第82話: 祈り、解き放たれる魂
炎が渦を巻き、風が唸りを上げて吹き荒れる。
その中心に立つのは、生徒であるはずの少年――ニースだった。
燃えるような赤い瞳と髪が揺れ、無機質な顔立ちは表情ひとつ変えない。
だが、その一挙手一投足は教師であるシルヴィアを確実に追い詰めていた。
「……生徒の身で、ここまでやるなんてすごいわね」
シルヴィアの笑顔は崩れない。
けれど頬には汗が伝い、風魔法で防ぎきれなかった衝撃が彼女の体を軋ませていた。
ニースは淡々と告げる。
「あんたじゃ、僕を止められない」
アウロラの炎が轟き、シルヴィアの足元を焼く。
彼女は桜の花弁を操り、風に乗せて刃の嵐を作り出す。
だがその嵐も、ニースの応用魔法による風の壁に阻まれ、かき消された。
「どうして……生徒ごときが……」
シルヴィアは後退しながら、それでもおっとりした声色を崩さず呟く。
「諦めなよ」
ニースは一歩、また一歩と迫る。
冷たく、揺らぎのない声。
「あんたはここで終わり」
追い詰められたシルヴィアは、最後の足掻きとばかりに声を張り上げた。
「いいの?わたしを倒したら、囚われた魂は解放できなくなるのよ!」
ふらふらと立ち上がったライカが、震える足で前に出た。
「はっ!ニース!そんな言葉に耳貸すなよ!!あたしらには……アンジーがいる。こいつがいる限り、魂は元に戻る!」
琥珀の瞳を見つめ、ライカは力強く言い放つ。
「……一度抜けた魂を戻すなんて、神の業よ。それこそ……エルフでもなければ無理なのよ!」
シルヴィアの声が震える。おっとりとした笑みのまま、けれどその言葉は焦燥を帯びていた。
ライカはしばし沈黙し、アンジーをじっと見つめた。
「……ライカさん?」
「な、なによ……その目は」
ライカはにやりと笑った。
「じゃあ、大丈夫じゃねーか」
そう言って、彼女はアンジーの耳に手を伸ばし、イヤリングを外した。
「あ……!」
アンジーが小さく声をあげ、慌てて耳を手で隠す。
「見せてやれよ、アンジー」
ライカはその背を押すように言った。
震える手で、アンジーは耳を覆っていた手を外す。
そこに現れたのは、人よりも長く尖った耳――エルフの証だった。
「ま、まさか……そんなことが……あり得るなんて……!」
初めてシルヴィアの声色が乱れた。
その瞳には狼狽が隠せない。
ライカは肩を揺らし、嫌みったらしく笑った。
「おい、センコー……キャラがぶれてんぞ。たかが生徒が光魔法なんて使えるかよ。あたしらより賢い頭なら、少しは考えろっつーの」
アンジーは顔を赤く染め、慌ててイヤリングを取り返すと、再び耳を隠すように装着した。
ニースは冷ややかに告げる。
「これで詰みだ。……あんたを生かしておく意味はない」
炎の瞳が細められる。
「アウロラ、燃やせ」
彼が杖を振りかざした瞬間――ぱしぃん、と音が響いた。
ニースの手首を掴み、その動きを止めた人物がいた。
「「校長先生!!」」
アンジーとライカが同時に叫ぶ。
「一大事だと聞いて帰ってきてみれば……うん、確かに一大事だね」
校長セリウスが、のんびりとした口調で言った。
「離せ」
ニースは無機質な声で告げる。
だが校長は優しい声で応じた。
「君は、手を汚してはいけない」
そのままニースの手から杖を奪い取ると、拘束呪文を発動させる。
シルヴィアの体を光の鎖が縛り、彼女はその場で動きを止めた。
残っていた教師たちも一斉に杖を構え、彼女を取り囲む。
「……やっぱりいい杖だ」
校長が呟く。
「返せ。それはあんたが触っていいものじゃない」
ニースの声は淡々としている。
校長は笑って肩をすくめた。
「悪かった」
素直に杖を返すと、ニースはそれを魔法陣に収めた。
「ここから先は大人の仕事だ。君たちの手を煩わせるわけにはいかない」
校長は振り返り、アンジーを見た。
「でも……アンジー。君だけは、もう少しだけ力を貸してくれるかい?」
「もちろんです、校長先生」
アンジーは胸に手を当て、深く頷いた。
やっと大人たちが来た――胸を撫で下ろす。もう大丈夫だと信じた。
「一発殴ってやりたかったよ」
ライカは唾を吐き捨てた。
「暴力は良くない。けど……君の気持ちもよくわかる」
校長は微笑み、ライカの頭に手を置いた。
「よく耐えたね」
治癒魔法が施され、ライカの顔色に血色が戻る。
「おお……体が軽い!」
ライカはぴょんぴょん跳ねて、試すように笑った。
校長はウィンクしながら告げた。
「さて、ここからは校長権限だ。ライカ、後ろにある桜の木を処理してくれ。思いっきりでいい」
ライカはにやりと笑い、校長と握手した。
「乗った! 今までの鬱憤、晴らさせてもらうぜ!」
杖を構え、大声で叫ぶ。
「ったくよ! お前のせいで陰口言われるわ、嫌がらせされるわ! もううんざりなんだよ! 二度とあたしに闇魔法を関わらせるんじゃねーー!」
雷が轟き、桜の巨木を真っ二つに裂いた。
燃え盛る炎に桜は散り散りとなり、灰となって崩れ落ちる。
「よしっ! 清々した!」
ライカが手をぱんっと打ち鳴らす。
校長はにこにこと笑い、拍手を送った。
「君はいい魔法使いになる。私が保証しよう」
そしてアンジーへと振り返る。
「じゃあ、アンジー。囚われた魂を解放してくれ」
「……はい」
燃える桜の中から、光が溢れ出すのが見えた。
「強く祈るんだ。君の祈りは、魂をあるべき場所へ導くだろう」
アンジーは目を閉じ、胸の奥から祈りを込める。
「光よ、迷える魂を導いてください……。
帰るべき場所へ……愛する人のもとへ……どうか」
その瞬間、淡い光が舞い上がり、囚われていた魂がひとつひとつ解き放たれていく。
後日、目撃した教師たちは口を揃えて言った。
――それはまるで、天女の舞のようだった、と。