第十二章 売るという行為
倉庫に移ってから、
生活は少しだけ落ち着いた。
雨を気にしなくていい。
火の始末に怯えなくていい。
それだけで、
作業は格段に楽になる。
「……ここなら」
エリザが、
棚を拭きながら言った。
「続けられそうですね」
「はい」
レオンは、
それ以上を言わない。
続けられる。
それは、
商売にとって最も重要な条件だった。
机の上に、
小さな容器が並ぶ。
数は、多くない。
「……値段は」
エリザが、
慎重に聞いた。
「いくらに、
しますか」
レオンは、
少し考えた。
材料。
手間。
時間。
そして――
この街の暮らし。
「銅貨一枚」
エリザは、
目を瞬かせた。
「……安く、ありませんか?」
「高いです」
レオンは即答した。
「この街の“いつもの便利”より、
少しだけ」
「ですが」
「壊れません」
売れるかどうかではない。
続くかどうかだ。
最初に買ったのは、
宿屋の女将だった。
「……とうとう、
売る気になったかい」
「はい」
「遅いね」
「はい」
女将は文句を言いながら、
銅貨を置いた。
「……でも」
「これがないと、
仕事にならない」
それで、
十分だった。
次は、
洗濯を請け負っている女だった。
「……これ」
「毎日、
使うからね」
理由は、
生活そのものだった。
誰も、
「欲しい」とは言わない。
「必要だ」
それだけだ。
全員に、
売ったわけではない。
興味本位。
値切り。
転売。
そういう相手には、
エリザが微笑んで言う。
「今日は、
ありません」
理由は、
説明しない。
レオンも、
止めなかった。
「……いいんですか」
「はい」
「使う人に、
行き渡ればいい」
それが、
基準だった。
売るたびに、
エリザは覚えていく。
誰が、
いつ、
どれだけ使うか。
「女将さん、
次は二つ」
「洗濯屋さん、
明日ですね」
帳面は、
まだ簡素だ。
だが――
途切れない。
それが、
変化だった。
夜。
銅貨が、
少し増えている。
大金ではない。
だが、
減らない。
「……売れましたね」
エリザが、
小さく言う。
「はい」
「でも……」
「何か、
違います」
レオンは、
すぐに答えた。
「生活に、
混ざりました」
「それが、
一番強いです」
看板は、
出していない。
店も、
構えていない。
だが――
必要な人は、
場所を知っている。
「……お店がないのに」
エリザが言う。
「お客さんが、
来ますね」
「はい」
「売っているのではなく、
使われています」
倉庫の灯りを落とす前、
エリザは言った。
「……レオン」
「商売って」
「もっと、
強く押すものだと
思っていました」
「はい」
「ですが」
「静かでも、
回ります」
それで、
十分だった。
まだ、
始まったばかりだ。
だが――
この街で、
二人の居場所は、
確かに生まれていた。




