第77話: その心は誰のもの?
光魔法がついに発動した。
だが、その輝きはまだ不安定で、改善の余地を多く残していた。
アンジーは胸の内に小さな達成感を抱きつつも、同時に不安を隠せずにいた。
「……あの、私の能力のことなのですが」
彼女は遠慮がちに声を上げ、隣にいるシュネとニースへと視線を向ける。
「ライカさんにも、きちんとお話ししておいた方がよいでしょうか?」
琥珀色の瞳が真剣に揺れる。
シュネは一瞬考え込み、それから低い声で答えた。
「……ライカには話しても問題ないだろう。天から授かった天使の力だ。それを誇っていい」
「……!」
「きっとライカも喜ぶ。自信を持って伝えろ」
アンジーの表情がぱっと明るくなる。
「わかりました!」
言うが早いか、彼女はぱたぱたと駆け出し、廊下を走り抜けていった。
「アンジーさん、待ちなさい!」
クラリスが慌てて帽子を押さえ、裾を翻しながら後を追う。
「おい、一人で行くな!」
シュネが声を荒げるが、その足は届かない。決めたら即行動――アンジーの奔放さは誰も止められなかった。
静まり返った廊下に、二人だけが残される。
ニースはゆるりと目を細め、シュネに問いかけた。
「……君はさ、アンジーをどうしたいの?」
突き刺すような直球。
シュネは僅かに眉をひそめたが、すぐに腕を組んで淡々と返す。
「彼女の記憶が戻れば、天へ……エルフの里へ返す。それが俺の使命だ」
「好きなのに?」
あまりにも無遠慮な言葉に、空気が凍る。
だがシュネは目を逸らさず、淡々と続けた。
「……彼女のことは好いている。だが、戻るべき場所はあるだろう。落ちた雛を巣へ戻すようなものだ」
「でも、それって残酷じゃない? 人の手で掬い上げられた雛が、本当に仲間に受け入れられると思う?」
「…………」
「知ってる? エルフってすごく高慢なんだ。長寿で、神聖で、人間には到底届かない魔法の極意を知っている。そんな連中が、彼女を仲間として迎えると本気で思う?」
言葉は冷たく、しかし妙に現実味を帯びていた。
「それにさ……アンジーは追い出されたんじゃないの? 事実、誰も探しに来ないじゃないか」
シュネの眉がぴくりと動く。
「……だとしても。雛は親鳥と共にいなければ生きられない。だから彼女は帰すべきなんだ」
「好きなのに?」
二度目の問い。
シュネは苦々しく息を吐き、だがその瞳に宿る光は揺るがなかった。
「……長寿のエルフに恋をした男にできることをやるまでだ。好きだからこそ、彼女が一人にならないように。本来いるべき場所へ返す」
その答えを聞き、ニースはふっと視線を遠くへ投げる。
「……せっかく感情があるのに、素直に向き合えないって、大変だね」
* * *
学園の食堂。
いつもなら生徒たちの笑い声と談笑で溢れているはずの場所は、今や不気味な静けさに包まれていた。
半数以上の生徒が未だ眠り続け、目を覚まさない。残った者も恐怖から部屋に閉じこもり、食堂に顔を見せる者は数えるほどだった。
「ライカは見つかったか?」
席に着くなり、シュネが開口一番に問いかける。
アンジーは椅子に腰掛け、手元のパンを小さくちぎって口に運びながら答えた。
「いえ……見つかりません。今、ニースさんが痕跡を調べています」
ライカが姿を消して、すでに三日。
部屋を訪れても返事はなく、クラリスが無理やり扉を開けると、そこは空虚だった。
私物はほとんどなく、整理された机と棚。まるで最初から存在していなかったかのように。
「最後に会ったのは……私が気を失う前、でした」
琥珀の瞳が沈む。
あのときが最後の記憶。
どこかでノワールに襲われたのか。皆が必死で探し続けているが、手掛かりは一つもない。
「どこに……いらっしゃるのでしょうか」
「……俺もクラリス先生と共に、ノワールを調べている。出現の法則、襲われた生徒の共通点……犯人を特定するためにな」
「……犯人の目的が分からないのも、不気味ですね」
アンジーは小さく息を呑むと、思い出したように口を開いた。
「そういえば……ノワールが現れる直前、桜の木が揺れた気がしたんです」
エマとレオが襲われたあの日。
ノワールが教室の扉を破り、生徒たちに牙を剥いた瞬間。確かに桜がざわめいた。
シュネはしばらく考え込み、やがて低く頷いた。
「……なるほど。少しクラリス先生と調べてみよう」
「私も一緒に行きましょうか?」
「いや、危険だ。君を失えば、誰もノワールに立ち向かえない。お前は俺たちの最終兵器なんだ。ここは任せろ」
しゅん、と肩を落とすアンジー。その姿を見て、シュネはふっと笑みを零した。
「……と言うのは建前で。俺は君を失いたくない」
頬が一気に赤く染まる。
「あ、あのっ……シュネさん!前々から思っていたのですが…そういう言葉は困ります!それだと…まるで…」
言葉の続きを飲み込み、アンジーは慌てて視線を逸らす。
だが、シュネの瞳は優しく、それでいて遠い。自分を見つめながら、自分ではない何かを見据えているようで――。
胸が締めつけられる。
(……自惚れちゃ、だめです)
「どうした、アンジー?」
「い、いえっ! なんでもありません!」
慌てて笑顔を作る。
シュネは小さく頷き、「そうか」とだけ返した。
「食べ終わったら部屋まで送ろう」
「だ、大丈夫です! あ、ほら! ニースさんも一緒ですから!」
ちょうど横を通りかけたニースの腕をぱしっと掴む。
眠たげな目のニースは、嫌そうに眉を下げた。
「ちょっと……変なことに巻き込まないでよ」
その様子に、シュネが冷たく睨みを利かせる。
だがニースは飄々とした態度で、静かに呟いた。
「……自業自得だよ」
緊張と不安、そして微かな恋情を孕んだまま、夜は静かに更けていく。




