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第81話: 魂なき炎、光は友を抱く

巨大な口が天から裂け落ちてくる。

黒い闇を凝縮したようなノワールの顎は、ただ獲物を飲み込むためだけに開かれていた。

金髪を振り乱しながら、アンジーは動けなかった。

逃げようにも足がすくみ、恐怖に体が縛られてしまう。


「――ッ!」


その瞬間、鋭い破裂音が響き渡った。


ばちぃいいん!

ノワールの顎は、まるで何か見えぬ壁に弾き返されたかのように、空中で揺らぎ後退する。

アンジーの琥珀の瞳が大きく見開かれる。自分は確かに食われかけていたはずだ。

なのに――守られた?


「な、なんで……」


アンジーが掠れた声を出す。

その異変にシルヴィアが目を細める。

おっとりとした笑顔は変わらない。けれど、その声には驚愕の色がにじんでいた。


「……まあ…。邪悪な光魔法は、あの方を拒絶するのね」


まるで長年の予想が確信に変わったかのような口ぶり。

しかし、すぐにシルヴィアは首を傾げ、あくまで柔らかい調子を崩さない。


「でも……お友達は大丈夫かしら?」


アンジーの視線が反射的に横を向く。

そこでは、もう一体のノワールがニースを丸呑みにしていた。


「ニースさん!!」


叫びがこだまする。

だが次の瞬間――ノワールの腹が不自然にうねり、中から何かを吐き出すように震えた。

ぐちょり、と湿った音を立てて吐き出されたのは、べちょべちょに濡れたニースだった。

それでも彼は、炎のような赤い瞳を揺らすこともなく、無機質な顔で立ち上がった。


「……不味かったのかな」


「え……?」


アンジーは息を呑む。

ニースは顔についた涎を淡々と拭い、何事もなかったように続けた。


「魂のない僕は、化け物の口に合わないらしい」


その言葉にシルヴィアの笑顔が凍り付く。


「魂……が、ない? そんなこと、ありえないわ。あなたは……じゃあ一体、なんなの?」


アンジーも息を詰め、震える声を漏らす。


「……に、ニースさん……?」


ニースは冷静な声で応える。


「僕は何者でもない。器だけが、自立して動いている。それだけの存在」


あまりに異様な告白に、アンジーは言葉を失った。

だが、ニースの瞳には一片の迷いもなかった。

彼は杖を掲げ、背後に控えるアウロラへと命じる。


「アウロラ。……すべて燃え尽くせ」


アウロラが咆哮をあげた。

灼熱の火柱が立ち昇り、教室全体を紅蓮に染めていく。

轟音にかき消されるほどの小さな声で、ニースはぽつりと呟いた。


「ああ……あの時と一緒だ」


その意味は誰にも分からない。

ただ、彼の表情は相変わらず無機質で、炎に照らされても感情を持たなかった。


「アンジー」


「……はい」


「僕はノワールとシルヴィアを抑える。その隙に……君はあの桜の中のライカを目覚めさせてほしい。君の光魔法なら、忌々しい負の桜を打ち払える。きっと魂も解放されるはず」


自分にしかできないこと――そう言ってくれたのは、誰よりも完璧なはずのニースだ。


「……私に、できるでしょうか」


「君にしかできない。お願いできる?」


アンジーは迷わなかった。


「……はい!」


ニースが手を振り下ろすと同時に、アウロラの炎が轟音とともに爆ぜた。

炎壁がシルヴィアとノワールを包み、アンジーの進路を作る。


「行って…!」


アンジーは駆けだす。


「させないわ!」


シルヴィアが風を操る。

桜の枝葉を刃のように変え、アンジーを切り裂こうと迫らせる。

だが、その刃を横から吹き飛ばしたのは、ニースの操る風魔法だった。


「……邪魔だよ」


短く、冷たい声。それでも確かな支えに背を押され、アンジーは桜の根元へ辿り着いた。

そこには、闇に飲み込まれたような光景が広がっていた。

黒い蔦が無数に蠢き、まるで意思を持つかのようにライカの身体を締め上げている。

彼女は眠りながらも、痛みに耐えるように眉をひそめ、息を詰まらせていた。


「ライカさん……! 助けに来ました! 絶対に、諦めないでください!」


アンジーは駆け寄り、素手で蔦を剥がそうとする。

しかし触れるたび、蔦はまるで生き物のように再び絡みつき、彼女の手首をも噛み締めて離さない。

その冷たい感触に、彼女の胸の奥が怒りと焦燥で燃え上がる。


「離してください……!その人は、わたしの……大切なお友達なんです!!」


叫びが夜空に響く。

それでも闇は嗤うように、さらに強くライカを包み込んだ。

アンジーの手が震える。歯を食いしばる。

そして――


「絶対に……絶対に、助けます!!」


その瞬間、彼女の心の奥で何かが弾けた。

熱。

それはかつて封じられたはずの、彼女自身の“真なる光”だった。


黄金の髪がふわりと舞い上がり、瞳の琥珀が星のように輝く。

アンジーの周囲に淡い光の粒が浮かび、やがて彼女の祈りに呼応するように渦を巻き始めた。

まるで天が彼女の叫びに答えたかのように――。


「だから……どうか、目覚めてください……ライカさん!!」


光が爆ぜた。


轟音と共に夜が裂け、黒い蔦が悲鳴のような音を立てて燃え尽きていく。

その光はただの魔法ではなかった。

“救いたい”という、ひとりの少女の祈りそのものだった。

ライカを覆っていた闇が霧散していく中、アンジーは倒れそうな身体を支えながら手を伸ばす。


「……帰ってきてください。……わたしは……あなたと、もう一度笑いたいんです」


その声に応えるように、ライカの指がわずかに動いた。

焦げた蔦の隙間から、彼女の黒い髪がふわりと揺れる。


そして、かすれた声が零れ落ちた。


「……アンジー……?」


アンジーの瞳から、涙が一粒こぼれ落ちる。

それはまるで、闇の世界に差し込む“はじめての光”のように、美しく――温かかった。


「そんな……ありえない……!」


初めてシルヴィアの笑顔が崩れ、絶望の色が浮かんだ。

ライカが呻き声を漏らし、蔦から解放されていく。

だが、闇は深く進行していた。

まだ体の奥に残る気配が、彼女を苦しめていた。


「ライカさん……遅くなって、申し訳ありません……!」


アンジーはその手を強く握った。

光が掌から溢れ、ライカを優しく包み込む。


「……あったけぇ」


ライカが震える声で呟く。

ゆっくりと瞼が開き、黒髪の少女は笑った。


「ありがとうな、アンジー」


その一言に、アンジーの胸が熱くなる。

完全に闇を祓ったライカは、アンジーに支えられながら立ち上がった。

そして振り向き、燃え盛る炎の向こうで戦うシルヴィアを睨みつける。


「おい、センコー……あたしはお前のこと、絶対に許さねぇからな!!!」


怒りの声は、炎よりも強く響いた。

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