第88話: 明かされる真実と、今すぐの決断
ニースの長い説明が終わると、校長室は水を打ったように静まり返った。
重苦しい沈黙を破ったのは、クラリスだった。
「……その後は大変だったのよ」
気の強い声で空気を動かしながらも、その瞳はどこか遠くを見つめていた。
「偶然、わたしが魔法都市近くの森を歩いていたら、近衛兵たちと……ボロ雑巾みたいに傷だらけのこいつが倒れていたの」
その場にいた全員が思わず視線をニースに向ける。
無機質な炎の瞳は、変わらず冷え切っていた。
「変な事件に首を突っ込みたくなんかなかったわ。でも……こいつが、小さな声で“助けて”って言った気がしたの」
クラリスは肩をすくめ、苦笑混じりに言葉を続けた。
「だから、近衛兵をかいくぐって、なんとかここまで連れてきたってわけ。ここなら魔法律も効果ないしね」
「あの時は世話になったよ」
「本当に思ってる?」
「うん、思ってる…」
その一方で、全員の心に浮かんでいるのはただ一つ。
「えっと…その…ニースさん」
――じゃあ、お前は一体、何者なんだ。
その問いを代弁するように、ニースが口を開く。
「わかってる。君の言いたいこと。僕はね……魂のない空っぽの存在だ」
無表情のまま、淡々と語る。
「ここにあるのは記憶と、生命維持だけ。牢屋に残されたのは、ノワールが好物とする“魂”。おそらく今も、一人で戦っているだろう」
アンジーははっと息を呑んだ。
胸の奥が締めつけられる。
「僕は、僕を取り戻したい。そのためには――アンジー、君が必要だ。ノワールに打ち勝てる唯一の切り札だから」
思わず琥珀色の瞳に涙が滲む。
ニースの背後で積み重なった孤独を、どうして今まで気づけなかったのだろう。
図書館で一人、本を読み漁っていた姿が頭に浮かぶ。
「……」
涙が頬を伝う。
「泣いてる暇なんてないんだけど」
無機質な声が淡々と告げた。
「す、すいません……!」
慌てて涙を拭うアンジー。
その肩を庇うように、クラリスが声を張った。
「謝る必要なんてないのよ!あなたたちは、こいつが自分勝手に知らず知らずのうちに迷惑かけられてるから」
彼女は強く言い切り、魔女帽子を少し押し上げた。
「去年の学園祭のとき、大量のノワールが入ってきたでしょう?あれ、全部こいつのせいだから」
「はぁ……!?」
ライカが目を見開く。
「こいつは自分のことを語るのが嫌いなの。わたしもあの日までニースにそんな過去があったなんて知らなかったのよ。ほんと、迷惑なやつ!」
クラリスの言葉に、シュネも鋭い視線を向ける。
「なるほど……もしかして、学園祭の日。お前は学校外に出るために勝手に学校の結界を壊して、城の地下牢に入ろうとしたな?」
「そうよ。だって、あいつがいない日なら簡単に侵入できると思ったんだもん。実際…簡単だったけど…だけど、学校の結界が壊れたせいでノワールが、魔法学校に押し寄せちゃった。ごめんね」
悪びれる様子も一切ない抑揚のない声でニースは呟いた。
「言っとくけど、わたしは引き留めましたからね。怒鳴ったり、頬も引っ叩いてやったわ。それでも行こうとするから…わたしもついていくってことにしたの。でも地下牢に入った瞬間、ノワールの波が予想以上にすごくてね。急いで退散したの。逃げたノワールの行方も気になったし…」
「あれ、お前だったのかよ。超絶迷惑だった」
「結果的には、アンジーがノワールを光魔法で全部消してくれて事なきを得たけど…あれがなかったら…はぁ…」
クラリスはため息をついた。
「けど、自業自得よ。こいつは人を不幸にするだけで、何も得られなかった」
部屋に再び沈黙が訪れる。
シュネは組んでいた腕をほどき、氷の瞳を細めた。
「だがまだ疑問はある。……お前が王の血筋なら、炎魔法を使えるはずだ。俺は一度も見たことがない」
「たしかに。しかも、お前、風専攻じゃん」
鋭い追及に、ニースは小さく首を振った。
「それは…おいで、アウロラ」
彼は召喚の詠唱を口にする。
光が瞬き、肩に小さな存在が現れる。
アウロラ。フェニックス…。
「僕の炎は彼女にあげた」
アウロラはちろりと炎を吐いた。
「僕自身は、もう炎魔法を使えない。……いや、使いたくない。別に炎は使えなくても構わない。僕にはこれがある」
ニースは胸元から一冊の古びた手帳を取り出す。
丁寧に開かれたページには、数多の魔法陣が書き込まれていた。
「それは?」
「母様の形見。僕が生き延び、知識を積み重ねられたのは、この手帳のおかげ」
その声だけはわずかに熱を帯びていた。
謎に包まれていた少年の輪郭が、ようやく浮かび上がった。
――幼い頃に母を亡くし、豹変した父に牢へと閉じ込められ、炎を嫌悪し、魂と身体を分けられた存在。
それが、ニース。
「……質問はもうない?」
そう言い切ると、アンジーが小さく手を挙げた。
「あの……いつ、助けに行くのでしょうか?」
ニースの炎の瞳がこちらを捉える。
「今すぐ、だよ。僕には時間がない。今、1人で戦っているあの子さえ、いつキャパオーバーになるのか分からない」
「魂と身体が離れていることによるリスクも分からない状態なの。ことは一刻を争う状態なの。だから、協力してほしい!」
クラリスとニースは校長を見る。
「……許可はする…が」
静かに言葉を挟んだのは校長セリウスだった。
「生徒たちを守るために張った結界を破られたことは…正直怒りの気持ちと嬉しい気持ちの半分半分だ。そして、また君は生徒たちを危険に晒そうとしている…」
「ですが…校長先生!!」
「クラリス先生、話の途中だ。どうしたものかな…」
老練な視線は厳しく、だがどこか優しさを帯びている。
「そうだ。私と共に行けば全て解決だ」
その言葉に、空気が一変した。
運命を決める選択が、いま眼前に突きつけられているのだった。




