第85話: 裁きの影、炎の記憶
魔物との死闘から幾日かが経ち、魔法学校にはようやく穏やかな日常が戻っていた。
廊下には活気ある声が満ち、生徒たちはそれぞれの授業に駆け回っている。
まるで、あの惨劇など最初から存在しなかったかのように。
時期は学園祭の準備で忙しなく動いていた。
出し物をするクラスは何をするのか話し合っている姿も見えた。
アンジーのクラスーーー風魔法専攻クラスとしても何か出し物をしないといけない。
(何ができるのでしょうか…?だけど…)
けれど、その中心にいるアンジーは落ち着かない気分だった。
金色の髪を光に揺らし、琥珀の瞳を伏せながら歩くたびに、あちこちから視線を感じる。
「すごい魔法使いだ」「英雄だ」
と噂が囁かれるたびに、胸がむず痒くなった。
(皆が笑顔で過ごせるのは嬉しいことです。けれど……どうしてこんなに視線を浴びるのは落ち着かないのでしょうか)
せっかくシュネと付き合い始めたというのに、堂々と隣を歩くのが恥ずかしく思えてしまう。
シュネもライカも同じらしく、三人で歩いていても、何とも居心地が悪い空気が漂っていた。
「言いづらいんだけどさ……ちょっと一人になりてーよな」
黒髪のライカが不意に呟いた。
「それは……確かに」
アンジーも静かに頷く。
「俺に至っては被害者だがな。まったく割に合わん」
シュネが冷ややかに吐き捨てる。
そんな中、ライカがぽんと手を打った。
「じゃあよ、嫌がらせでもしに行くか? 例の図書館に」
「……なるほど、あそこなら静かだな。それに邪魔のしがいがある」
シュネが珍しくライカの提案に乗る。
「そ、そんな……だめですよ!」
アンジーは慌てて止めるが、二人はもう歩き出していた。
ちょうど角を曲がろうとしたとき――。
「おっと」
シュネが立ち止まった。その視線の先に、冷ややかな存在感が立ち塞がっていた。
「……父上」
息を呑むシュネ。
そこにいたのはシュネの父、アルトゥル・シュトゥルムだった。
「シュネ、ライカ……そしてアンジー、か」
アルトゥルの声は威厳に満ちていた。
「聞いたぞ。お前たちが素晴らしい成果を上げたこと、勲章を授かったこと。それに――」
「父上。そんなことはどうでもいいんです」
シュネが遮った。氷の瞳がわずかに揺れる。
「あなたがここに来たということは……」
「ああ。今回の一件は魔法律による裁きが下されることとなった」
アルトゥルは淡々と告げる。
「校長に話を伺ってきた。今回の首謀者――シルヴィア・サクレールには厳しい罰が下る」
「しかし……ここは魔法学校。王直下の魔法律の規律が介入しない場所では?」
シュネの声に、ライカが口を尖らせる。
「治外法権なんか、ここって」
「本来ならばそうだ。だが今回は王自ら決定を下した。今日訪問した理由は、シルヴィアの身柄をこちらで預かることに合意してもらうためだ」
「王…自ら?!」
アルトゥルの言葉をシュネは反芻する。
「ああ。闇魔法を利用し、生徒の生活を脅かした。それを王は憂慮されたのだ」
アンジーが震える声で尋ねた。
「では……シルヴィア先生は、王様によって裁かれるということでしょうか」
アルトゥルは無言で頷く。
前例のない事態に、三人は息を飲むしかなかった。
――おそらく、シルヴィアの姿を再び目にすることはない。
それほど厳しい罰が下るのだ。
そのとき、アルトゥルが思い出したように懐から一枚の紙を取り出した。
「そうだ。王より直接の依頼だ。国の重罪人がこの学校に紛れている可能性がある」
紙には粗い似顔絵が描かれていた。
少年の背丈、肩までの髪。無表情な顔。
「この人物を見たことはあるか?」
アンジーは首を傾げる。
「この方は……何をされたのでしょうか?」
「書類に、こんな重罪人が載っていたのを見たことがないのですが?」
シュネも眉をひそめる。
「王自らの依頼だ。理由は一切伝えられていない。だが王が重罪人と断じた以上、我らは従う」
「うーん……こいつ……見たことねーな」
ライカは頭をかく。
「そうか。ならばいい。魔法都市に赴き、聞き込みをしてくるとしよう」
アルトゥルはそれだけ告げると、背を向けて歩き去っていった。
「変わんねーなー、あのおやっさん。坊ちゃん、早くお家に帰ってきてよー、くらい言ってやりゃいいのによ」
ライカが肩をすくめる。
しかしシュネは考え込むように紙を見つめていた。
「……あの人物」
アンジーも気付いたように口を開く。
「ニースさん……でしたか?」
「あ……そういや……そうじゃん」
ライカが目を見開く。
「なんで今まで思い出さなかったんだろ。あの目、あの髪……炎のような」
炎の瞳、炎の髪――特徴的すぎるその姿。
「そうよ、ニースのことよ」
背後から声がした。振り向けば、栗毛の長い髪を揺らしたクラリスが立っていた。
尖った魔女帽子を押さえながら、彼女はため息をつく。
「私も聞かれたのよ、さっき。でも、あいつの魔法のせいでどうしても思い出せなかったの」
「魔法?」
アンジーが尋ねる。
「記憶阻害魔法よ。相手の記憶に干渉する高度な術なの。普段は残っている記憶が、条件を満たしたとき思い出せなくなる」
「……犯罪者だから、ってことか?」
ライカが口を尖らせる。
「犯罪ねー。どうなのかしら」
クラリスは視線を逸らした。
「でも一つだけ言えるのは………私はもう、この案件を一人じゃ抱えきれないってこと」
そして、空に向かって声を投げた。
「ニース。どうせアンジーさんを巻き込むつもりなんでしょ? あんたは逃げも隠れもできない。校長も含めて、あんたの事情――過去を全部話すべきよ」
直後、空気が揺れた。
音もなく、そこに現れたのは炎の髪と炎の瞳を持つ少年――ニース。
「僕は最初から言っていた。時間がないって」
感情のない声が響く。
そして、琥珀の瞳をまっすぐに見つめた。
「アンジーと約束したんだ。ライカの一件が終わったら、手伝ってくれるって」
アンジーは小さく息を呑む。
ニースは静かに言った。
「だから、ちゃんと話すよ」
その瞳に炎が揺れた。




