第93話: 黒き桜との再会
「今日から学園祭だな」
氷の瞳を細め、シュネが静かに呟いた。
「そうですね……皆さま、楽しそうに準備されていました」
アンジーは琥珀色の瞳を細め、校庭でわいわいと動き回る生徒たちに視線を向けた。
白い手にはわずかに震えがあり、彼女の胸に去来するのは学園祭への期待ではなく、これから向かう王都への緊張だった。
「お祭り気分なんか関係ねぇよ。こっちはこれから地獄に踏み込むんだからな」
ライカはフードを指先で弾き、苛立つように吐き捨てる。
「僕は……どうでもいい」
無機質な声でニースが答えた。
炎の瞳は揺れることなく、ただ前だけを見据えている。
その会話を、魔女帽子を被ったクラリスが「はいはい」と手を叩いて遮る。
「余計な口を挟まない!これからが本番なんだから。心を一つにしなさい」
彼女の声は張り詰めた空気を和らげつつも、強い緊張感を残した。
そこへ校長が姿を現す。
老齢の瞳は光を宿し、一人ひとりを見渡す。
「全員、揃ったね」
低く響く声に、誰も逆らえない威厳があった。
校長は黒い外套を羽織り、深くフードをかぶった生徒たちを見渡す。
「アンジー、頼んだよ。シュネ、ライカ、クラリス先生はアンジーたちのサポートを。――ニースは私と共に来なさい」
「……分かりました」
アンジーは小さく胸に手を当てて頷く。
その金髪がフードの隙間からわずかに光をこぼした。
「さあ、行こうか」
校長の声が落ちた瞬間、周囲はきらきらとした光に包まれる。
次に目を開いたとき、そこは王都の中心だった。
荘厳にそびえる城が眼前に広がる。
白亜の壁は陽光を反射し、清らかに輝くはずなのに、どこか不気味な影をまとっていた。
塔の先端は鉤爪のように天を掴み、窓からは仄暗い瘴気のようなものが滲み出ている。
城下町のざわめきは消え、喧騒も聞こえなかった。
「……静かすぎる」
クラリスが栗毛の髪を揺らし、低く呟いた。
確かに、王都の通りは異様なほど静まり返っていた。
露店の屋台もそのまま、旗もはためいているのに、まるで人々だけがこの世から切り取られたようだ。
やがて門兵が二人、城門に姿を現す。
だが校長の顔を見ると、すぐに剣を下げ、無言で道を開けた。
その瞬間、黒い影が天から舞い降りる。――一羽のカラスだ。
カラスはカァと鳴き、校長の前を羽ばたく。
まるで「ついてこい」と言わんばかりに。
「案内役か……」
シュネが眉をひそめた。
氷色の瞳が、禍々しい気配を察して細くなる。
廊下に足を踏み入れると、さらに不気味さが増した。
赤い絨毯は磨かれたばかりのように輝くが、そこには一人の足跡もなく、シャンデリアの灯火も虚ろに揺れているだけだった。
「不気味ね……」
クラリスが帽子のつばを下げ、杖を構える。
そこで一羽のカラスは羽ばたきとやめ、その先にいる人物の手に両足を乗せた。
「お久しぶりですね、みなさん」
差し込む日差しがその顔を照らし出す。
「あなたは……!!」
クラリスが驚愕の声をあげた。
姿を現したのは、かつて魔法律で裁かれるはずだったシルヴィアだった。
黒髪は艶やかに波打ち、以前よりも妖艶さを増している。その唇には挑発的な笑みが浮かんでいた。
「なぜ、あなたがここに……!」
クラリスの声は怒りと警戒で震える。
「ふふ。説明する必要があるかしら?」
シルヴィアは桜色の魔力を纏わせ、扇子を広げた。
その瞳は底知れぬ闇に染まっている。
「大人数で来られると、あの方も恥ずかしがってしまうわ。5人くらい残っていただけるかしら?」
「お断りよ!」
クラリスは杖を振ると、瞬時に氷の槍を生み出し放った。
鋭い氷柱が一直線にシルヴィアを貫かんと走る。
だがシルヴィアは扇子をひらりと舞わせるだけで風を巻き起こし、氷を粉々に砕いた。
風の流れには桜の花びらが舞い、ひとひらひとひらが刃のように煌めく。
「桜嵐……!」
アンジーが息を呑む。
花びらが廊下一面を埋め尽くし、壁を切り裂き、床に無数の傷を刻んでいく。
クラリスは怯むことなく炎を生み出し、花びらを焼き払った。
「わたしをなめてもらっちゃ困るわよ!」
土煙にまかれる風、氷と桜が交錯し、城内の空気は轟音と爆光で揺れ動く。
シルヴィアはさらに扇子を掲げ、闇色の魔力を滲ませた。
「黒桜……散りなさい」
桜の花びらが黒に染まり、鋭い刃となってクラリスへ殺到する。
「ッ……!」
クラリスは土壁を即座に形成し、直撃を防ぐ。
しかし壁は一瞬で削り取られ、彼女の頬をかすめた黒桜が床を深々と抉る。
「これは……闇魔法を混ぜた桜!」
杖を振り上げ、今度は雷を迸らせるクラリス。
稲妻が黒桜を焼き尽くし、空気を震わせる。
「わたしがここを食い止める!あなたたちは急ぎなさい!」
クラリスの声が響いた。
「行かせると思うかしら?」
シルヴィアが再び魔力を解き放とうとするが、クラリスはすかさず巨大な障壁魔法を展開する。
「今だ…!この隙に、こちらへ!」
校長が叫び、アンジーたちを別の通路へと導いた。
一行は走り抜ける。
「だけど…これで確定しちまったな」
「そうだな。サイラス王と闇魔法の間には深い関わりがあるということだ」
校長の横顔は険しくなる。
「嫌な予感が的中してしまったか……」
「このまま地下牢まで全員で行きますか?」
アンジーの問いに対し、無機質な声でニースが立ち止まった。
「いや……ここでお別れだ」
高くそびえる階段。
その先に、荘厳な扉がそびえている。
そこからは、誰も感じたことのないほど禍々しい魔力が滲み出ていた。
「あっちは僕を呼んでるみたいだよ」
「一人でなんて、危険です!」
アンジーの琥珀色の瞳が揺れる。
「そうだ。何が待ち受けているか分からない。先に地下牢へ行った方が得策だ」
シュネの声にも焦りが滲む。
「向こうは待ってくれない。いいの?……一歩でも動いたら、きみたちの頭が飛ぶ」
その冷たい現実を告げる声に、一同は沈黙した。
「ならば私が共に行こう」
校長が静かに言う。
「アンジー、シュネ、ライカ……『僕』のことを、頼んだ」
ニースは深く頭を下げた。
「地下牢への行き方は、彼女に従って」
ふっと息を吐くと、ニースの魔獣であるアウロラが姿を現す。
「よろしく…ね?」
「大丈夫です。そのために来ました!お友達に頼まれたら、必ず遂行します!」
アンジーの声は震えながらも、強い決意に満ちていた。
「安心しろ。絶対に助けてやる」
ライカが短く言い放つ。
「行くぞ……!」
シュネの冷たい瞳が鋭く光り、一行は再び走り出した。
残されたニースの炎の瞳は、扉の向こうをただ静かに見据えていた――。




