chapter 3 始動
練習場は一応学校の敷地内ではあるものの、直線距離で一キロも離れたところに設置されていた。
校舎から離した理由は騒音対策のためだろう。反対派から練習風景が近所の子供の目に入ったら教育上悪影響であるとの意見があったが、まったく見える位置にはなかった。この細道も、周囲に広がる森も、全て学校の所有地であるため学校外部の人間は誰一人としていない。同じ理由で騒音が響くことも無かった。
道の左右に生える木々は、洋介に迫るようにしてその幅を狭めていた。エコ精神と経費節約のため、必要最低限の木しか切っていない。目を左右に広がる山の方へと移す。東京とは思えないほど手付かずな状態の山があり、そのふもとには広い森が展開していた。かなりの時の経過を感じさせる杉の木が鬱蒼と茂っている。
「おおっと!」
好き放題生えている雑草が自転車の輪に絡みつく。バランスを崩してよたよたと走行しながらも、なんとか体勢を立て直した。
さらに一分ほど行くと、小山のふもとにプレハブの建物が幾つか立っているのが見えてきた。
最も大きいものが射撃練習場で、その横幅は百メートルほどあり、港や工場にある倉庫を延長したような建物だった。外から見ると平屋に見えるものの、実際は二階も存在している。白い壁面には美術部がペイントした植物の絵が描かれており、周りに広がる草木と調和を示していた。
洋介は射撃練習場のドアを開ける。十メートルの射撃レーンが十と、二十五メートルレーンが二十ほど設置されている様子は、ボウリング場を想起させる。
出席表で見た通り部員はほぼ全員揃っており、各々練習を始めていた。洋介はきょろきょろと文香の姿を探す。
中央レーンのあたりでノートパソコンを開き、デスクワークに励む小さな少女の姿を見出した。
腕時計をチェックすると若干だが四時を過ぎていた。しかし洋介の時計は五分進んでいるので、恐らくギリギリセーフだろう。洋介はそろそろと背後に回りこんで控えめに少女の肩を叩く。
「はい……って、洋介くん」
振り返って洋介の顔を見るなり、文香は目を細めた。
「洋介くん遅刻」
文香が出席表に罰印をつけるのを、タイム、と言って止めさせる。
「まだギリギリですって」
「このパソコンの時計を疑うの」
文香が先ほどまでいじっていた古いノートパソコンを指差した。トントンとキーボードの端を叩くと、ガタガタのエンターキーがカタカタ鳴った。
「そのパソコン、ネット繋がって無いから手動調整したヤツですよ。絶対ズレてます。遅刻じゃないですって」
「む……。なら誰かに聞いてみよう。その人の時計の結果で」
別に張り合う場面ではなかったが、自信があったので冗談で勝負を買う。
「いいですよ。じゃあ……木下さーん!」
洋介は近くで射撃練習をしていた一年生の少女の名を呼んだ。
「ん? どうしたの、坂上君?」
「時間分かる?」
洋介は木下にそう尋ねながら、文句は無いな、と文香にアイコンタクトを送る。
静かに頷いた文香の前で、木下が携帯電話を取り出す。
「えーっと…………三時五十八分だよ」
「ありがとうございました」
木下に礼を述べてから、洋介は文香の方に振り向いて笑いかける。
「ね?」
「…………ち……」
舌打ちらしき何かが聞こえた気がしたが、洋介は努めて無視をした。
「仲良きことは美しきかな」
側にいた三年生の一人が歩み寄ってくる。振り返ってみれば部長の大崎泰久が弱々しい笑みを浮かべていた。
「そのパソコンもそろそろ買い替え時かもしれませんね」
銀縁眼鏡をかけた泰久は、線の細いインテリといった風体だった。容姿はどこか八十年代後半のアイドルのような古臭さを感じさせ、高校三年生とは思えないような――枯れ木のような哀愁を漂わせている。ジャージを着て、M16を小脇に抱え、腰のベルトにはガバメントというハンドガンを突き刺していた。
そんな彼に先輩の駿が付けたあだ名は『ジャー爺』で、失礼だとは思いつつも、洋介は文句の付け所がないほどマッチしたあだ名だと思っていた。
「悪いな姫様。ヨッケをちょっとばかし遅れさせちまった」
「いえ……」
いつのまにか部室から戻ってきた駿が子供っぽい笑顔で文香に話しかける駿は大あくびをかまして鼻の下を擦ってから、傍らの泰久に向けて口を開いた。
「ジャー爺、新入生は?」
「さっき女子部員が来たのですが……M16を持っただけでお帰りになられました。どうも重いようですね」
辺りを見回しても新入生の姿は見当たらなかった。先週は何度もこのプレハブに案内したものだったが、部活勧誘もさすがにもうお終いということなのだろう。
「みんな大好きなP38でも渡したらいいんじゃないですか」
駿が例示したワルサーP38と言えば、日本では某怪盗アニメの主人公の愛銃ということでかなり名の知れたハンドガンだ。ライトガン部に見学にきたり冷やかしにくる他の部活の生徒なども、やはり知っているからなのかよくP38を試し撃ちしていた。銃への造詣が深い洋介から見てもP38は名銃といえた。
「ハンドガンで打ち合うわけではないですからねえ」
泰久は残念そうな表情でそう言った。他の運動部からは簡単な銃のゲームだと思われている節があるが、実際のライトガンはかなりハードなスポーツだった。ポジションにもよるが、たとえば前衛や狙撃手はメインウェポンを一丁、サブウェポンを一丁、それと手榴弾をいくつかというのが標準的な装備である。メインのアサルトライフルは、差はあるものの一般的には四キログラムほどの重さがある。サブウェポンは一キロ弱、メインとサブの換えの弾倉をあわせると二キロほどだ。その上に銃弾を防御するためのボディアーマーを着込み、体の各部に赤外線センサを装着し、無線機を持つ。装備は十キロを超えることがザラで、その状態で荒れた山道を駆け回ることが要求される。
アタッカー以外は装備が軽いということもない。ディフェンダーの持つ軽機関銃はアサルトライフルより更に重く、筋力とテクニックの両方を要求される。
「あの太った新入生は?」
「やめていきましたよ。サバイバルゲームは強かったらしいので期待していたのですが」
泰久は残念そうな顔をしたが、洋介は仕方のないことだと思った。これまでは、この手の銃を使ったゲームと言えばサバイバルゲームというプラスチック弾を使ったゲームが一般的だった。飛距離はどの銃も一律で五十メートルほどしかなく、また手榴弾というものは存在しなかった。
ライトガンには十メートル以上の広範囲に渡ってダメージを及ぼす手榴弾があるために、それを避けるためにプレイヤーは相当な脚力を要求される。
事実、ライトガン部員の短距離走・長距離走の平均タイムは、陸上部を除けばどの部活の平均スコアより高かった。洋介に至っては、陸上部のインターハイ出場選手と大して変わらないタイムを出している。
「やっぱり華奢な女の子と太めのヤツには厳しいよなあ。それこそゴリナでもない限り、なあ、ヨッケ?」
洋介が口を開くより速く駿の喉にアイアン・クローがめり込んでいた。
「だ、れ、が……ゴリナだって?」
「言ってない言ってない! 仮に言っていたとしてもその対象が瀬谷秋菜であることは明言していない!」
秋菜が手を離す。
「……クソゴリナめ」
よしておけばいいのにといつも思うが、二人はこういう仲だ。秋菜の手がもう一度駿の首を掴む。瀬谷秋菜――駿から「ゴリナ」ないし「ゴリラ」と呼ばれている少女が、今日こそ息の根を止めてやろうとドスを効かせた声で脅しをかける。身長は百八十センチ近くあり、全身がくまなく健康的に日焼けしている。今も四キロのアサルトライフルを平然と肩に担いだ上で、右手一本で駿を圧倒している。その姿は凛としていて隙が無く、まさに戦士と言ったところだった。
騒ぐ駿を中心として新入部員の話を続けているうちに、二・三年生が集まってきた。これ以上の部員増はないだろうと見切りを付け、一年生のポジションなどについて仮調整をしているらしい。取り囲まれるような形になった洋介は逃げ出したい気分だったものの、文香を一人残すのも悪い気がしたのでその場に留まって話に耳を傾ける。身を縮ませていた洋介を見た文香が、自分の隣に置いてあるプロジェクターを床に降ろして、洋介を席に座らせた。
「どうした坂上! そんな恐縮すんなよ!」
「無理に誘わないの」
茶化す駿を秋菜がいさめた。ライトガン部は上下関係が甘く、流れる雰囲気は暑苦しい体育会系のものとは程遠かった。そのためか、他の運動部では良い顔はされないであろう駿の言動や行動も、ライトガン部ではまかり通っていた。
話し合いが進むにつれて、時期も時期だし新入部員の加入も見込めないだろうという結論に近づいていく。
見越した秋菜はさっさと会議から抜け出すと、散らばった一、二年生に招集をかけた。
「集まって―!」
秋菜の声は常人が拡声器を使ったとき以上に大きかった。駿が両手で胸を叩いて見せる。どうやらゴリラの真似らしい。秋菜が振り返った刹那、何事もなかったかのような涼しい顔をして口笛を吹き始めた。
「練習の前にまず何か話がある人がいれば」
集まった一・二年生を輪に加えると、泰久が柔和な口調で質問をする。慣例の質問だが、何か意見が出ることは稀であり、十中八九は駿が下級生にスリーサイズを尋ねて秋菜に殴られるか、駿が男子部員に下ネタを振って秋菜に蹴られるかのどちらかになる。
しかし今日は珍しく文香が手を挙げていた。どうぞ、と言う泰久の言葉に文香が口を開く。
「あの、部長。部活主任の先生が、来月の練習日程をなるべくなら今日中に決めて提出してくださいとのことです」
その言葉を聞いて、泰久がはっとした顔をする。
「忘れていました。いやはや、失敬……どうしましょうか」
静かにそう問う泰久に、しかし誰も応えようとはしない。
洋介は過去の活動日程表を見たことがあったが、ここ三年間は軽微な差はあれど毎月同じような活動を繰り返していた。遠くから通ってきている部員が多いということもあり、基本的に第一、第三の土曜日と、全ての日曜日は部活無しというスケジュールだったが、やろうと思えばやることは可能である。
もっとも、これが先週であれば練習を増やすという発想は生まれなかっただろう。一昨年と去年の全国大会は難なく優勝していたし、今年も同じように優勝するだろうと誰もが思っていたことは間違いない。
その慢心が生んだ緩みなのかは分からないが、幸鳳学園ライトガン部は、先週の練習試合で結成四ヶ月のクラブチームである『ダークイーグル』に完膚なきまで叩きのめされた。
「このままだと都大会はちっとヤバいだろうな」
ボソリとつぶやいた駿はいつになく暗い空気を漂わせていた。
「しょっぱなにライフルを撃たれてよ、もう終わりだと思ったんだけどそれから追撃がなくってさ。その後は最高にウケるぜ。体勢立てなおそうと思って匍匐してたら、ショットガンでズドンだ」
日本最強と名高いスナイパーである鮫嶋駿を討ち取る選手が所属しているという事実。そして銃だけを撃つという挑発にも思えるような戦い方が、ダークイーグルの異常なまでの強さを物語っていた。他にも数名の選手がそれと同じような事を話し始める。非常に正確な射撃で銃本体を撃ち抜かれた。なぜかそれだけで追撃が無いが、その後にショットガンでやられた。
洋介はショットガンというのが引っかかっていた。実際にそれで撃ち倒された自分がいう言葉ではないかもしれない。しかし室内戦ならともかく、野外の戦闘でショットガンを使っているプレイヤーなど百チームに一人もいないだろう。塹壕や密林での強みはあるが、アサルトライフルの有用性を越えるためには異次元の習熟を要求されるからである。
一方であれこれと考えていても仕方がないのも事実だ。ダークイーグルが都内のクラブチームである以上、都大会のどこかで当たることになる可能性は十分にある。仮にダークイーグルが負けるとすれば、それを撃ち破ったチームと戦う事になる。どちらにせよ、今のままでは全国出場すら怪しいだろう。全国への切符は都大会の優勝と準優勝のチームに二枠用意されているが、ダークイーグル以上のチームが現れる可能性も十分にある。
泰久が眼鏡を押し上げながら部員に目配せを送る。三年生にとっては次の全国大会が最後の大会であった。全国二連覇の幸鳳学園が地区予選で敗北というのは良い思い出にはなりえないだろう。
「土曜日と日曜日もやる、という案を出させていただきたいのですが、投票を……」
「別にする必要もないだろ。っつっても強制はナシだ。先輩が言ってるから参加しないととか、そういうのは考えなくていい。出れる奴は出れる範囲で土日も頼む。そういう感じでいいんじゃないか」
三年の服部が言い切った。
「どうでしょうか」
泰久が力強く訪ねる。形の上では疑問形ながらも、その裏には強い断定の意識が見て取れた。
次々と同意の言葉が漏れ、選手たちの首が縦に振られる。
「それでは、僕の方から土日もやると学園側に伝えておきます。さて……では今日は」
「演習から入ろうと思うのですが、どうでしょう」
泰久は静かに、それでいて厳かにそう呼びかける。
部員たちは即座に同意の言葉を返した。
「では、体操の後に実践練習をしましょう。まずは欠点を洗い出しますよ」
広い射撃場の中を、「おー!」とか「よっしゃあ!」とかいう思い思いの掛け声が満たしていた。