chapter 7 執念
各々のプレイヤーが放り投げた手榴弾やマガジンの類を回収した後に、射撃練習場に戻って反省会が始まった。
他の部員たちは洋介を称えていたが、当の本人は暗い表情をして床に座りこんでいる。肉体的・精神的な徒労感が、彼の体中に気だるさを提供していた。
試合中は無我夢中で意識していなかったが、終わってみると味方を失った責任が自分にあることを感じていた。幸太郎や美穂、梓も何か思うところがあるのか、洋介と同じような表情でしゃがみこんでいる。
「あまり気負う必要は無いですよ」
背後からぬっと現れた泰久が、洋介に言葉をかける。
「……すいません」
「君の責任という訳じゃないでしょう」
そういう泰久の表情も明るくはなかった。
洋介は味方を全滅させ、泰久は特攻。駿はディフェンスが気になって自陣に引き下がる――ダークイーグル戦の時と同じように、何かが上手くいっていない。
「葬式じゃないんだから明るくいこうぜ。練習、それもたった一戦だ」
駿がいつもどおりの笑顔とテンションで部員たちに声をかける。
洋介は駿への、スナイパーへの恐怖心をより高めていた。ダークイーグル戦で駿を倒したプレイヤーは一体どんな腕をしていたのだろうか。スナイパーへの対策は相変わらず思い浮かばず、全員スナイパーのチームが最強ではないだろうかなどと、馬鹿げた考えすら浮かんでくる。
「つーか誰だよ俺になんとかしろとか言ってたヤツは」
寝そべった駿が陰鬱な空気にそぐわない気の抜けた声で話し始める。
「ヨッケはマジで無理。もうやだ。ディフェンダーとアタッカーで何とかしてくれよ。スピードもエイミングも勝負になんねーし、近距離じゃ絶対に無理だっつっただろ。遠距離は遠距離で当たらないしさあ」
なぁ、と洋介の方を向いて同意を求める駿を見返しながら、洋介はどう考えたってそんな事はありえないと思った。仮に試合開始時から洋介だけを狙うつもりで行動したとしたら、駿が洋介の頭を撃ち抜くチャンスは腐るほどあっただろう。
今日の最後だって、洋介は専門のアタッカーにも関わらず、スナイパーの駿に近接戦で負けかけた。狙撃が出来ないのならそれに拘らないという柔軟なスタイルは、味方ならばともかく、敵に回したら最悪だ。
「やめなさい」
返答に困って口をもごもごとさせていた洋介に、秋菜が助け舟を出す。駿は手振りで洋介に謝罪した。
いろいろと試合の反省をするものの、濁った空気はなかなか浄化されない。実体の掴めない敵が射撃場の中に充満しているようだった。
「ディフェンス、何とかならないかな」
三年の女子が呟く。それは個人の技能を非難した言葉ではなかった。幸鳳学園には、明確に「ディフェンダー」というポジションの生徒はいない。泰久の作戦上、プレイヤーはアタッカーとディフェンダーの両方のポジションにいるといってよかった。
だからなのかディフェンスが脆い。人数や配置が運に左右される部分が多く、不安定だった。もちろん、他のチームと同様に防御・攻撃を固定するという配置も試したことがある。しかしアタッカーの動きにディフェンダーがついてこれず、全くもって防御が維持できなかった。加えて洋介や駿のような専門のアタッカー陣は、ディフェンダー崩壊を危惧して強気に攻めていけなかった。
現状のままでは、防御力不足という弱点を確実に突かれるだろう。そうなれば、たとえ相手がダークイーグルでなくても敗北する可能性は濃厚だった。
「ちょっとディフェンス回ってみていいですかね」
いつの間にか立ち上がっていた駿の提案に三年生たちが頷く。ディフェンダーにスナイパーがいるパターンは何回が試したが、駿が直接ディフェンダーに回るのは初めてだ。
「……では、もう一戦いきましょうか」
泰久は繕ったような明るい声でそう言った。
東京都の区部にあるとある射撃場に、銃声が高らかに響き渡っていた。十本ほどの射撃レーンが連なった建物の中は、しかし少し特殊な状況に置かれている。
射撃訓練は集中力を要するもので、通常静かな環境で行うものだが――空気を満たしているのは耳鳴りがしそうなメタルだった。ノリのいいメロディアスな弦楽器の音に、ボーカルの怒鳴り声が乗っている。
おおよそスポーツを練習する場とは思えないが、どうやらいつものことらしく練習している人間は気にしていないようだった。
練習場の壁には、ギタリストやスポーツ選手、銃の写真などが滅茶苦茶に貼られていた。その中央には、黒背景に赤文字で『Dark Eagle』と書かれたフラッグがしなだれている。
練習場内の人数はおよそ十五人といったところだろう。奇妙なことに、射撃訓練用のレンジが余っているのにもかかわらず、半数ほどが訓練をしていて、残りの半数は大声で騒ぎ立てているだけだった。
更にその練習場の端――運動用のマットを敷いた上に、一人の少年がいた。それを見守るようにして、車椅子に乗った少女が鎮座している。さきほどから少年が一心不乱にしていることは腕立て伏せであった。一見すると何の変哲も無い筋力トレーニングに見えて、しかしその行為は重大な異質さを伴っている。
「…………三百八十三、三百八十四………………」
手と手の間隔は広めに取り、肘は限界まで曲げている。体を地面ギリギリまで降ろして、腰は彫像のように真っ直ぐに。尻を上げる事はなく、頭から足先まで一直線を保ち続けるフルストロークの腕立て伏せは、どんなトレーナーがみても百点満点をつけるであろうフォームだった。
少年の目は真剣そのもので、いつもメンバーたちと騒いでいるときの軽薄な笑みはどこにも存在していなかった。ロックのBGMも、メンバーの声も、彼の耳には届いていないように見える。
「四百七……四百八……」
その姿は座禅か、そうでないならば祈りに似ているだろう。
肘を直角に折り曲げる。フルストロークの腕立て伏せは超一流のアスリートでも百回が限度である。二百ができるのならそのままギネス記録を狙いにいってもいいほど筋肉に負荷のかかるそれを、少年はただ一心に続けていた。
「四百三十……四百三十一……」
しかし少年の回数は既に四百半ば。呼吸は荒くなってはいるもののリズムは一切乱れない。なおかつ、近寄れば誰でも聞き取れるようなはっきりした声でカウントを続けていた。
まるでそこになにかの真理を見出したかのように、ただ一心に上下運動を続けていく。
「四百九十九……五百……」
少年――小堀遼太郎は静かに立ち上がり、ボロ雑巾のように使い古された手ぬぐいで汗を拭く。
細い目に、やや荒れた肌。加えて短髪――ぱっと見はいわゆる『不良』というカテゴリーに分類されるような容姿をしていた。身長は百七十センチそこそこというところだが、一つだけ異常なところがある。
圧倒的なまでの筋肉量だ。
せりあがった肩、ボクサーのような二の腕。ジャージの上からでもそのサイズが知れる胸筋――。精錬した鋼のような肉体が、小堀遼太郎という少年がどれだけ努力を――その言葉では言い表せないほどの肉体改造を施してきたかということを容易に伺わせる。
「おつかれ、りょうちゃん」
汗を拭き終わるのを待って傍らの少女が飲料水を渡した。遼太郎は五百ミリリットルのペットボトルを一気に飲み干すと、騒いでいる一団の方を鋭い目で睨み付けた。
「悪いなサチ。面白くもないだろうに」
沙知と呼ばれた少女が明るい笑みを返した。意思の強そうな大きな瞳に静かな光をたたえている。ショートヘアーの両側に、小さな三つ編みが二つ垂れており、個性的なアクセントを添えている。整った顔立ちの下には、大きく形の良い胸が、ブラウスのボタンを飛ばさんとばかりに張っていた。
「ううん。そんなことないよ。……それにしても、まとまらないねえ」
「……まあ、無理だろうな。あいつらにもその気はねえだろ」
ダークイーグルの来歴は少し特殊だった。
当初のコンセプトは「優秀なプレイヤーを引き抜いて作るチーム」だったものの、同じ東京都の『アイスフォックス』や千葉の『煉獄』といったチームに同じようなことをやられたため、また運営母体が貧弱なこともあり、今では野良プレイヤーのたまり場のようなチームになっていた。
遼太郎や沙知が通っている高校にはライトガン部は存在しなかったため、近場でそれなりの力を持っていたダークイーグルに入ったはいいが、独裁的な三年生陣と、一年生とは思えないほどの熟達した技能を持つ遼太郎たちとはうまく融和することができず、東京都大会を目前にして結束できずにいた。
「おい小堀、ポカリ持って来たぞ」
「おう」
太った少年が投げ寄越してきたポカリを受け取って、一気に五百ミリを飲み干した。彼の足元に出来た水溜りを見つけて、少年がぎょっとした顔になる。馬鹿げた量の水は全て、他ならぬ遼太郎の汗だった。
遼太郎はその視線に気づいて、部屋の隅においてあった雑巾で水溜りを拭う。一枚では拭き切れず、もう一枚を使って床を丁寧に掃除した。
「なあ、お前どうしてこのチームに来たんだよ?」
「近場にここしかないし、遠くに行く金もねえ。そんな理由だ」
「うへえ……勿体ねえ」
「ハ……かもな」
遼太郎はそれだけ言うとトレーニングルームの脇においてあったリュックを引っつかむ。
「わり、今日は早上がりするわ」
「はいよ。伝えとくわ」
「おう……サチ、先出ててくれ。着替えてくる」
「はいはーい」
沙知は車椅子を難なく操って射撃場を後にした。その背中を眺めながら目を細めた遼太郎を見て、脇に現れた眼鏡の少年が苦笑いを浮かべる。
「坂上洋介が憎いのかい」
「……憎い、ね。そういう風に見えるか」
「僕だったらそう思うだろうなと、思っただけさ」
「…………わからねえな。この間戦ったらただの雑魚だった」
「なら、そんな雑魚から守れなかったっていう呵責かな」
「俺はお前みたいに頭よかぁねえんだ。即座に言語化するのは、無理だろ」
「そいつは失敬……。今日はあがるんだったね。お疲れ様」
「あぁ」
遼太郎は気のない返事をして、背中を向けたまま手をあげた。そのまま競技場のドアに消えてゆく。
「瞳から、執念の炎を感じるね」
「お前、いちいち言い回しが気持ち悪いな」
「お前には分からないよピザマン」
「分かるさ。夜中に出たゴキブリを追い回すときの俺とかな、たぶんそういう目をしているぜ」
「……おーけー、そういうことにしておこう」
太った少年が胸を張って笑う。一方の眼鏡の少年は、仰々しく肩をすくめてみせた。