chapter 13 幻惑
『おまえら、あんまり固まるなよ』
泰久が首から下げた無線機から、敵チームである駿の声が響く。どうやらチームの一人――泰久からみて右手側に派遣していた一年生の無線機が、偶然声を拾ったようだった。スピーカーを耳に押し付けて意識を集中させてみると、微かにアサルトライフルの射撃音が聞こえてくる。一度止んだ後、今度はそれより多い数の銃声。どうやら文香のチームは戦力を右側に集中させているらしい。
『やべ、無線機……』
呟きと共に駿の声が遠ざかる。
駿のミスのおかげで泰久は幾つかの情報を得ていた。もっとも重要な情報は、少なくとも四丁以上重なっていた銃声と、同じ無線機から聞こえてきた駿の声である。これをもとに推測するなら、敵は右サイドに最低でも五人程度、スナイパーの駿を含めて存在しているということである。
不審な点も多かった。これまで幾度となく練習試合を見てきた文香が、五名もの人間を固めて動かしている訳が理解できない。戦力を片側に集中させての一点撃破と言えばそれなりに聞こえるが、一人で十分動ける駿までもを巻き込む意味はあったのだろうか。
「岡田君、中村さん、米嶋君、石井さん、右側に向かってください。敵は五人から六人、銃声から判断するに密集して行動していると思われます。爆発物を多めに」
了解、という声を聞いて、泰久は監視を続ける。隣でアサルトライフルを構えていた木下美穂が顔をあげた。
「どうしたんですか?」
「無線機から四丁分ぐらいの発射音と鮫島君の声が聞こえました。菅原さんは恐らく、僕たちから見て右手側にアタッカーを集中させている」
「五、六人って……アタッカーほぼ全員じゃないですか」
「おそらく、一点撃破ならなんとかなると思ったのではないでしょうか」
拭いきれない違和感がまた首をもたげ始めた。果たしてあの鮫嶋駿が、多数のアタッカーと共に行動するなどということが有りうるだろうか。たとえ文香がそう提案したとしても、ダマになって行動するという常識はずれの戦法に駿が乗るとは到底思えない。スナイパーは静かに行動するのが定石であり、わざわざ爆音を鳴らす集団と一緒に行動してどうするのだろうか。最も考えられる作戦としては、駿の怪物じみた腕でディフェンダーを一掃するために、彼を確実にこちらまで連れてくる護衛として大量のアタッカーを配置した、というものだが、それにしても無線機が声を拾うほど近くで一緒に行動する必要はない。
――もし、さっきの駿の声がフェイクだとしたら?
「伏せて!」
猛スピードで塹壕にしゃがみこんだ泰久の右手からブザーが鳴った。しかし退場には至らない。積年の勘とこびりついた疑念が、奇跡的に即死の弾丸を回避させたのだ。
何処から撃たれたのかは全く分からなかったが、射手は恐らく鮫嶋駿だろう。自陣の誰もが気づかぬ場所から、僅かに頭を出したコマンダーを狙撃してみせる神業が何よりの証拠といえた。
身を低くして塹壕を移動する。弾は見えず、銃声は聞こえない。しかし、これが仮に実銃だったとしても同じ話だった。ライフルの弾は目視できるスピードではないし、何より音より早く飛ぶ。
背中をだらだらと冷や汗が流れていた。瞬間的に体を動かしたために体中に熱が篭っている。塹壕内に伏せていた美穂に逆サイドへの移動を促して、泰久は敵襲を伝え忘れていたことを思い出す。
「スナイパーがいます。自陣右側の人は注意を」
泰久は渋い表情でハンドガンを握りしめる。M16の下部に取り付けられているグレネードランチャー・M203も、右手が使えないとなればただの鉄屑だ。
「……あの、ありがとうございます」
美穂が目は前方に向けながら声だけで泰久に例を伸べる。いえ、と短く返事をしながら、泰久は静かに戦況把握を試みた。
久方ぶりに焦っていた。無線機からの情報に囚われて、大したことないフェイクに引っかかってしまったことを恥じる。一方でそう気にすることでも無いだろうとも思っていた。既にアタッカーを潰すために四人ものアタッカーを送っているため、敵のアタッカー集団はこちらにたどり着くことはありえない。そうなれば、スナイパー一人でできることなど何もないに等しかった。
背中側で木下が応戦を初めていた。泰久も塹壕に引っ込むと、M16を手早くリロードする。
「でも。どうして狙撃を避けられたんですか?」
「いえ、何となく違和感を感じまして……迷惑をかけました」
そう答える泰久の表情は固かった。右腕だけで済んだのは、予想より運の要素が強いことが否めない。
「こちら大崎。あなた達の前方に五、六人固まってると思われます。逆サイドに鮫島君がいるのでそれも気をつけて」
『了解』
相手の位置さえわかっていれば奇襲を成立させやすくなるため、アタッカーにある程度の人数差があっても撃破が期待できる。スナイパー対スナイパーもしかりだろう。相手が目の前のどこかで構える、という情報があるのなら、格上の敵が相手でも先に撃つのはそう難しいことではない。
「ディフェンス陣、右側に移動してください。鮫嶋くんがくるので、そこは飯塚さんに任せて」
『銃声から察するに敵アタッカーが全員集中しています! 撤退しますか!』
右に向かわせた中村たちから連絡が入る。
「爆発物で牽制しながら撤退を」
先ほどの集団が動いているようだった。被害を出さないためにも、ここはおびき寄せてから一気に叩きたいところだったが、あまり時間をかけていると展開される可能性がある。それに加えて、あまり近寄られると自陣がグレネードランチャーの砲撃や、手榴弾の雨に晒される可能性があった。ディフェンダーは重装備の上に塹壕という盾を持っているが、それも頭上からの爆発物の前では無力と化す。押し寄せられるのは危険極まりなかった。
ならば固まっている状態でまとめて処理するべきだろう。うまくいけば一発のグレネードで大量にヒットを取れる可能性は高いだろう。要するに先に「爆発」させたほうが勝ちだ。右の六人を片付けてから、疲弊しているであろう敵ディフェンダーを落とす。策とは呼べないほどシンプルな流れを掴んで、塹壕に身を伏せる。
『部長!』
アタッカーの一人から通信が入る。
『ディフェンダー、一人も落とせません!』
絶望の二文字が脳内を埋め尽くす。部員に絶大な信頼を寄せている大崎泰久だったが、その部員からの報告をにわかには信じることができなかった。
「一人も……?」
『ディフェンスが堅くて……。ミニミが何処に隠れてるかわからないんです。しかも坂上がディフェンダーをやってまして』
「坂上君が?」
恐らく文香のものであろう采配を、泰久には何一つとして理解できなかった。
呆然としている泰久の頭上にグレネードが飛来する。
「空中!」
叫び声にディフェンダーたちが塹壕に引っ込む。泰久もやり過ごし、塹壕から顔を出す。
全く予想外の方向から敵が飛び出してきた。左・中央・右のそれぞれに二人ずつの配置――。
何が起きているのか全く理解できなかった。頭の中に描いていた完璧な地図を破り捨てられる心地がする。
グレネードと手榴弾が大量に飛来して破裂する。泰久は、歩兵ではなく戦車や爆撃機を相手にしているかのような錯覚に陥った。混乱する思考の中で、なんとか背後のフラッグを狙うようにハンドガンを構える。
――銃声が一発。泰久のブザーが鳴り響く。
たった数センチ頭を出しただけにも関わらずブザーが鳴った。ヘルメットに覆われていない僅かな側頭部を射抜いたのだろう。その射主が誰かを論じる必要は微塵もない。
敗因は駿を抑えるべきディフェンダーが機能していなかったことではなく――ディフェンスを狙える場所に駿が来るのを止められなかったことだ。
「フラッグ、取得しました!」
二年生の一人がフラッグを掴んで嬉しそうに叫ぶ。
泰久は、愕然とした表情でその光景を見つめていた。