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追放令嬢が拾った伝説の魔獣は、食いしん坊な黒猫でした。 ~「不敬だぞ!」と怒る最強魔獣を、ご飯とブラッシングで完全攻略しました~  作者: 速水静香
第三章:フロンティアの洗礼

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第十一話:冒険者ギルド

 朝の光が、水晶の窓を通して礼拝堂の石床に柔らかな幾何学模様を描き出している。

 私はその美しい光景を眺めながら、手元にある現実的な問題と向き合っていた。机の上に並べられたのは、ここ数日の生活で消費された物資の残骸と、これから必要になるであろう品々のリストだ。


 昨夜の入浴は、人間としての尊厳を取り戻すには十分すぎるほどの幸福を与えてくれたし、ベルが獲ってきてくれたウサギのスープは素晴らしかった。けれど、幸福を持続させるには、相応のコストがかかる。

 私は乾燥ベリーが入っていたガラス瓶を手に取った。中を覗き込んでも、転がる音すらしない。完全に空だ。甘酸っぱい風味は、硬いパンを食べる際のささやかな楽しみだったが、それも尽きてしまった。


 森の恵みは豊かだが、森が加工された布地や、調理器具を産出してくれるわけではない。自給自足にも限度がある。ここから先へ進むには、どうしても外部との接触、つまり『経済活動』が必要となる。


「……限界ね」


 私は小さく呟き、脳内で組み立てた買い物リストを指で弾く真似をした。

 これからの季節を乗り切るための厚手の布地、調理の幅を広げるための器具、そして細々とした日用品。

 それらを手に入れるためには、対価が必要だ。

 私は視線を足元に向けた。そこには、朝食の残りの干し肉を不満げに齧り終え、日向ぼっこを決め込んでいる黒い毛玉があった。


「ベル、起きてください。出かけますよ」


 声をかけると、ベルは片耳だけを器用に動かしたが、瞼を開ける気配はない。


「……断る。我は満腹だ。満腹の王がなすべきことは、優雅にまどろむことだけだ」


 その声は、春の日差しのようにとろけている。

 最強の魔獣としての緊張感など微塵もない。ここが彼にとって安全な領域であるという証拠ではあるが、今の私には相棒の力が必要だった。


「残念ですね。街へ行けば、貴方が夢にまで見た『バターたっぷりの焼き菓子』や『柔らかいパン』が手に入るかもしれないのに」


 ピクリ、と黒い尻尾が跳ねた。

 長い髭がアンテナのように震え、金と赤の瞳がカッと見開かれる。

 効果はてきめんだ。


「……菓子、だと?」


「ええ。この近くに冒険者たちが集まる街があるはずです。そこで手持ちの素材を換金して、美味しいものを買いに行こうかと考えています」


 ベルはむくりと起き上がり、前足で顔を洗う仕草をした。その動作の端々から、隠しきれない期待と興奮が滲み出ている。

 彼は美食家を自称するだけあって、食への執着が凄まじい。干し肉と堅焼きパンの生活に不満を漏らしていた彼にとって、おいしい食事への誘惑は抗い難いものなのだろう。


「ふん、まあよい。下僕が一人で人間の巣窟へ乗り込むのは心許ないからな。王たる我が、護衛として付き添ってやらんでもない」


「それは心強いですこと。では、準備をしましょう」


 私はクローゼット代わりの棚から、地味な灰色の布を取り出した。

 これは以前、掃除用にと避けておいたものだが、頭から被れば顔を隠すフード代わりになる。

 王城を追放された身だ。私の顔を知る者はそう多くはないはずだが、念には念を入れる必要がある。特に、この手入れされた金髪と目立つ青い瞳は、辺境の冒険者街では浮いてしまうだろう。

 布を頭に巻き、髪を完全に隠す。鏡はないが、手探りで目元まで深く覆うように調整した。

 服装はいつもの麻のシャツと革ズボン。腰には銀のナイフ。

 背中には、王城から持ち出したあの革鞄を背負う。中身は整理し、空いたスペースを作成する。ここに採取した薬草を入れて、軍資金とする予定だ。


「どうですか?」


 私が問うと、ベルは私の姿を足元から頭頂部までねめ回し、鼻を鳴らした。


「……地味だな。華やかさの欠片もない。まるで墓守か、隠遁した老婆のようだ」


「最高の褒め言葉です。目立たないことが最優先ですから」


 私はブーツの紐をきつく締め直し、教会の扉を開けた。

 湿った森の空気が流れ込んでくる。

 数日前、泥まみれでここに放り出された時とは違う。今の私には帰るべき場所があり、隣には頼もしい相棒がいる。

 私は一歩、外の世界へと踏み出した。



 森の中を歩くこと、数時間。

 道なき道を進んでいるはずだが、不思議と足取りは軽かった。

 頭上を覆う木々の隙間から、木漏れ日が斑模様を描いている。

 時折、小鳥のさえずりや、木々が風に揺れる音が聞こえるだけで、魔獣の気配はない。ベルという食物連鎖の頂点に立つ存在が近くにいるため、本能的に獣たちは姿を隠しているのかもしれない。


「あそこに見える薬草、あれは良いぞ。根ごと持っていけば高く売れるはずだ」


 私の足元を歩くベルが、尻尾で方向を指示する。

 私は言われるがままにナイフを振るい、指定された植物を採取していく。

 彼の知識は驚くほど豊富だった。この森は『還らずの森』と呼ばれ、人間にとっては死地そのものだが、彼にとっては勝手知ったる裏庭のようなものらしい。


「この辺りは数百年変わっておらんな。あの巨木も、我が封印される前はまだ若木だったはずだが」


「数百年ですか。貴方にとっては昼寝くらいの感覚かもしれませんが、人間にとっては途方もない時間ですね」


「人間の一生など、瞬きのようなものだ。だが、貴様らはその短い時間で、せわしなく何かを変えようとする。理解に苦しむ習性だ」


 ベルの言葉には、長命種特有の諦観したものがあった。

 私は土のついた球根を布で拭いながら、ふと思う。

 彼が封印されていた間、世界はどれほど変わったのだろう。国が興り、滅び、また新しい国ができる。その繰り返しの中で、変わらないのはこの森の静けさだけかもしれない。


 やがて、森の空気が変わった。

 濃密な植物の匂いが薄れ、代わりに焚き火の煙や、家畜の糞、そして多くの人間が集まる場所特有の雑多な気配が漂ってきた。

 木々の密度が下がり、視界が開ける。

 遠くに、木材と石を無骨に組み合わせた防壁が見えてきた。

 街だ。

 王都のような洗練された城壁ではない。丸太を組み、隙間を泥で埋めただけの粗野な壁。それでも、魔獣の脅威から人々の生活を守る境界線としては機能しているようだ。


「……あれが、人間の巣窟か」


 ベルが低く唸る。警戒しているようだが、尻尾は期待に揺れている。


「街、と言ってください。ベル、ここからは人目があります。喋らないでくださいね。普通の猫のふりをしていてください」


「ふん、王たる我に演技を強要するか。まあよい、下等生物どもと言葉を交わす趣味はない」


 ベルは私の足元にぴったりと寄り添った。

 傍目には、ペットの猫を連れた旅人にしか見えないはずだ。


 街の入り口には、槍を持った衛兵が二人立っていた。

 彼らの鎧は傷だらけで、王都の近衛兵のような煌びやかさはないが、その瞳には実戦で培われた鋭い光があった。

 私は緊張を押し殺し、努めて自然な歩調で近づいた。


「止まれ。見ない顔だな」


 衛兵の一人が、槍の柄で私の進路を遮った。

 威圧的な態度だが、それは職務上の警戒心からくるもので、悪意は感じられない。


「薬草を売りに来た冒険者です。素材の換金と、補給のために寄らせていただきました」


 私はフードの下から、短く答えた。

 声色を少し低くし、感情を乗せないように意識する。

 衛兵は私の背負った鞄と、腰のナイフを一瞥した。鞄からは、先ほど採取したばかりの薬草の葉が少しはみ出している。


「冒険者か。登録証は?」


「まだ登録しておりません。この街のギルドで手続きをする予定です」


「……ふむ。まあ、この辺りじゃ流れの薬師も珍しくはないか」


 衛兵は私の華奢な体格と、武器が実用的なナイフ一本であることを見て、脅威ではないと判断したらしい。

 彼は槍を引き、顎で街の中を指し示した。


「通っていいぞ。ただし、街中での揉め事はご法度だ。あと、その猫の管理はしっかりな。腹を空かせた野良犬が多いから、食われないように気をつけろよ」


「ご忠告、感謝します」


 私は小さく頭を下げ、街の中へと足を踏み入れた。

 頭上を見上げると、風雨に晒されて文字が掠れた看板が掲げられているのが目に入った。  


『フロンティア』


 この街の名前らしい。未開の地との境界線にあるこの場所に、これほど相応しい名前もないだろう。  

 ベルが足元で「誰が食われるか、愚か者め」と毒づいたのが聞こえたが、私は咳払いでそれを誤魔化した。


 フロンティアの街並みは、私の知る王都とは何もかもが違っていた。

 石畳ではなく、踏み固められた土の道。

 整然と区画整理された貴族街ではなく、必要に応じて増築を重ねたような建物の数々。

 そして何より、匂いが強烈だった。

 鍛冶屋の鉄を打つ匂い、酒場のエールと油の匂い、路地裏から漂う汚物の臭気。それらが混ざり合い、強烈な生活臭となって鼻を突く。

 私は眉をひそめそうになるのを堪え、口元を布で覆った。

 不衛生だ。

 だが、ここには確かに生きようとするエネルギーが渦巻いている。王都の表面的な美しさの下に隠された腐敗とは違う、泥臭くも力強い生命力だ。


 通りを行き交う人々も様々だ。

 巨大な斧を背負った大男、杖をついたローブ姿の老人、走り回る子供たち。

 誰もが自分の生活に忙しく、顔を隠した地味な女一人に関心を払う余裕などないようだ。

 私は安堵しつつ、通りがかりの行商人にギルドの場所を尋ねた。


 教えられた場所は、街の中心部にある広場に面した大きな建物だった。

 入り口には剣と盾が交差した看板が掲げられ、昼間だというのに中からは怒号にも似た喧騒が漏れ聞こえてくる。

 ここが、冒険者ギルド。

 私の新しい身分証明書を手に入れるための場所だ。


 私は鞄のベルトを握り締め、重厚な扉を押し開けた。


 ムワッとした熱気が、顔に吹き付ける。

 中は薄暗く、埃とタバコの煙が層を成して漂っていた。

 無数のテーブルが並び、そこでは武骨な男たちがジョッキを片手に談笑したり、賭け事に興じたりしている。

 扉が開いた瞬間、入り口近くにいた数人の視線が私に向けられた。

 値踏みするような、無遠慮な視線。

 新入りか? 女か? 獲物か?

 そんな下卑た思考が透けて見えるようだ。

 私は彼らの視線を無視し、奥にある受付カウンターへとまっすぐ歩いた。

 床板が軋む音が、心臓の鼓動と重なる。

 けれど、恐怖はない。

 あの森で、巨大な熊の死骸を解体した時の感触に比べれば、酔っ払いの視線など空気のようなものだ。


「いらっしゃい。見ない顔ね」


 カウンターの中にいたのは、赤毛の女性だった。

 年齢は三十代半ばだろうか。目尻には疲労の皺が刻まれているが、その眼差しは鋭く、多くの荒くれ者たちを捌いてきたであろう貫禄がある。


「冒険者の登録をお願いしたいのですが」


 私が告げると、彼女は事務的な手つきで羊皮紙を取り出した。


「登録料は銀貨一枚。読み書きはできる?」


 登録料。

 そういえば、そんなものが必要だったか。

 私は王城を出る際、宝石類は役に立たないと捨ててきてしまったし、手持ちの現金はほとんどない。

 あるのは、採取してきた素材だけだ。


「あの、現金の持ち合わせがなくて……この薬草で支払うことは可能でしょうか?」


 私は鞄から、先ほど採取したばかりの薬草の束を取り出し、カウンターに置いた。

 瑞々しい葉と、鮮やかな色が薄暗いギルド内で際立つ。


 受付の女性は、少し驚いたように眉を上げたが、すぐに慣れた手つきで薬草を検分し始めた。


「……ふん、悪くないわね。根の状態もいいし、葉も傷んでない。これなら登録料分にはなるわ」


「ありがとうございます」


「読み書きは?」


「はい、できます」


 私は渡された羽ペンを手に取り、羊皮紙に向かう。

 名前、年齢、得意な武器、魔法の有無。

 名前の欄に『コレット』とだけ記す。家名は不要だ。

 ペンを走らせる指先には、幼少期から叩き込まれた貴族教育の成果があった。流れるような筆記体。均整の取れた文字配列。

 書き終えて用紙を差し出すと、受付の女性は少し驚いたように眉を上げた。


「……随分と綺麗な字を書くのね。そんじょそこらの学者より達筆だわ」


「昔、少し勉強する機会がありましたので」


「ふうん。まあ、詮索はしないわ。ここには訳ありなんて珍しくもないからね」


 彼女は慣れた様子で用紙を確認し、いくつかの項目にチェックを入れた。

 そして、カウンターの下から薄汚れた水晶のようなものを取り出し、どんと目の前に置いた。


「じゃあ、最後に能力測定よ。そこに手を置いて、魔力を流してちょうだい。得意な魔法があるなら、イメージしながらね」


 魔力測定。

 これが、私の今後を決める試金石となる。

 私は水晶に手を添えた。

 ひんやりとした感触が掌に伝わる。

 深呼吸をして、意識を集中させる。

 私の得意とする魔法。

 それは敵を焼き尽くす炎でも、岩を砕く衝撃でもない。

 対象を包み込み、不要なものを分かち、あるべき清浄な姿へと戻す力。


『清らかなる水よ』


 心の中で唱える。

 水晶の内部で、光が揺らめいた。

 それは激しい閃光ではなく、静かな水面のような、青く澄んだ光だった。

 水晶の表面に、水滴が滲み出してくる。

 ぽつり、ぽつりと生まれた水滴は、互いに引き寄せ合い、やがて水晶全体を薄い水で覆い尽くした。

 そして、水晶に付着していた手垢や埃を巻き込み、さらさらとカウンターの上へと流れ落ちていった。

 後には、新品同様に輝く水晶だけが残された。


 一瞬の静寂。

 受付の女性は、ピカピカになった水晶と、濡れたカウンターを交互に見た。


「……これだけ?」


「はい。水を出し、物を洗うことができます」


 私が淡々と答えると、彼女は大きな溜息をつき、呆れたように肩を竦めた。


「水属性……それも、生活魔法レベルね。攻撃性は皆無。水量もコップ数杯分ってところか」


 彼女の声は大きく、周囲の冒険者たちの耳にも届いていたようだ。

 背後から、どっと笑い声が上がった。


「おいおい、聞いたかよ。洗濯係のお嬢ちゃんの登場だ!」


「水を出すだけなら、俺のションベンの方が勢いがあるぜ!」


「嬢ちゃん、場所を間違えてないか? ここは冒険者ギルドだぜ。メイドの面接会場じゃねえんだよ」


 下品な嘲笑。

 酒臭い息と共に吐き出される、侮蔑の言葉たち。

 ベルが、私の足元で低く唸った。

 彼の体温が急速に上昇し、殺気が溢れ出しているのが分かる。


「……貴様ら、死にたいようだな」


 ベルの囁き声は、地獄の底から響くような冷たさを帯びていた。

 まずい。

 このままでは、彼は本当にここを火の海にしてしまう。

 私はさりげなく屈みこみ、彼の柔らかいお腹を撫でた。

 落ち着いて。大丈夫ですから。

 指先で合図を送る。

 ベルは不満そうに鼻を鳴らしたが、攻撃に移ることは思いとどまってくれたようだ。


「……ランクは最低のFよ」


 受付の女性が、同情とも軽蔑ともつかない眼差しで私に一枚の金属プレートを渡した。

 錆びた鉄のような色をした、薄っぺらい認識票だ。


「悪いことは言わないわ。薬草採取か、街の掃除クエストにしときなさい。魔獣討伐なんて夢見たら、あっという間に死体袋行きよ」


「ご忠告、ありがとうございます。自分の身の丈は理解しておりますので」


 私はプレートを受け取り、首にかけた。

 冷たい金属の感触が、胸元に落ちる。

 Fランク。

 最弱の烙印。

 けれど、私にとっては好都合だった。

 高ランクの冒険者になれば、面倒な依頼を強制されたり、国の争いごとに巻き込まれたりする可能性がある。

 目立たず、侮られ、取るに足らない存在として扱われること。


 それこそが、平穏な生活を守るための最良の隠れ蓑なのだ。


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