第7話:今日から氷の主の屋敷でメイドとして働かせていただきます
「……歩くの、おせぇな」
屋敷に響いた低い声。振り返ったのは、長身のメイド――ライカ。
「す、すみませんっ……!」
アンジーは慌ててぺこりと頭を下げる。ライカは小さく舌打ちした。
「ったく……まあいい。道覚えろ。次、左に曲がる。でかい屋敷だから迷うなよ。朝は五時前に厨房集合。いいな?」
「ご、五時前ですか……?」
「おう。あいつ――シュネは七時には起きる。それに合わせて朝食を部屋に運ぶんだよ」
「わ、わかりました! 随分お早いんですね……」
「は? あいつにしちゃ遅い方だろ。八時には魔法律学校に行くしな。主席様だからよ」
その口調は皮肉っぽいけど、なんだかんだ誇らしげにも聞こえた。
* * *
厨房に着くと、ライカは手際よく朝食の準備を始める。
ふわっと漂う香ばしい匂いに、アンジーの鼻がくすぐられる。
「……おい、ぼーっとしてんなよ」
「す、すみません! ライカさん、すごく慣れてるんですね……!」
「当たり前だ。ここのメイドやって長ぇんだ」
「どれくらい働いていらっしゃるのですか?」
「5年」
「長いですね」
「そう。あいつに拾われて5年。うんざりする時間だろ?」
「そう、でしょうか…?」
「あー、それと……一応教えとくか」
ライカはスープに蓋をしながら話し出す。
「魔法律学校ってのは、貴族の子弟とか、魔法律省で働く奴らが通うとこだ。実践魔法は教えねぇ。法律、規制、そういうのを叩き込まれる」
「へえ……魔法、使わないんですね?」
「使うけど“行使”じゃねぇな。魔法は強すぎる。だから法律で縛る。それがこの国の仕組みだ」
「魔法を……法律で縛る……」
「シュトゥルム家はそのトップ。王家直属の魔法律省を代々仕切ってんだ。あの坊っちゃん、つまりはその後継」
「す、すごいお家柄なんですね……!」
「まぁな。魔法律省ってのは、魔法の使用審査、違法使用の摘発、魔法律の改定、あとは“特殊存在”の監視もする」
「特殊存在……?」
思わず、アンジーの背筋がこわばる。脳裏をよぎるのは、あの日のシュネの言葉。
――“魔力の制御もできないエルフが、貴族の街を出歩くな。次は罰を与える”。
(……やっぱり、私のこと……)
視線が自然と下を向いてしまう。でも、ライカの視線に気づいて、ハッと顔を上げた。
「し、失礼しました! 世間知らずで……でも、色々教えてくださってありがとうございます。ライカさんって、優しいんですね」
アンジーがふんわり笑うと、ライカは固まった。
「……お前さ、あたしのこと、怖くねぇの?」
「え? えーと……その……正直に言えば……ちょっとだけ、声が低くて……」
「そっちじゃねぇよ! 目とか、髪とか!」
ライカが目をそらす。その仕草に、アンジーは思い出す。
――エレナが、ライカのことを怖がっていた理由。
「あたしはな、墨黒一族の末裔だ」
「……すみぐろ……?」
「知らねぇなら、それでいい。調べんな。怯えんな。今まで通り接してくれりゃそれでいい」
その言葉はちょっと突き放してたけど、どこか優しかった。
「はい! よろしくお願いします! ライカ先輩っ!」
元気よく頭を下げるアンジーに、ライカは一瞬だけぽかんとした顔になった。
「……は。変な奴」
でもその背中は、ほんのちょっと――柔らかくなっていた気がした。