第83話: 氷の瞳が溶ける時
校長は両手を組み、柔らかな声で言った。
「ここから先は私に任せなさい。君たちは君たちの大事な人に会いに行くと良い」
そう言うと、彼は静かに詠唱を始める。
次の瞬間、温かな光が三人を包み込み――その身体を転移させた。
気づけば、アンジー、ニース、ライカの三人は医務室に立っていた。
室内はひんやりと冷え切り、まるで時間が止まってしまったかのように静まり返っていた。
しかし、やがて――雪のように淡い光がふわりと舞い降りる。
一つひとつの光が、眠る生徒や教師の身体へと吸い込まれていった。
その光は、ベッドに横たわるシュネの胸元にも降り注ぐ。
「シュネさん……!」
アンジーは思わず駆け寄った。
金の髪が揺れ、琥珀の瞳が潤む。
彼女の呼び声に応えるかのように、シュネの長い睫毛がわずかに震えた。
そして――氷のように冷たい瞳が、ゆっくりと開かれる。
「……ここは、天国か?」
寝ぼけ眼のまま漏らす言葉に、アンジーは涙をこぼした。
「通常運転だな」
ライカが呆れ声をあげ、肩を竦めた。
隣のベッドでは、クラリスが身体を捻りながら、ゆっくりと起き上がる。
それを支えるようにニースはそっと彼女の背中に手を添える。
「クラリス…」
「あー、身体ばっきばき。……でも、よくやったわね、ニース。おつかれさま」
ふらつきながらも、彼女はニースの頭をわしゃりと撫でた。
その手に力は入っていない。
ニースは黙ってその手を受け止め、静かに重ねた。
「……子供扱いはやめてよ…」
感情の乏しい声だったが、クラリスは小さく笑った。
ベッドに横たわったままのシュネが問いかける。
「……全部、終わったのか?」
「はい。すべて終わりました」
アンジーは涙を拭い、笑顔を浮かべた。
シュネは目を細め、彼女をじっと見つめる。
「さすが……天使だ」
「……天使って言い方はやめてください!」
むっとしたように頬を染めるアンジー。
けれど、次の瞬間、何かを思い出したように声を強めた。
「そうでした……! 私、シュネさんにちゃんと伝えたいことがあるんです!」
そう言うと、彼の手をぎゅっと握りしめた。
「私……シュネさんのことが好きです!大好きです!あんたがとても大切な人なんです!」
突然の公開告白だった。
「はぁ?!お、おいおいおい!雰囲気とか考えろよアンジー!」
ライカが慌てて彼女の肩をがくがく揺さぶる。
クラリスも動揺して口を挟む。
「そ、そうよ! 教師が生徒の恋愛に口を出す気はないけど……そういう大事なことは二人きりの時に言うべきでしょ!」
そのやり取りを眺めながら、ニースはクラリスのベッドに腰掛け、足をぶらぶらさせていた。
「……だって。どうするの?」
投げられた問いに、シュネは狼狽したように呟いた。
ニースは淡々と魔法を展開し、シュネの身体を補助して起こす。
「ま、待て……頭が整理できない。それはLikeの方なのか?Loveの方なのか?」
「Loveです!」
まっすぐした瞳でシュネを見つめるアンジー。
その愚直なまでの告白に、氷の瞳が明らかに動揺する。
「君は未来だなんだって考えすぎだよ。君はこの世の神でもないんだから、『今』の君がどうしたいかって気持ちが重要なんじゃない?慈愛じゃなく、エゴ。生きる時間の少ない君は、エルフの一生よりもーーー残されていく者よりもーーー君がアンジーに何を残していくか、が重要だよ」
冷徹な言葉だが、不思議と温かさを含んでいた。
シュネはアンジーを見た。ライカとクラリスに挟まれて、恥ずかしそうに笑う少女。
初めて出会った日のことを思い出す。
アンジーの魔力が暴走した初めての出会いの時
ーーーあまりの彼女の美しさに見惚れ、自分が何を言ったのか覚えていなかった。
気づくとアンジーを置いて路地を歩いていた。
さっきの場所からそう遠くない。急いで戻ったが、彼女の姿はもうなかった。
辺りを探したが、あの揺れるシルクのような金色の髪も、太陽のような琥珀色の目をした彼女もーーー見つけることが出来なかった。
彼女の服装から、どこかの貴族のメイドーーー。
もう一度会いたい。
絶対に手放したりしない。
だからもう一度会った時は、どんな手を使ってでも彼女を自分の元へーーー
そして今、目の前で笑う彼女を見て、ドクンと胸が脈打つ。
シュネの目から、涙が零れ落ちる。
「し、シュネさん?! どこか痛むんですか?!」
アンジーが慌てて彼の下へ駆け寄る。
だが、彼はその腕を掴み、強く抱きしめた。
「……好きだ」
耳元に囁かれ、アンジーは驚きのあまり跳ねるように離れた。
手で耳を覆い、真っ赤になっている。
「ははっ。今さら怖気づいたか?……俺は離すつもりなんてないぞ」
「な、なにを見せられてんだ、あたしは!!」
ライカが叫んだ。
「アンジー! お前やべーやつに惚れられたぞ! んでもって、そのやべーやつに惚れてるお前も相当やべー!!」
矛先はニースに向く。
「お前もだ!恋愛童貞の坊ちゃんに火をつけやがって!!」
「いいじゃん。二人が幸せそうなんだから」
場は一転、にぎやかなおちゃらけモードに変わった。
シュネはアンジーの手を取り、瞳を真っ直ぐ向ける。
「俺は俺で精一杯……アンジーを幸せにするために生きる」
「シュネさん……!私も頑張ります!」
「お前らバカップルはそのまま入院でもしてろ!!」
ライカは頭を抱え、ツッコミが追いつかずに叫んだ。
こうして、医務室には久方ぶりの笑い声が満ちていた。
冷酷だった氷の瞳は、確かに溶けて――一人の少女へと注がれていた。




