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ライトニング・シューター  作者: 黒羽燦
二巻《氷狼の顎門》
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chapter 2 Ultramarine Cloud -群青の雲-

「じゃあ、私日直だから先行くね」

 教室のある階に辿りついた沙知は、微笑みを残して車椅子を押し始めた。沙知の駆る双輪のスピードは、遼太郎が普通に歩いたときのそれを容易に越える。人間を乗せた椅子を腕だけで毎日動かしているのだ。腕の筋力に関しては、ライトガンをやっていた頃よりも増しているといっていいだろう。

 彼女がドアの向こう側に消えたのを見届けて反転し、階段を駆け上がって最上階を目指す。何か用があるわけではない。だだ、空気を――高いところのそれを、無性に吸いたくなったのである。

 辿り着いた屋上前のドア。『立ち入り禁止』と書かれた踊り場の立て看板は蹴り倒されていた。不用心にも半開きになったドアを見て、遼太郎は露骨に顔を顰める。

 どうやら誰かがいるようであった。それも校則など糞喰らえという反骨精神と、それなりに複雑な鍵穴を突破できる解錠技術を伴っている生徒が、だ。

 コンクリートと鉄柵、それに貯水タンクしかないつまらない屋上。だがそこには既に二人の先客がいた。

 一人は鉄柵にもたれかかって空を仰いでおり、もう一人は屋上の隅に備え付けられた机に腰掛けて本を読んでいる。

「よぉ、優等生。サボりか」

 遼太郎の言葉に反応して鉄柵にもたれかかっていた人物が振り向いた。スカートからは黒いストッキングに包まれた細い足が伸びる。ネクタイをだらしなく締め、なぜかワイシャツの襟を立てていた。滅茶苦茶な服装が、可愛らしい顔に反して全体的に小汚い印象を与えている。

 そういうファッションなのか、あるいは何の手入れもしていないのか――外側に跳ね回るミドルヘアーは気だるそうな雰囲気の少女に似つかわしかった。唇から吐息を漏らしていたが、笑っているのかため息をついているのかよく分からない。曖昧な表情を浮かべ、足取り重く遼太郎の方へと近寄ってくる。

「おはよう盟友」

 彼は大仰に腕を広げ、脱力しきったトーンで挨拶をした。いつか彼が「友達がいない」と言っていたことを思い出したが、原因は彼の方にあるだろう。

 アイスフォックスの選抜射手マークスマン――天城秀一その人だった。ちなみに秀一の方は「そう呼べ」と言っているだけで、クラスの名簿上は「天城和奈」となっている。

「授業までまだ十三分はある。無心になって空を眺めるのもいいとは思わないか」

「単語本じゃなくていいのかよ」

「頭の良い人間は三年の部活が終わってからでも遅くはない」

「そうでなけりゃなんなんだ」

「あるいは、どれだけ努力しても無駄かもしれないな」

「そいつは厳しいこったな」

 遼太郎のぶっきらぼうな返事を聴いて、秀一は満足気に微笑んだ。

「私がペテン師ならこう言っただろう。人は皆平等、努力は必ず報われる、と。しかしどうもね。それは信じがたい。例えば小堀遼太郎という少年が世界に誇るイチロー選手に憧れたとしよう。幼少期からバットを振り続ければそこにたどり着けるか? 答えはノーだ。もちろんある程度の場所にはゆけるかもしれない。しかし君がイチローのような――そう、世界一にこだわっていたとしたらどうだろう。そんなものはまず無理だ。どれだけ努力しても才能がなければたどり着けない。大人たちと――愚かな子供たちは、それを無い物ねだりと笑うのかもしれないけれど、目指していた者が頂点で、本人にとってそれ以外のものに価値がないとすれば、そういった人間の中で努力が報われるのは一人だけだ。五万とライバルが居る中で、頂点の一人だけを努力家と呼ぶつもりかな? 少なくとも私は彼を天才と呼ぼう。重要なのは不断の努力などではなく、この世に産み落とされた瞬間に「才能」という名前の双子を伴っていたかどうか、だ」

 ハスキーで良く通る声は、長話にもかかわらず不快感を与えなかった。どこか達観した内容に思いを寄せるところがあったからかもしれない。斜に構えているのが格好良いと思っているわけではないようで、恐らく発言も気分によるものだろう。

「いいご高説だ。受験前でピリピリしてる五年の教室で垂れ流してやれ」

「馬鹿を言え。自慢ではないが私はチキンだからね。友達がいなさそうな君が目の前にいるからこそこんな妄言を吐き散らかすことができる」

「俺がバラしたら?」

「私の反撃は汚いぞ」

 秀一はウインクを一つよこす。遼太郎は短く鼻を鳴らした。

「して、何かお悩みかな、盟友」

「あれだな。いつもそうやって尋ねてるんだろ」

「良い解答だ。悩みだろうといってやれば大抵の人間がベラベラと話し出す。女々しいことこの上ない。しかし、この私もまた問われれば答えるだろう。どうだろうか、真似してみては? なんといってもこの発問、話を聞くだけで恩が売れる、この上ない効果がある。あるいはどうせお前にはわからないだろう、という上から目線で語り始めるしょぼい人間を観察することができる。要するに暇を潰せる」

「心底嫌なヤツだなお前」

「あまり褒めるな。それで何の悩みなんだ」

「あぁ?」

「私の試みが看破されたのは確かだ。しかし君が悩みを抱いていない可能性はゼロに等しい」

「どうしてそう思うんだ」

「同じような問いかけを百人以上にしてきたが、誰もが顔をしかめていたからだ」

「そいつは、お前がうさんくせえからじゃねーのか」

「なんと……」

 ショックとばかりに右肩を引き、左手を出してよく分からないポーズをしてみせる。

「まあ、悩みがないわけでもないか」

「そうか。ところで遼太郎君、昨日のナイターだけど……」

「おい聞けよ」

「なになに? 聞いて欲しいのかい? 聞かれるのは嫌いなタイプかと思ったが」

「ならはじめからうちあけねえだろ」

 遼太郎は秀一の面倒くささを嫌っていなかった。相手をおちょくっているように見えなくもないが、舐め腐った態度という点では自分もそう変わらないという認識がある。つまるところ、同類だ。

「頭数が足りねえんだよ。お前らのチームから抜いてきたいぐらいだ。辞める気、ないのか?」

「これはずいぶんと藪からスティックに。そうだな、私としては……」

「引き抜きなんて関心しないわ」

 背後から響く声の方に視線をやった。先ほどまで日陰で本を読んでいた少女が、三メートルほど離れたところで静かに微笑んでいる。

 いつ背後に回られたのか。

「……あん?」

「邪魔しないほうがいいかと思ったけど。おはよう、シュウ。それに小堀君」

 日陰で本を読んでいた少女が声をかけてくる。

 どうやら彼女も本を読んでいるらしい。横目でちらりと見てみると、どうも視線が向こうとあった。ガンを飛ばしこそすれ、視線を外すタイプではない。睨みつけるように彼女の方を見ながらも、とりあえず軽く会釈はしておく。

 利発そうな顔はどことなく白人系に特有の顔つきを感じさせる。肌とのコントラストが強すぎるせいで、、セルフレームの赤いメガネが浮いている。

 リボンの位置からスカートの高さまで全てが完璧だ。さすがに膝丈ということはないが、しっかり制服を着ている沙知よりも長い丈であることが伺える。

 だが――どことなく違和感を覚えた。端的に言い表すなら『胡散臭い』のだ。

「何読んでるの」

「虐殺器官」

「ああ、イトウケイカクさん」

「知ってるのか」

「文学少女だから」

「普通、自分でそう名乗るか」

 予鈴がゴンゴンと鳴り響く。近場のスピーカーを睨み付けていると、目の前の少女が薄い笑みを浮かべた。

「死ぬには高さが足りないな、ここは」

「……なんだって」

 見透かされたような気がして返答が遅れた。少女は何も言わず、ただ一人で階段を降りていった。

 調子が狂う。そう思いながら遼太郎も後に続く。遅刻して教師と揉めたり、その結果目立ったりするのは勘弁願いたかった。



 


 白門学院大学付属高等学校。

 白院付属と呼ばれるその高校もまた、近年はやりの高偏差値でスポーツにも優れるというのが謳い文句の高校だった。スタディ、スポーツ、サイエンスを三本柱とした白院は、理系分野およびデジタル教育の急先鋒を行く私立高校である。

 部室棟の一室に、ライトガンの部屋がある。ライトガン界が雄、白門学院エインヘリヤル。部室には三人の人影があった。革張りのソファに腰掛けて柔和に笑う少年、それに話しかける下級生らしき生徒、そして気怠そうな様子で壁にもたれかかる少女だ。

「初戦の相手、決まったんだってね」

 ソファに座る少年が勿体つけるように問いかける。色白で整った目鼻立ちに、さらりと流れる黒い髪。見た目だけなら高い評価を得るだろう。学内での成績も上から数えた方が早い。それも学院で最も高偏差値の理数進学科の中で、だ。

「はい。東京Aブロック代表、ダークイーグルのようです」

「……あぁ、あの…………。そっか。うん、どうもね」

 小田切聖人は嗤っていた。脇で見ていた少女――杉山綾乃が苦言を呈するまでは。

「あんた、知ってるクセになんで聞いたりしたの?」

 聖人が苦々しげに表情を歪める。一瞬の変化ではあったものの、上擦った声までは隠しきれていなかった。

「僕の邪魔はするな、杉山」

 呪詛のように呟く彼を見て、綾乃はふっと笑った。どこか小馬鹿にしたような振る舞いが癪に障ったのか、聖人が目を吊り上げる。

「なんなんだその態度は……!」

「別に。信者みたいな部員を従えて、悦に浸って、楽しいのかなって。ちょっと疑問に思っただけ」

 聖人の肩が小刻みに震えていた。二年生で部長を任されている上、コマンダーのポジションにいながら、目の前にいる一年生の女子に強く出ることができていない。理由は綾乃が他ならぬヴァルハラの元メンバーにして――白門学院の前線を支える最強のサポート・アタッカーであるからだろう。

「チームを、乱すな」

「俺の計画の邪魔をするな、じゃなくて? 悪役ここに極まる――図星なのは分かったからそんなに怒らないでよ。前回私の要求を呑まなかったのはどっちだったかもう忘れたの? お前の要求を呑む必要はない、みたいな。これだから独裁者は」

 綾乃も苛立たしげにそう吐き捨てて立ち上がった。聖人は反撃の言葉を探していたようだったが、言語化することに失敗したのか唇を噛んでいるだけだった。綾乃はそれを鼻で笑い飛ばしてから部室を後にする。

 仰いだ空には分厚い雲が広がっていた。これならいっそ雨でも降ればいいと綾乃は思う。出かかったくしゃみにも似た中途半端さが彼女の苛立ちを加速させた。そんなふざけた喩えを引き出してくるメルヘンチックな思考回路にも、薄ら寒い思いがした。

 綾乃は胸の部分を叩いて煙草の箱を探すような仕草をする。父親が禁煙したときに幾度となくみていたせいで染みついてしまっていた動きだった。悩んだとき、立ち止まったとき、胸ポケットのあたりに手が伸びる。

 第二ボタンのあたりに留めていたアイポッド・シャッフルに手を伸ばす。カナル式イヤフォンを耳の中にしっかりと嵌め込み、再生ボタンに指先を這わせる。最近のお気に入りはブリトニー・スピアーズとレディー・ガガだ。ミーハーだと思いつつも、これがどうして中々、耳から離れない。リスニングついでにと適当な理由で聞き始めたが、セクシーなサウンドは綾乃が思っていた以上に頭の中に響いていた。

 アーケードが設置された渡り廊下を通り過ぎ、旧体育館の中に設けられた特設の射撃レーンに立った。

 さあ、撃て。

 受験勉強を疎かにしても握り続けた武器が、鉄の冷たさでもって綾乃に答える。細い指先で、愛撫するように――グリップをひと撫でする。

「ダルいね、ホント」

 すっ、と――腰からキャリコを抜いた。

 タタタと響く軽い銃声。人差し指にかける力を微調整して、三発ずつ正確に撃っていく。酷い精度の銃であるからエイミングは不要などとをのたまう連中もいるが、当たらない銃をいかにまとめるかが課題なのだ。綾乃の弾丸は、吸い込まれるように的の方へと飛んでいった。

 二十発ほど撃って、残弾を適当に連射する。それでも一メートル四方程度にはまとまっていた。くるりと回転させて、ホルスターに突っ込むと、背中のホルスターから回転式拳銃――洋介のそれと同じM60を引き抜いた。

 周囲の視線を感じる。悪い気はしなかった。子供のころは画面の向こうの芸能人に憧れ、スターダムにのし上がりたいと、ずっと思っていたが ――自分は何をしているのだろうか。

 思考がまとまらない。脳裏にちらつくのは雑念ノイズばかりだった。テレビ画面の向こうで見た安藤沙知や、その隣にいた小堀遼太郎という寡黙な少年。そして何より、自分の幼馴染みである坂上洋介。

 M60の引き金を引いた。そこそこの狙いしかつけていなかったが、弾は的の中心を見事にぶち抜いた。ほとんど早撃ち(クイックドロウ)に近い圧倒的なスピードを見て、射撃場の面々が驚いた表情を見せる。

 軸足を開店させながら前方にステップイン。身をかがめ、射撃台に右肩をつけるようにする。即座に立ち上がると、左右十発ずつ、計二十発を動かぬターゲットにぶちあてた

 ワルキューレ、杉山綾乃。最強のサポート・アタッカー。

「――Soon ripe, soon rotten.」

 早く熟すれば早く腐る。

 かといって自分は大器晩成型の人間でもないのだろう。目標は見失い、一秒先の行動すら定まらない。

「なにしてるんだか」

 振り向いた先の壁に掛かった鏡に顔が映る。生気のない姿にぎょっとして、嫌なものを見たように視線そ逸らした。

 うつむいたまま、心臓の場所に右手を這わす。

 そこには確かに、鼓動があった。


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