第94話: 地下牢に潜む闇――ノワールとの邂逅
城内の廊下は、不気味なほど静まり返っていた。
まるで人の気配を消し去ったかのように衛兵も侍従もおらず、ただ石壁に灯る魔導灯の明かりだけが、長い影をつくり出している。
アンジー、シュネ、ライカは、ニースの魔獣――炎の翼を持つフェニックスーーアウロラの導きに従い、駆け抜けていた。
「……静かすぎて…怖いですね。誘導されているのでしょうか?」
アンジーは息を切らしながらも、不安を口にした。
「誘導?どうだかな。ただの罠かもしれねぇだろ」
ライカはきつい声音で吐き捨てる。
黒い瞳が警戒の色を帯び、全身に緊張が走っていた。
「どっちでもいい。罠なら潰すだけだ」
氷の瞳をしたシュネは冷淡に言い放ち、ちらりと前を走るアウロラを見やった。
やがて、三人は階段前に辿り着いた。
そこからは異様な闇の気配が、濃く、重く、押し寄せてくる。
アウロラは階段前で立ち止まり、首をひょいと傾けた。
――この先だ、と告げているように。
「ご案内いただき……ありがとうございました」
アンジーは足を止め、深々と頭を下げる。
次の瞬間、アウロラは淡い光を散らしながら、すうっと消えていった。
「アウロラさん……!」
アンジーの声に、ほんの一瞬だけ寂しさが滲む。
「……自分はここまで、って言いたいんだろ。ったく、あいつによく似た魔獣だな」
シュネが呆れたように目を細める。
ライカは鼻を鳴らした。
「でもな、この先からは闇の臭いがぷんぷんする。……故郷の臭いだ」
その声音は震えていた。緊張と、覚悟。
アンジーの胸に、不安が広がる。
(ここからは……わたしたちだけで進むしかないのですね……)
彼女は決意を込めて声を張った。
「ハティル!おいで!」
純白の毛並みを持つ獣――ハティルが現れる。
毛は淡く発光し、階段の先を照らし出した。
闇に沈む石段の奥には、重厚な鉄扉が待ち構えていた。
「……あの扉を開ければ、多くのノワールが出てくるかもしれない」
シュネの声は冷静だが、その視線は鋭い。
ライカは口の端を吊り上げた。
「上等だ。あたしとバルグラードで止めてやる。ノワールなんざ、あたしの一族のくそみてぇなもんだ。影に沈めて、バルグラードの胃袋にぶち込んでやるよ」
影の中から重々しい声が響く。
『……我が主人よ。何を食おうと構わぬが……くそを食らうのは遠慮したいものだ』
「たとえだっつーの! 大真面目に受けんな、あほ!」
ライカとバルグラードの主従のやり取りに、アンジーは小さく微笑んだ。
(……もうライカさんは、闇に呑まれることはないのでしょうね)
「お任せします」
「おう、任された!」
力強い返事に背を押され、アンジーはシュネへ視線で合図を送った。
ハティルが先頭を歩き、アンジーが続き、その後ろにシュネ。
やがて重々しい扉の前に立った。
ぎし、ぎし……と、扉の隙間から漏れる異様な音。
まるで中で、何かが蠢いているようだ。
アンジーはごくりと唾を飲み込む。
シュネが肩に手を置き、低く囁いた。
「大丈夫だ。怖くない。……俺がついている」
「……ありがとうございます」
その言葉に、アンジーの胸に勇気が灯る。
絶対に守る。
絶対にニースを救う――。
彼女は扉に手をかけた。
かしゃり、と鍵が外れる音が響く。
招かれるように、扉がゆっくりと開いた。
――途端。
黒い影が牙を剥き、飛びかかってきた。ノワールだ。
「〈光よ、清浄の盾となりて――ルクス・アエテルナ!〉」
アンジーの声が響き、黄金の光が扇状に広がる。
迫るノワールを焼き払い、光が闇を裂いた。
「ハティル、お願い!」
光を纏ったハティルが咆哮し、ノワールへ飛びかかる。
シュネも前に出る。
「凍てつけ……フロスト・ランス!」
氷の槍が飛び、光から逃れたノワールを穿ち、地に沈める。
「バルグラード! 外に出ようとするやつらを、片っ端から食え!」
『承った』
漆黒の影から巨大な顎が現れ、ノワールを飲み込んでいく。
「うむ……まずくはないな」
バルグラードの言葉に、ライカは「その調子だ!」と叫んだ。
背後から力強い気配を感じながら、アンジーは地下牢の奥へと踏み入る。
――ノワールは、ほぼ片付いた。
地下牢は灯ひとつなく、湿った冷気が漂っていた。
アンジーはフードを外し、琥珀の瞳で闇を見据える。
(ニースさんの魂は……どこに……?)
だが。
ずるり、と奥から異様な闇が滲み出した。
「ハティル! 守って!」
わん! と応える光の獣が、飛来する闇の弾丸を弾き返す。
アンジーは熱に頬を歪めながら、闇の奥へ叫んだ。
「……誰か、いるのですか!」
闇の鼓動が、近づいてくる。
一歩、また一歩。
ハティルの光がその姿を照らし出した――
黒い人影。
しかし、それは人ではない。
人の形を模した、ノワールの塊だった。




