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追放令嬢が拾った伝説の魔獣は、食いしん坊な黒猫でした。 ~「不敬だぞ!」と怒る最強魔獣を、ご飯とブラッシングで完全攻略しました~  作者: 速水静香
第四章:美食への渇望

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第十七話:赤い依頼書

 フロンティアの街を覆う空気は、いつ訪れても変わらない熱量を含んでいる。

 無骨な丸太と石で組まれた建物が並ぶ大通りには、一攫千金を夢見る冒険者や、彼ら相手に商売をする商人たちの叫び声が飛び交い、鉄を打つハンマーの音や馬車の車輪が土を噛む音が、絶え間ない背景音となって鼓膜を揺らす。

 漂ってくるのは、焼けた肉の脂っこい匂いと、安酒のツンとする酸味、そして乾いた土埃の香り。

 王都の洗練された、しかしどこか空々しい香水の香りとは対極にある、生きるための渇望がそのまま形になったような生活臭だ。


 私は麻のフードを目深に被り直し、視線を足元の相棒へと向けた。

 ベルは私の歩調に合わせて優雅に歩いているが、その尻尾は期待に揺れ、鼻先は忙しなく左右に動いている。どうやら、通りに並ぶ屋台から流れてくる様々な食材の匂いを吟味しているらしい。


「ベル、寄り道はしませんよ。まずはギルドです」


「分かっている。だが、情報収集も王の務めだ。あの串焼き屋、昨日よりもタレの焦げ具合が良い。帰りに寄るぞ」


「……稼ぎ次第ですね」


 私たちは人混みを縫うように進み、街の中心にある広場へと出た。

 そこには、一際大きな石造りの建物が鎮座している。入り口の上には、剣と盾が交差した意匠の看板が掲げられ、風雨に晒された木材が年季を感じさせる。

 冒険者ギルド。

 この街の経済と防衛の要であり、荒くれ者たちの社交場でもある場所だ。


 重厚な木製の扉を押し開ける。

 途端に、内部の熱気と喧騒が、物理的な圧力を持って押し寄せてきた。

 昼間だというのに、ホールには多くの冒険者がたむろしている。依頼の相談をする者、昼食を摂る者、昼間から酒を煽って管を巻く者。

 その混沌とした空気の中へ、私は足を踏み入れた。


 ザワッ……。


 入り口に近い席にいた数人が、私、いや、私の足元にいる黒猫に気づき、会話を止めた。

 昨日の「ギルドマスター恫喝事件」――あるいは「喋る猫事件」と言った方が正しいか――を目撃した者たちだろうか。彼らは気まずそうに目を逸らすか、あるいは小声で隣の仲間に何かを耳打ちしている。

 だが、ギルド全体で見れば、私たちの存在はまだ「小奇麗な格好をしたFランクの小娘とペット」という認識が大半だ。

 奥の方からは、相変わらず下品な笑い声や、ジョッキをぶつけ合う音が響いている。


「ふん、相変わらず騒々しい場所だ。品性というものが欠片も感じられん」


 ベルが呆れたように鼻を鳴らした。

 幸い、今の喧騒のおかげで、彼が人の言葉を話したことに気づく者は周囲にいなかった。


「目的のものはあそこです」


 私はホールの壁一面に設置された、依頼掲示板へと向かった。

 そこには、無数の依頼書が所狭しと貼り付けられている。

 羊皮紙の色によって難易度が分けられており、誰でも受けられる雑用や採取依頼は白や緑、戦闘を伴う討伐依頼は黄色や赤で示されている。

 私は迷わず、緑色の紙が密集しているエリアへと視線を走らせた。


「ええと……『薬草の選別』、『街道の整備』、『商店の倉庫整理』……」


 どれも安全で、堅実な仕事だ。

 しかし、報酬は銅貨や小銀貨ばかり。

 昨夜の計算では、私が目指す「快適な住環境」と「美食生活」を維持するためには、金貨単位の収入が必要となる。これらの依頼を百回こなしても、ベルが望む羽毛布団には届かない。


(……やはり、数をこなすしかないでしょうか。地道にコツコツと積み上げるのも、嫌いではありませんが)


 私が効率的なスケジューリングを脳内で組み立てようとしていた、その時だった。


 ビリッ!


 乾いた音がして、私の視界の端で何かが舞った。

 見ると、ベルが掲示板に飛びつき、前足の爪で一枚の依頼書を豪快に引き剥がしていた。

 彼が着地と同時に口に咥えていたのは、緑色ではない。

 警告色である、毒々しい赤色の紙だった。


「……ベル? それは何ですか?」


 私が問いかけると、ベルは依頼書を私の足元に置き、得意げに前足でトントンと叩いた。


「これだ、コレット。これを受けろ」


 私は屈み込み、その紙を拾い上げた。

 そこに描かれていたのは、素人が描いたにしては特徴を捉えすぎている、禍々しい怪物のイラストだった。

 ライオンのような筋骨隆々の胴体。

 コウモリのような皮膜の翼。

 そして、尻尾の先にはサソリのような巨大な毒針がついている。


『緊急依頼:猛毒のマンティコア討伐』

『場所:還らずの森・深部』

『推奨ランク:S』

『報酬:金貨50枚』


 金貨50枚。

 私の目が、その数字に釘付けになった。

 これがあれば、家具を一新するどころか、向こう数ヶ月分の高級食材を確保してもお釣りがくる。

 しかし、対象はマンティコアだ。

 王城の図書室で読んだ魔物図鑑の知識が、警鐘を鳴らす。

 合成獣の一種であり、高い知能と残虐性を併せ持つ。特に尾の毒は猛烈で、一滴で大人の男性を死に至らしめるという。空からの強襲と、遠距離からの毒針攻撃。熟練の冒険者パーティーでも全滅のリスクがある、森の災厄だ。


「……ベル。これはマンティコアです。猛毒を持っていますよ」


「毒? ふん、調味料のようなものだ。熱を通せば消える。それに、毒が回る前に首をねじ切れば問題ない」


 ベルは事もなげに言った。

 周囲の冒険者たちが、私たちの会話を聞いてギョッとした顔をしている。


「しかし…」


「コレット、それにマンティコアの尾の肉は弾力があって美味いと聞いたことがあるのだ。それに、あの翼……壁に飾れば、王の住処としての格が上がるだろう」


 Fランクの小娘と猫が、Sランク級の依頼の前で「美味しいかどうか」「翼を飾る」などと議論しているのだ。狂気以外の何物でもないだろう。


 しかし、私には確信があった。

 この不遜な王様にとって、マンティコアなど散歩のついでに拾う小石程度のものでしかないと。


 ベルの思考は、常に「食」と「益」に直結している。

 毒のリスクよりも、味覚への探求心が勝っているのだ。


「おいおい、冗談だろ嬢ちゃん」


 背後から、呆れたような声がかかった。

 振り返ると、薄汚れた革鎧を着た男たちのグループが、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。


「そいつはマンティコアだぞ? Fランクの洗濯係とお猫様が手を出していい相手じゃねえ。死に場所を探してるなら、もっと楽な方法があるぜ?」


「やめとけって。昨日はたまたま熊の死体を拾ったかもしれねえが、今度はそうはいかねえぞ。空から毒針が降ってくるんだ。気づいた時にはあの世行きだ」


 彼らの言葉には、嘲笑が含まれていたが、一応の忠告としての意味合いもあるようだった。常識的に考えれば、彼らの言い分が正しい。

 か弱い少女と猫が挑むには、相手が悪すぎる。


 しかし、ベルにとって彼らの言葉は、王への不敬にあたるらしい。

 金と赤の瞳が、剣呑な光を帯びて男たちを射抜いた。


「……五月蝿い羽虫どもだ」


 低く、地を這うような唸り声。

 それは言葉としては彼らに届かなかったかもしれないが、生物としての「格」の違いを本能に訴えかけるには十分だった。

 男たちの顔から、サッと血の気が引く。

 背筋に冷たいものが走ったのだろう。彼らは引きつった笑みを浮かべたまま、後ずさりをした。


「……行くぞ、コレット。雑音を聞いている時間が惜しい。我の腹は、すでにマンティコアのステーキを受け入れる準備ができているのだ」


 ベルは男たちへの興味を失い、受付カウンターの方へと歩き出した。

 私は小さく溜息をつき、手の中の赤い紙を見た。

 相棒がやる気になっている以上、止めるのは不可能だ。それに、私自身もこの報酬の魅力には抗いがたい。

 毒への対策は、私の水魔法での洗浄でなんとかなるだろうか。

 いや、なんとかなる、と信じるしかない。


「……分かりました。引き受けましょう」


 私は男たちに軽く一礼し、ベルの後を追った。

 受付カウンターには、いつもの赤毛の女性が座っていた。

 彼女は私が差し出した赤い依頼書を見て、目を丸くした。


「……本気? これ、誰が受けるの?」


「私と、相棒です」


 私は足元のベルを指差した。

 受付嬢は眉間に深い皺を刻み、大きな溜息をついた。


「あのねぇ……。昨日のキラーベアの件があるから、アンタらがただ者じゃないってのはなんとなく分かってるわよ。でもね、マンティコアは訳が違うわ。空を飛ぶのよ? 毒もあるのよ?」


「存じています。ですが、森の散策ついでに、少し様子を見てくるだけですので」


 私はにっこりと微笑んで、建前を口にした。


「無理そうなら、すぐに逃げ帰ってきます。足の速さには自信がありますから」


「……はぁ。死んでも知らないわよ。遺書の預かりはないからね」


 彼女は渋々といった様子で、受理の印を押した。

 その目は「無茶な奴らだ」と語っていたが、どこか期待するような光も混じっていた。

 フロンティアの人間は、無謀な挑戦者を笑う一方で、常識を覆す英雄の誕生を心待ちにしている節がある。


「ありがとうございます。では、行って参ります」


 私は依頼書の写しを受け取り、踵を返した。

 背中に突き刺さる冒険者たちの視線を無視して、私たちはギルドを後にした。

 外の空気は、中よりも幾分か澄んでいるように感じられた。

 これから向かうのは死地だが、私の心は不思議と落ち着いていた。

 隣には、最強の捕食者がいる。

 そして、その先には、黄金色のコインと、極上の味わいが待っている。

 それだけで、足を前に進める理由は十分だった。


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