chapter 17 戦姫
都大会決勝戦を一週間後に控えた日曜日、もうライトガン部の練習が始まっている時間にも関わらず、洋介は鳳ヶ丘駅の改札前に一人で立っていた。
今から会う予定の昔馴染みから貰った腕時計。その文字盤に息を吹きかけて、袖で拭う。
幸鳳学園のライトガン部は地区予選を三連勝という結果で終わらせた。何の問題もなく都大会出場が決定したうえ、他の参加チームと比較してもスコアは際立っている。理由は考えるまでもなく、文香が指揮官に就任したから、というところが大きい。
負担が減った泰久は洋介を圧倒するほどの実力を見せつけていた。かつては幸鳳最強のアタッカーとしてならしていて、指揮官は候補がいなかったからやっていたに過ぎない――周囲の三年生からそんな過去を聞くにつれて、彼がいかに苦労してここまで歩んできたのかを思い知らされた。
空を仰ぎつつ、肺の中の空気を入れ換える。腕時計が指し示す時刻は十時十五分。駅を取り囲むレンガ風のシックな壁に背を預けながら、洋介は小さなため息を吐いた。久方ぶりなのにこれか、と思う。四分の一時間も遅れているにも関わらず、メール一つすら寄越さない神経の太さは変わっていないようだ。
「……遅いな、アイツ」
そう呟いて、昔から待ち合わせをするたびに自分が待たされていた事を思い出した。何事も几帳面な洋介とは違い、少女はいつも大雑把だったように思える。そのくせ試合になると事細かに情報分析し、洋介のバックアップとして堅実な立ち回ってみせた少女。性格はなんとなく文香に似ているかもしれないと、心の隅で考える。
白のワンピースに麦わら帽子という見たこともない格好をしていたが。それでも驚くほど似合っているのは、素材の良さあってこそだろう。
何度目か分からない時計のチェック。それと同時に、改札の向こう側から幼馴染みが姿を現した。
肩ほどまでの長さだった髪は、ショートヘアーに変わっていた。細い首や絞まった顎のラインは相変わらず美しく、美容に気をつかっているという本人の弁も納得できる。
ライトガンの装備で駆け回ったら女性でもかなりの筋肉がつく者が多い中、少女の二の腕やスカートから伸びる足には見て分かる程の筋肉はついていない。三ヶ月のブランクがあるというのは洋介も聞いていたところだが、それを感じさせないほど引き締まった体をしていた。ウエストもモデルのように細く、六十センチを切っているのはまず間違いない。身長百六十五センチの体は同年代の少女から見れば理想の極点にあるといっても過言ではなかった。
「どうも、洋介。久しぶり。あんまり大きくなってないね」
「三ヶ月でそんなに大きくなる訳ないだろ」
良いツッコミだ、と言いながら少女は洋介の肩を叩く。
杉山綾乃。
まだ女子選手がほとんどいなかった中学生ライトガン界の花型――ワルキューレと呼ばれた相棒がそこに立っていた。
「遅過ぎ」
洋介は腕時計を叩いて十五分オーバーをアピールする。
「ごめんごめん。来る途中に痴漢に合っちゃってさ。面倒くさいから通報しなくていいですっていったのに、見つけた人が煩くて」
「嘘だろ」
「ああ、バレた?」
綾乃はそういって軽く舌を出した。既に酷い徒労感に苛まれていた洋介だったが、ため息を堪えて綾乃と共に歩き出す。
「しかもその格好は何なんだ……」
「こういうのも、なかなかかわいいでしょ」
「はあ……引退したから女の子っぽく、って?」
「そんなところ」
やってられないと頭を振る洋介をわき目に、綾乃は大きく体を伸ばす。何が愉快なのか笑顔で洋介の背中を叩いた。
「綺麗なとこだね」
「そうだな。前に高校見学で来たときよりも整備されてるだろ」
開拓はされているものの、周囲には山々がそのまま残っている。駅もレンガを模したシックな作りで、古さを残す景色とよくマッチしていた。
「いや、もう道を忘れちゃっててさー。覚えてたら案内してもらってないよ」
なぜか誇るような笑みを浮かべる綾乃の顔を見つめるが、相変わらず何を考えているか分からなかった。
「このままデートでもしちゃう?」
「今日も練習だって言っただろ」
「相変わらずストイックでキめてるの? 幸鳳にかわいい子はいないのかしら?」
「どうかな。とりあえずみんなアヤノほどガサツじゃないよ」
取り方によっては悪口にもなりうるが、洋介と綾乃の関係はそういうものだった。優男風な洋介も、綾乃に対しては一切の遠慮がない。
「えー。自分ではわりと細かいところまで気が回るタイプだと思ってるんだけど」
「そういうのを、アイデンティティを喪失してるっていうんだ」
自信ありげな洋介の言葉を、綾乃はどこ吹く風で受け流す。
「あれでしょ、倫理の授業で習ったから使ってみたい、ってヤツ。やめときなよ、馬鹿っぽいから。テキストのことテクストって言ったりしちゃう?」
「それはしない。和製英語は和製英語のままでいい。辺に母国語の発音に近づけるとおかしくなる」
「じゃあマウザー社じゃなくてモーゼル社って呼ぶわけだ」
「日本じゃモーゼルの方が一般的だろ」
「私は断然マウザーだね」
モーゼル(マウザー)社はドイツにある銃のメーカーの名前だった。ドイツ語に近い発音をすれば「マウザー」の方が正しいのだろうが、「モーゼル」の方が一般的なので洋介もそちらに習っていた。
くだらない馴れ合いを続けていくうちに、幸鳳の正門前までたどり着いた。射撃場までここから一キロあると伝えると、綾乃が苦い顔をする。続けてランニングの練習はしなくてもすみそうだ、とぼやいた。
校庭の隅、射撃場に出る鉄柵の側に同年代ほどの少年がいた。人数は二、私服姿で、柵の先を見つめている。
「お、ライトガン部の坂上君だよね?」
少年の一人が洋介を指差して話しかけてくる。どうやら幸鳳の生徒らしい。やたら整った顔立ちの少年だった。ぱっちりとした目に、男性にしては長めの髪型。男性アイドルグループにでも入れそうだった。もう一人の少年はフードを目深に被っているために顔が判別できない。
「えっと…………どちら様でしょう?」
「いや、多分知らないと思うよ。この間の体育祭のときに名前知っただけだから。よろしく、僕も一年だ」
「ああ、そうなんだ。もしかして何か用事?」
「新聞部の取材をさせてくれないかな、って」
そういえばそんな部活があった気がする。よほどネタに困っているのか、ライトガン部が有名になったのかは知らないが、珍しいことだった。
「部長に許可とってくれれば大丈夫。案内するよ、ついてきて」
「お、ありがとう」
そういって二人の少年が洋介たちの後をついてくる。道中でライトガンについてのインタビューを受けながら、洋介はその知識に感心を覚えた。
たまに来るテレビの報道陣のインタビューアーが総じて知識不足であるのとは違い、この少年たちの質問からはライトガンについてよく知っている事が見て取れた。フードの少年は相変わらず黙ったままだったが、時折話の内容をメモしている。
駄弁りながらのろのろと一キロを歩き終えた時には、すでに十一時近くになっていた。
「多分そこの射撃場にいると思う。いなかったら菅原さんって人に聞いてみて」
口に出してから、「菅原」の名は出さないほうがよかっただろうかと思った。幸鳳においてその名前は余りにも有名過ぎる。
「はいはーい。ありがとね」
意外にも名前に反応することはなく、軽く礼をすると新聞部の二人はその場から去って行く。
「悪いな、なんか巻き込まれちゃって」
「んーん。別に気にしてない」
綾乃は目を細めて立ち去る二人の背中を見つめていた。しばらくしてふーっ、と息を吐き、視線を上に向ける。
「どうでもいいけどデカい建物だね、これは」
何事にも動じないといった感じの綾乃も、射撃場の大きさには驚いているようだった。中学二年生のきたときには屋外射撃場しかなかったが、今は件の巨大射撃場が設置されている。
「ここまでくると流石にバカっぽいサイズだよね。プレハブっていったって、幾らかけてんの?」
「まあ、それだけ力をいれてるってことじゃないの」
洋介も綾乃の言葉を強くは否定できなかった。施設に異常なまでの投資を行っているのは明白で、三、四年前にこれだけの土地と設備を用意するのには相当な勇気が必要だろうと思われた。
今なら栄えているからいいものの、当時は超が付くほどのマイナースポーツだったため、これを建設した人物――文香の父親には、驚異的な先見性があったに違いない。
洋介は射撃場の扉を開き、綾乃と共に射撃場の中に入る。まずは部長に挨拶をと思ったものの、部長の姿が見あたらない。
「綾乃……」
呼ぶより早く、綾乃は洋介の脇を抜けて中に入ってゆく。止める間もなく、部員たちに挨拶をし始めていた。
「初めまして。こんにちわ」
洋介との会話時とは全く違う声音で、そう挨拶をした。プロの女優並の名演技と、同じくプロの声優のような声質の変更能力に、呆れを通り越して関心すら覚える。
「えっと、どちら様……って……おぉ、杉山……!」
怪訝な表情で綾乃を見つめていた駿が驚きの声をあげた。
「ああ、ヴァルハラの杉山さん」
「お久しぶりです、鮫島先輩」
綾乃が名を馳せた二年前は未だライトガン黎明期であったため、同時期のプレイヤーか、よほどライトガンに詳しい人物でなければその名を知ってる者はいない。
しかし、知っているとするなら、《ヴァルハラ》のメンバーの一人である「ワルキューレ」、杉山彩乃が、ライトガン界でも屈指の後方支援者手であることを理解しているだろう。
「あれ、お前は敵のチームだったりするんじゃないのか?」
「もう止めたんです」
綾乃の返答に駿が唖然とする。綾乃ほどの選手が辞めれば驚くだろう――そう思いながら、洋介も彼女の引退を惜しむ。
「…………怪我でもしたのか?」
「いいえ。幸鳳でやろうと思ってたんですけど……まあ、家庭の事情で」
「…………」
駿が口ごもる。ややっあって言葉を続けた。
「やめたのか……。もったいないような、安心したような……」
当時から洋介は駿に限らずスナイパーを苦手としていたが、彩乃は違った。スナイパーを恐れることが殆どなく、「当たったら当たったで仕方ない」という信念のもと、スナイパーを薙ぎ払っていた。駿も例外ではなく、中学生時の都大会では散開した味方からの情報をきっちりと掴み、駿の方向にマシンガンと手榴弾をまき散らして倒したことがある。その経験からか、どうも駿は苦手意識を持っているらしかった。
「洋介君、ちょっと」
声の方を振り向けば、射撃場の入り口で頭半分だけを出した文香がこちらに向けて手招きをしていた。
「……何?」
わけがわからずそう返事をするが、文香はその場から動かずに手招きを続けていた。折れた洋介は仕方なく文香のほうへ歩み寄る。
「どうかした」
「あれ、誰」
あれ、とは恐らく綾乃のことだろう。どう説明したらいいものかと逡巡した後に、文香には綾乃の話した事があったと思い出した。
「いつか言った俺の幼馴染」
文香の目線はもはや洋介のほうを向いていなかった。戦場で地図と無線機に睨みを効かせている時の目で、綾乃の事を鋭く威圧している。
「あのー、文香さん?」
「…………ふーん」
何時にもまして文香の態度は意味不明なものだった。不機嫌そうにその場から立ち去って、射撃場の外へと消えていく。
「……何だったんだ」
一つの答えに思いあたって後ろを振り向く。綾乃が部員達と楽しそうに話していた。
「なるほど、うざかったのか」
合点がいった。べらべらべらべらと、部外者とは思えないほどすぐに打ち解けて余分な事を話してる綾乃が頭にきたのだろう。後で実際のところはそう悪い人間では無いと伝えておこうと画策し、綾乃の名前を呼ぶ。
「おーい、綾乃。ちょっと部長に挨拶しにいくから付き合ってくれ!」
「少し待っていて貰えますか」
聞いたこともないような猫撫で声に全身を総毛立たせながら、綾乃の側まで歩み寄る。
射撃場のほかの小窓から文香の顔が覗いていたが、洋介は気づかない。
「…………そんな凄い人が、ひゃあ!」
一年の木下美穂が驚いた声をあげる。虫でもでたのかと、洋介は様子を見に近寄った。
「どうした、木下」
「いま、そこの窓に女の人の顔が……」
美穂は震える指で窓を指し示すが、そこには青空が広がるだけで虫一匹いなかった。
「……なにもないけど」
「いたんだってえ! 鬼みたいな顔のが!」
「行きましょう、坂上君」
「待てよ綾乃! ごめん木下さん、行ってくる」
「本当に……ほらああああああああ! いたああああ!」
周囲の人間がぽかんとしている中で、それでも木下は鬼の存在をしきりに主張し続けていた。