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追放令嬢が拾った伝説の魔獣は、食いしん坊な黒猫でした。 ~「不敬だぞ!」と怒る最強魔獣を、ご飯とブラッシングで完全攻略しました~  作者: 速水静香
第三章:フロンティアの洗礼

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第十四話:宵闇の市場と串焼き

 夜の帳が下りたフロンティアの街路には、昼間とは異なる静けさと、そこはかとない湿り気が満ちていた。

 ギルドの重厚な扉から離れ、石畳ではなく踏み固められた土の道を歩いていると、靴底を通して伝わってくる冷たさが、火照った思考を心地よく冷ましてくれる。

 頭上を見上げれば、藍色が深まった空に、一番星が鋭い輝きを放っていた。

 私は懐に入れた革袋の感触を、服の上から確かめた。


 ずしりとした質量。

 金属同士が擦れ合う微かな音が、私に安堵をもたらす。

 これは単なる報酬ではない。私たちがこの世界で生きていくための土台であり、選択肢を広げるための鍵だ。

 以前の私なら、夜道で店が開いているかどうかも分からずに歩くことなど、不安でたまらなかっただろう。だが今は、この懐の重みが私に、以前とは異なる種類の落ち着きを与えてくれていた。


「……そろそろ、市場の区画ね」


 私は独り言のように呟いた。

 頭の片隅には、冷静な計算があった。

 太陽はすでに沈んでいる。この街の商店の多くは、日没と共に扉を閉ざすのが常だ。おそらく、お目当ての焼き菓子を売る店も、すでに営業を終えている可能性が高い。

 だが、不思議と焦りはなかった。

 もし閉まっていたとしても、私たちには金貨がある。宿屋で一番高い料理を頼んでもいいし、どこか遅くまで開いている酒場で食事を調達してもいい。

 選択肢があるという事実が、これほどまでに心に余裕をもたらすものだとは知らなかった。

 私の足元を、小さな黒い塊が弾むように進んでいる。


 ベルだ。

 彼の尻尾は垂直に立ち上がり、先端がメトロノームのように左右に揺れている。それは彼の機嫌が最高潮であることを示すサインであり、同時に、これから訪れるはずの「甘美な未来」への期待値の高さを示していた。


「急げ、コレット。我の鼻は、今のところ、芳醇なバターの香りを捉えてはおらぬが、貴様の足取りが遅いせいではないか?」

「ええ、少し急ぎましょうか」


 私はベルの期待を損なわないよう、あえて懸念を口にはしなかった。

 彼がこれほど楽しみにしているのだ。万が一、店が開いていれば儲けものだし、閉まっていたらその時に代案を出せばいい。今の私は、暴食の王の機嫌を損ねずに誘導する術を、多少なりとも心得ているつもりだ。

 私たちは大通りを抜け、商店が軒を連ねる区画へと足を踏み入れた。

 そこには、私の予想通りの光景が広がっていた。

 日用品を売る露店や、朝採れの野菜を並べていた屋台は、すでに商いを終えていた。

 木箱を片付け、分厚い布を被せ、店主たちが忙しなく撤収作業を行っている。

 カンテラの明かりも疎らで、活気はすでに去り、通りには静寂が満ち始めていた。


 やはり、遅かったか。

 私は苦笑しつつ、お目当てのパン屋があるはずの場所へと視線を向けた。

 そこには、冷たく閉ざされた雨戸があった。

 看板は裏返され、『本日は終了しました』という文字が、薄暗がりの中で白く浮かび上がっている。

 窓からは、もはやあの甘い香りは漂ってこない。

 あるのは、祭りのあとのような静けさだけだ。

 私は足を止めた。

 それと同時に、足元を進んでいたベルも、ピタリと動きを止めた。


「……おい」


 地獄の底から這い上がってくるような、低く、戦慄く声。


「コレットよ。これは、どういうことだ」


 ベルは、閉ざされた雨戸を凝視していた。

 その背中から、哀愁というにはあまりに重く、絶望というにはあまりに深いオーラが立ち上っている。

 彼の小さな体が、怒りと悲しみで小刻みに揺れていた。


「……見ての通りです。お店が、閉まっていますね」


「閉まっている? なぜだ。我はまだ、あの甘いクッキーとやらを一枚も食していないぞ。だというのに、なぜ閉まる必要がある?」

「夜ですから。人間は夜になるとお店を閉めて、家に帰って休むのです。それがこの街のルールですよ」

「ふざけるな! 王が所望しているのだぞ! 叩き起こせ! 店主を寝床から引きずり出して、今すぐに窯に火を入れさせろ! さもなくば、この店ごと灰にしてくれる!」


 ベルの毛が逆立ち、パチパチと小さな火花が散った。

 本気だ。

 食い物の恨みは恐ろしいと言うが、伝説の魔獣の食い物の恨みは天災に直結する。

 私は慌てて屈み込み、彼を抱き上げた。


「ダメですよ、ベル。そんなことをしたら、二度と美味しいお菓子が食べられなくなります。それに、無理やり作らせたお菓子なんて、きっと美味しくありません」

「知ったことか! 我の腹時計は、甘味を受け入れるために調整されていたのだ! この行き場のない情熱をどこへぶつければいい!」


 ベルは私の腕の中で暴れた。

 子供のような駄々っ子ぶりだが、その爪は鋭い。服の繊維が悲鳴を上げる。

 私は彼をなだめるのに必死だった。


「明日の朝! 明日の朝一番に来ましょう! そうすれば、焼きたての、一番美味しいクッキーが買えますから!」

「明日だと!? 今この瞬間の空腹は、明日の食事では埋められんのだ!」


 正論だ。

 反論の余地がないほどの正論だが、物理的に店が閉まっている以上、どうしようもない。

 途方に暮れかけたその時だった。

 風向きが変わり、市場の奥から、ある匂いが流れてきた。


 ジュウウゥゥ……。


 脂が炭火に落ちて弾ける音と共に、焦げた醤油と肉の香ばしい匂いが、暴力的に鼻腔を襲撃した。

 それは、洗練された焼き菓子の甘い香りとは対極にある、野性的で、本能を直接揺さぶるような香りだった。

 ピタリ。

 腕の中で暴れていたベルの動きが止まった。

 彼の鼻が、ピクピクと動く。

 金と赤の瞳が、匂いのする方角へと釘付けになる。


「……コレットよ」


 先ほどまでの激情が嘘のように、彼の声は冷静さを取り戻していた。

 いや、冷静というよりは、新たな獲物を見つけた捕食者の集中力に近い。


「なんだ、この匂いは」


 彼が見つめる先には、日用品の店が閉まった後に活気づき始めた、屋台の並びがあった。

 そこだけは煌々と明かりが灯り、白い湯気と煙がもうもうと立ち上っている。

 仕事を終えた労働者たちが集まり、酒を片手に串にかぶりついている姿が見えた。


「串焼きですね。お肉を串に刺して、タレをつけて炭火で焼いたものです」

「……肉か」


 ベルがごくりと喉を鳴らした。

 瞳孔が開いている。

 甘味への執着が、より根源的な肉への渇望へと上書きされていくのが手に取るように分かった。


「知っている。概念としてはな。だが、あの香りはなんだ? ただ肉を焼いただけではない。何やら複雑怪奇な、それでいて脳を痺れさせるような香りがするぞ」

「タレの匂いですね。醤油や砂糖、果物や香草を煮詰めて作った、あのお店秘伝の味でしょう。甘いお菓子とは違いますが、あれも絶品ですよ」

「……秘伝」


 その言葉の響きに、ベルの耳が反応した。


「王として、その『秘伝』とやらを見過ごすわけにはいかんな。……よいだろう。クッキーの件は、明日の朝まで猶予を与えてやる。その代わり」


 彼は私の腕から飛び降り、屋台の方を前足で指し示した。

 その姿は、進軍を命じる将軍のように勇ましい。


「あの串焼きとやらを献上せよ。今すぐにだ」


 私はほっと胸を撫で下ろした。

 どうやら、街が灰になる最悪の事態は回避できたようだ。

 やはり、懐に余裕があるというのは素晴らしい。

 ベルの要求に応えられるだけの財力がある。その事実が、この気難しい王様をコントロールする最大の武器になるのだ。


「分かりました。では、行きましょうか」


 私たちは、煙と活気に満ちた屋台通りへと足を踏み入れた。

 そこは、まさに食の戦場だった。

 鉄板の上では、鶏肉、豚肉、そして様々な内臓肉が所狭しと並べられ、店主が大きな団扇で扇ぐたびに炎が上がり、香ばしい煙が舞い上がる。

 客たちは立ったまま、あるいは簡易な椅子に座って、熱々の串を頬張っている。

 誰もが顔を赤らめ、脂で口元を光らせ、一日の疲れを食で癒やしている。

 上品なマナーなど存在しない。あるのは「食う」という行為への純粋な没頭だけだ。

 私は一軒の屋台の前で足を止めた。

 そこは特に煙がすごく、タレの焦げる匂いが濃厚に漂っていた。

 頑固そうな親父さんが、黙々と串を返している。


「すみません。串焼きをいただけますか?」


 私が声をかけると、親父さんは顔を上げずに答えた。


「へいよ。何にする? 鶏、豚、つくね、皮、レバーがあるよ」


 種類が多い。

 私は足元のベルに視線を送った。

 彼は屋台の最前列、客の足の隙間から、並べられた肉を食い入るように見つめている。

 その目は真剣そのものだ。


「……全部だ」


 ベルが私の脳に直接響くような念を送ってきたわけではないが、その視線が雄弁にそう語っていた。

 金貨を持っている今の私に、躊躇する理由はない。


「では、全種類を一本ずつお願いします。タレで」

「あいよ! 豪勢だねえ、嬢ちゃん」


 親父さんはニヤリと笑い、手際よく串を選んで網の上に並べた。

 ジュッ、という音が響く。

 タレの壺に串をくぐらせ、再び火にかける。

 飴色のタレが熱で泡立ち、肉に絡みついていく様は、見ているだけで唾液が溢れてくる。

 待つこと数分。

 焼き上がった串を受け取り、代金を支払う。

 熱々の串を数本持った私は、人混みの端、少し暗がりになった場所へと移動した。

 ベルが待ちきれない様子で、私の周りをぐるぐると回っている。


「熱いから気をつけてくださいね」


 私は串から鶏肉を一つ外し、ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから、ベルの前に差し出した。

 彼はそれを空中でひったくるように咥え、着地と同時に咀嚼した。


「……んぐっ、はふっ……」


 熱さと旨味が同時に口の中で爆発したらしい。

 彼はハフハフと口を動かしながら、目を細めた。


「……うまい! なんだこれは! 炭火の香ばしさと、肉の脂、そしてこの濃厚なタレの甘辛さ……! 計算され尽くした味だ!」

「気に入りましたか?」

「気に入ったなどという言葉では生ぬるい! これはうまいぞ! 森の生肉では決して味わえない味だ!」


 ベルは興奮気味にまくし立てると、次の肉を要求した。

 私は苦笑しながら、彼に給餌を続けた。

 豚肉のジューシーな脂、つくねのふんわりとした食感、レバーの濃厚なコク。

 次々と変わる味の波状攻撃に、ベルは至福の表情を浮かべている。

 私も一本、豚肉の串を口に運んだ。

 カリッとした表面を噛み破ると、中から熱い肉汁が溢れ出す。

 タレの濃厚な味が、疲れた体に染み渡っていくようだ。


 美味しい。


 上品な宮廷料理とは違う、荒々しくも力強い味。

 これが、生きるための食事だという実感が湧いてくる。

 王城での食事は、常に毒見を済ませ、冷めかけたものを、作法に従って口に運ぶ儀式だった。

 だが、これは違う。

 熱いものを熱いうちに、好きなように食べる。

 その自由さが、味を何倍にも引き立てていた。

 私たちは路地の隅で、二人だけの小さな宴を楽しんだ。

 周囲の喧騒は心地よいBGMとなり、煙の匂いは最高のスパイスとなった。

 ベルが夢中で肉を食べている姿を見ていると、彼が伝説の魔獣であることを忘れてしまいそうになる。

 ただの、食いしん坊な相棒。

 そう思える瞬間が、私は何よりも好きだった。

 だが、そんな穏やかな時間は、唐突に乱されることになった。


「……おい、あれ」


 背後から、ひそひそと話す声が聞こえた。

 声のトーンが低い。

 好奇心ではなく、警戒と恐怖を含んだ響き。

 私は食べる手を止めず、耳だけをそちらに向けた。


「あの猫、昼間ギルドにいた……」

「ああ、間違いない。あの黒い毛並み、オッドアイ……」

「ギルドマスターを脅したっていう、あの『化け物』か?」


 私は背筋が冷たくなるのを感じた。

 振り返らなくても分かる。

 声の主は、冒険者たちだ。

 昼間、ギルドでベルが放った殺気を目の当たりにした者たちだろう。

 彼らの視線は、屋台の明かりに照らされた私とベルに突き刺さっている。

 彼らにとって、目の前の光景は「猫に餌をやる少女」ではない。

 「災害級の魔獣に、生贄の肉を捧げている契約者」に見えているはずだ。

 私はフードを深く被り直し、ベルに小声で告げた。


「ベル、食べ終わったらすぐに行きますよ」

「む? なぜだ。まだレバーが残っているぞ」

「見られています。面倒ごとは避けたいでしょう?」


 ベルは肉を飲み込み、ゆっくりと顔を上げた。

 口の周りをタレで汚したまま、その金と赤の瞳が、声のした方向を射抜く。

 そこには、数人の武装した男たちが立っていた。

 革鎧を着た中堅どころの冒険者たちだ。

 彼らはベルと目が合った瞬間、ビクリと肩を震わせ、後ずさった。

 顔色が青ざめている。

 剣の柄に手をかけている者もいるが、その手は小刻みに揺れていて、抜く気配はない。

 恐怖が、彼らを支配している。


「……チッ。またあの羽虫どもか」


 ベルが不愉快そうに鼻を鳴らした。

 彼にとって、食事を邪魔されることは何よりも許しがたい大罪だ。

 その苛立ちが、漏れ出した。


 ズズッ……。


 空気が重くなる。

 昼間のギルドほどではないが、周囲の温度が数度下がったような錯覚を覚える威圧感。

 ベルの足元から、夜の闇よりもさらに濃い気配が滲み出し、不自然に長く伸びた。

 その闇が、ゆらりと揺らめき、まるで鎌首をもたげる蛇のように冒険者たちの方へ向けられる。

 周囲の一般客には気づかれないよう、対象を限定した魔力の放射。


「……ヒッ」


 男の一人が、短い悲鳴を上げた。

 彼らの目には、ただの猫ではなく、その背後にある巨大な闇の捕食者が見えているのだろう。


「見世物ではないぞ。失せろ」


 ベルは口を動かさず、低い唸り声と共に明確な殺意を飛ばした。

 それは言葉としての形を成していなかったが、意味は痛いほど伝わったはずだ。

 『邪魔をするなら、喰らうぞ』と。

 冒険者たちは、弾かれたように踵を返し、逃げ出した。

 転びそうになりながら、人混みの中へと消えていく。

 周囲の客たちは、何が起きたのか分からず、きょとんとしている。

 彼らには、ベルの威圧は感じ取れなかったようだ。


「……やりすぎです、ベル」


 私が咎めると、ベルは残りの肉を串から器用に引き抜きながら、悪びれもせずに答えた。


「我の食事を覗き見るとは、無礼にも程がある。目玉をくり抜かなかっただけ、慈悲深いと思え」

「目立たないようにする約束でしたよね?」

「向こうが勝手に見てきたのだ。我は何もしていない。ただ、王としての品格を示しただけだ」


 彼は最後のひときれを飲み込み、満足げに舌なめずりをした。

 まったく、この相棒は。

 制御不能な爆弾を抱えているようなものだ。

 だが、そのおかげで厄介な連中が寄ってこないのも事実。

 痛し痒し、といったところか。

 串焼きを食べ終えた私たちは、早々に市場を離れることにした。

 布や調味料といった日用品も買いたかったが、すでに多くの店が閉まっているし、これ以上目立つのも得策ではない。

 必要なものは、明日の朝、出発前に揃えればいいだろう。

 今は、温かいベッドが何よりの優先事項だ。

 私は市場を抜け、宿屋が並ぶ通りへと向かった。

 高級な宿は必要ないが、あまりに安すぎる場所も治安が心配だ。

 清潔で、静かならそれでいい。

 目についたのは、『止まり木亭』という看板を掲げた、こぢんまりとした宿だった。

 建物は古いが、窓ガラスは磨かれており、入り口には掃き清められた跡がある。

 私の経験則からして、掃除が行き届いている宿にハズレはない。

 扉を開けると、初老の女性がカウンターに座っていた。

 編み物をしていた手を止め、眼鏡の奥から私を見る。


「いらっしゃい。一名かい?」

「はい。一泊お願いします」

「猫連れかい? うちは構わないけど、布団を汚したら弁償してもらうよ」

「承知しています。躾は行き届いていますので」


 私は腕の中のベルを見せた。

 ベルは空気を読んだのか、それとも満腹で眠いだけなのか、ゴロゴロと頭を擦り付けてきた。


 ……本当に、食えない猫だ。


 銀貨を払い、部屋の鍵を受け取る。

 二階の角部屋。

 階段を上り、部屋に入る。

 中はベッドと小さな机だけのシンプルな作りだが、リネンは清潔で、カビ臭さもない。

 窓を開けると、夜風が入ってきた。

 街の灯りが眼下に広がり、遠くには黒々とした森の輪郭が見える。

 私は荷物を床に下ろし、大きく伸びをした。

 長い一日だった。

 森から出て、素材を売り、威圧し、食事をした。

 体力的には疲れているはずだが、精神的には満たされていた。


「……ふあぁ」


 ベルが私の鞄の上で大あくびをした。

 彼はすでに、自分の寝床を決めたらしい。


「コレットよ。明日はどうする?」

「明日は、朝一番でパン屋さんに行って、約束のクッキーを買います。それから布や調味料を買い足して、森へ戻りましょう」

「うむ。クッキーを忘れるなよ。絶対にだ」

「分かっていますよ」

「ふん、またあの森に逆戻りか。まあよい、あの場所は静かで、昼寝には適している。それに、あのふかふかのクッションとやらも作らせねばならんしな」


 ベルは丸くなり、目を閉じた。

 私もベッドに腰を下ろし、ブーツを脱いだ。

 解放された足指を動かす。

 王都にいた頃は、こんな安宿に泊まることなど想像もできなかった。

 絹のシーツに包まれ、天蓋付きのベッドで眠るのが当たり前だった。

 でも、今の私には、この煎餅布団の方が心地よい。

 自分で稼いだ金で、自分で選んだ場所だからだ。

 私は窓の外を見上げた。

 星が瞬いている。

 明日は晴れるだろう。

 教会に帰ったら、今日買えなかった布を買って、カーテンを縫おう。

 ベルのためのクッションも作ってやろう。

 そんなささやかな計画が、私の胸を温かくした。


「おやすみなさい、ベル」


 返事はなかったが、代わりに規則正しい寝息が聞こえてきた。

 私はランプの火を消し、布団に潜り込んだ。

 闇の中で、街の喧騒が遠くの子守唄のように聞こえていた。



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