手伝ってくれる。
それは、私たちが最も望んでいた関係性だった。
詮索されない自由。
それこそが、何よりの報酬だ。
「話は決まりだな。これからも頼むぜ、嬢ちゃん。……いや、『掃除屋』のコレット」
ギルドマスターは豪快に笑い、商談は成立した。
ギルドを出ると、すっかり夜の帳が下りていた。
だが、懐の重みと、心の軽さは比べるべくもない。
私は夜風に吹かれながら、隣を歩くベルに話しかけた。
「やりましたね、ベル。大金星ですよ」
「ふん、当然の結果だ。我の力を安売りしてやったのだからな」
ベルは鼻を高くし、誇らしげに尻尾を立てている。
その足取りは、行きよりもずっと軽やかだ。
「さあ、約束だぞコレット。市場へ行くぞ。あの店が開いているうちに、ありったけの菓子と肉を買い占めるのだ!」
「ええ、今日は特別です。王様のために、最高の晩餐を用意しましょう」
私たちは夜の市場へと繰り出した。




