chapter 11 予兆
自転車をぶっ飛ばして射撃場まで駆け抜けた洋介は、定時になるというのに部員の集まりが悪いのではないかと感じた。だがすぐに、体育祭の練習で不参加の部員が多いからであろうということに思い当たる。大縄跳びやリレーなど、クラス競技に参加する生徒は放課後の練習があるため仕方のないことだった。待っていたところで、今度は違う競技に参加する選手が出て欠員が出るだろうから、体育祭が終わるまでは全員揃うということにはならないだろう。
「オー、ヨッケ。ハロー、ナイストゥーミートゥー」
何故か英語で話しかけてきた駿にアイムファインセンキューと返して、無造作に置かれていたパイプ椅子に腰掛ける。
「お疲れか?」
「ちょっと寝不足でして」
「ほぉ…………これですか?」
駿は右手で輪を作り、その輪の中を差し入れするように左手の人差し指でピストン運動をさせる。
「セッ」
「違います! 家の片づけをしてたんですよ」
「なるほど。ヨッケらしいっちゃヨッケらしいわな。ヨッケ滅茶苦茶綺麗好きだもんなー。あれか、親から『トイレは舐められるまで磨け』って言われて育ったタイプか?」
「俺の親は海兵隊出身ですか……」
「その腕前ならオヤジさんが軍人でも驚かないぜ」
駿は笑いながらスナイパーライフルを構えたかと思うと、急にその手を止めて叫び始めた。
「おーい一年諸君。実はここに居る坂上洋介、なんと毎日帰る前に部室を掃除をしてるんだ。知ってたか。感謝しろ、敬え。コイツは強いだけじゃなくて優しいんだぜ。ややウザいほどに」
「ちょっとみんな頼むから真に受けないでくれ! そんなことないですから! 日誌のついでに若干やってるだけです! 趣味ですから!」
タメ口交じりの敬語でその場の部員たちに言い訳をする。思ったよりも洋介に向けられる視線は少なく、その九割は駿に注がれる冷たいものだった。
「というか俺、ややウザいんですか?」
「ジョーダンに決まってんだろ? 何なら目指すか、ややウザ系キャラ」
「どんなキャラですか」
「えー、そりゃ俺とかじゃん?」
「アンタはややじゃなくて普通にウザいわよ」
駿の言葉に、傍らの秋菜が間髪いれずにツッコミをいれる。
「……うっせーなぁゴリナ」
ボソリと言い残して走り去る駿の足はかなり早いが、椅子から飛び上がって追いかける秋菜のスピードは更にその上を行く。連合陸上で記録を持っている洋介の目から見てもその速度は凄まじい。二秒と経たずに捕まった駿が、首根っこを秋菜につかまれながら引き戻される。握力三百キロぐらいあるだろうお前、と駿が喚く。不動明王も小便を漏らしそうな形相の秋菜の握力を前に、駿の悲鳴が大きくなった。
いつも通りの光景に、その場の部員が声を上げて笑う。
だがそれを見つめる洋介の表情は冷静なものだった。とってつけたような駿の冗談に「疲れ」のようなものが感じられ、ダークイーグル戦の前の彼にくらべるとどことなく空回りしているように見えたのだ。
分析するように部室を見回していた洋介だったが、背中を叩かれて思考を中断した。振り向けば自分より先に射撃場に向かったはずの文香が立っていた。いつもは制服なのに、今日は何故かジャージ姿だ。
「ねえ、洋介君。私も参加させて貰えないかな」
「お、射撃訓練やってみる気になってくれた?」
「ううん、実戦演習」
その唐突な言葉に、近くで射撃練習をしていた生徒たちが手を止めて文香の方を見る。文香もそこまでの注視は予想外だったようで、焦ったようにきょろきょろと辺りを見回していた。
秋菜のアイアンクローから解放された駿が文香の方に顔を向ける。
「けっこーきついよ。そこのゴリラ女なら別だけど」
駿が秋菜を足で指し示す。その足めがけて秋菜が左足で蹴り上げようとする。
「誰がゴリラだ!」
地面を回転してかわしながら鮫嶋は、
「ポジションはどこなの」
「できることなら、指揮官を」
文香の表情は変わらないままだったものの、部員たちは驚きの表情を浮かべてた。そんな中で、駿だけはニヤニヤと楽しそうに笑っている。
部員たちは困惑の様相を示していた。それもそのはずで、今まで自分から指揮官に立候補した人間など泰久を除いていないのだ。ライトガン部では指揮官といえば泰久で、彼以外はまともにこなせないというのが共通認識だった。その一方で、三年生が卒業してしまった後の指揮官という意味も含め、補助兼後継の指揮官をさっさと決めたいという願いはある。
二年生はディフェンダー寄りか、そうでなければスナイパーが多く、指揮官向きの部員はいない。泰久が後継を探すために一年も含めてやらせてみたものの、長いキャリアを持つ泰久に付け焼刃が通じるわけもなく破れていった。
「あー、なる、アナル」
もう一度振り下ろされた足をごろごろと転がって華麗にかわし、駿がウインクしてみせる。
「いいんじゃないの。俺は向いてると思うけどねえ、指揮官。一年生諸君は一年生が指揮官をやっちゃうと先輩との関係が! みたいな不安があるかもしれないけど、多分二年も三年もそういうのないと思うよ。姫様、ずっと試合見てたわけだしさぁ。結構イイ線いくんじゃねえ。とりあえずやってみる価値はあるぜ。そういうことで俺一抜けぴょん」
駿が立ち上がってあくびをした。髪はボサボサで、日本最強のスナイパーであることを感じさせない。
「なんでアンタが抜けるのよ」
「だって姫様が入ってもジャー爺は残るだろ? ってなると一人抜けた方がいい。別に未来永劫やめるわけじゃないぜ。この一戦は抜けてみるって話よ」
「スナイパーはどうするの。スナイパーが少ない状態での実践演習なんて意味ないんじゃないの」
「ヨッケがやるよね。なぁヨッケ?」
洋介は困惑した表情で、
「できません。それに俺がやったらアタッカーが減りますよ」
「アタッカーはゴリナがいるから人間三人分のカウントだろ」
無言で放たれたローキックをぴょんとジャンプでかわす。息のあった微笑ましい光景にも見えるが、実際に当たると駿いわく、「パンチは痣になる、キックは骨を折る」らしい。
とにかく、文香の試みは濁りきった部活に一石を投じられるのではないか。そう思う洋介ではあるものの、泰久がいないために小田原評定が続いていた。洋介は周りを見渡す。運のいいことに、背後のドアから救世主が入ってきた。
「遅れてすまない。会議中かな?」
泰久が爽やかな笑みで割って入る。なぜか髪型が控えめなリーゼントのようになっていた泰久は、やはり学園指定の野暮ったいジャージがよく似合っていた。
「女神様が演習に参加したいっていうんで、俺が辞めるっていったら、猛獣が暴れ始めたんです」
駿が冗談めかす。感謝しているのかふざけているのか、起き上がって敬礼のポーズをとっていた。
「そうでしたか。ならば参加してみましょう。ポジションは?」
「指揮官を」
文香ははっきりとした声で泰久にそう伝えた。他の部員たちとは違い、泰久はその言葉にも顔色一つ変えることがなかった。
「よし、じゃあ別れてやってみようか。今何人いるの?」
二十九、と言ってその場を去ろうとした駿の首根っこを掴んで引き戻しながら、秋菜が三十人です、と伝える
「じゃあ十五対十五でやれるね。どう分けようか。とりあえず僕のチームと文香さんのチームでいいですよね」
「部長と、フミと、別れて戦うんですか?」
秋菜が驚いた表情をして声を漏らした。
「その方がいいのではないかと思いまして。僕と同じチームになると、どうも僕が口を出しすぎる。別チームでやってみた方が、指揮力を測るには適してると思いませんか?」
納得の行く説明ではあるものの、文香は実際に戦場にたった経験もないので、初心者かそれ以下という状態だ。チームに差をつけたところで勝つことは難しいだろう。
「レギュラーは全員姫様の方ですか?」
駿が真顔で確認をとる。
「そうしましょう。いいですか?」
「はい。ありがとうございます」
文香は何の心配もないといった様子でそう返事をした。
洋介はチームメンバーについて考える。泰久以外のレギュラー全員が文香チームというのは、字面だけ見れば文香が有利に見える。
だが、ライトガン部にはレギュラーと非レギュラーに大した差がなかった。いつも試合に出ているのは泰久、駿、秋菜の三人、最近はそこに洋介も加えた四人ぐらいのもので、他のメンバーは試合毎に交代することが多かった。
そして今日は特にその傾向が強かった。運動会練習に参加しているの部員は一年生が多かったために、三十人のうちのほとんどが二年と三年で、チームに差ができにくい。つまり指揮力の差がもろにでる場面といえた。
かといって差を付けるための方法があるわけではなかった。人数を減らしたらそれは差になるだろうが、それでは実戦演習の意味がない。
「ふみ……」
とにかく頑張れと。そう声をかけようとして洋介は思わずたじろいだ。
傍らの文香が異常な雰囲気を醸し出していた。殺気と称するのも生ぬるいような、もっと冷たい何かが文香の周りで渦を巻く。かといって攻撃的な意志は感じられず、あえて言語化するならば威厳ある静寂とでも言ったところだろうか――そんな空気だ。
「何事も経験ですよ」
射撃場のドアの方から泰久の声が聞こえてくる。その言葉の裏にあるのは、文香が何を考えていようが勝てるわけがないという確信だろう。ここ最近の状況をみていれば当然の発想といえた。
「…………」
洋介は天井を仰ぎ見る。
切れかけた蛍光灯の一つが、チカチカと点滅を繰り返していた。