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第74話: 墨黒一族の記憶

クラリスの仕事部屋は、まるで小さな書庫が爆発したかのようだった。

床から天井まで書物と書類が積み上げられ、歩くたびに山が崩れそうになる。


「……ひでぇな」


ライカが呆れ声を漏らすと、クラリスは笑って手を振った。


「片づけようと思ってたんだけど、忙しくて」


そう言うとクラリスは指先をひらりと動かし、浮遊魔法で本や書類を宙に持ち上げ、一気に部屋の隅に積み直した。

ようやく床が現れ、座る場所が確保される。


「なに? 今日は何の集まり?」


本の隙間から顔を覗かせたのは、ニースだった。


「こいつもいてもいいかしら?」


クラリスが問いかけると、ライカは腕を組んだまま肩をすくめる。


「別に秘密の話じゃねぇし。勝手に聞いてろ」


ニースは「ふーん」と言い、紅茶を数人分、魔法で用意して配り始めた。

それぞれがぱらぱらと離れて腰を下ろしたところで、ようやくライカが口を開いた。


「……先に言っとく。あの化け物は確かに闇魔法で、あたしの一族の魔法だ」


一同の視線が集中する。ライカは深く息を吐き、言葉を続けた。


「知っての通り、あたしは“墨黒一族”って呼ばれてる。呪いを家業にしてた犯罪者一族だった。依頼があれば人を呪い殺し、残虐な行為を繰り返す……そんな連中だった」


全てが過去形。

今はなき一族の話を聞いて、アンジーは琥珀の瞳を揺らしながら、言葉を飲み込んだ。

ライカはさらに告げる。


「あの漆黒の口だけの魔物……あれの名前は『ノワール』って呼ばれている」


その名を聞いた瞬間、部屋の空気が冷たくなる。


「15歳を過ぎると成人の儀式って名前で、ノワールと契約して使役することができるようになるんだ」


「それじゃあ、ライカさんは契約していないんですね…」


「そりゃそうだ。幸いなことに今、あたしがこうして暮らしてるのも、幼かったからだよ。まあ…あんな気持ち悪い物体と契約なんかするかっつーの」


「ノワールはどういう物体なんですか…?」


「ノワールは意思を持たねぇ。ただ、利用者の魔力で動く。召喚獣とは別物だ。一族はノワールを神から与えられた神聖なる獣と呼び、人を呪い殺してきた」


「神……?それは誰ですか?」


エマが険しい顔をした。


「“リリエラ・ノクティス”っていう女神がいたらしい。あたしの一族はその女神が、ノワールを使って、人々を呪い殺した先に新しい世界を用意してくれるって信じてた」


「そんな怪しげな獣…はどこからやってきたのでしょうか…?」


「知らねぇよ。少なくともあたしが生きていた時から生活の一部として根付いていた。あれを使って人を殺すから、連中の心は痛くも痒くもねぇ。それに…女神からのお達しで、全人類を殺せって教えがあったらしいからな」


「……なのに、一族は滅んだ」


シュネの鋭い青の瞳がライカを射抜く。


「そんな強力な一族が、なぜ滅ぶ?」


ライカは一瞬目を伏せ、苦い記憶を掘り起こすように語り始めた。


* * *


それはまだライカが幼かった頃のこと。

墨黒一族は夜ごと火を囲み、ノワールを飛ばしては笑い、呪いを繰り返していた。

ある日、貴族風の男が屋敷を訪れた。

豪奢な服をまとい、騎士を連れ、大きな馬車で現れたのだ。

その傍らにはライカと同じ年頃の少年もいた。

顔は、よく覚えていない。

両親はその男と話をしたあと、信じられないほど嬉しそうに笑った。

とても良い仕事を持ちかけられたのだと分かった。


ーーーだが、それを境に一族は狂い始めた。


夜だけだった呪いは朝も昼も繰り返され、隠すことをやめた。

金は溢れ、食卓には豪華な料理が並んだ。

両親も一族も、欲に取り憑かれたように喜び、笑い続けていた。


そして――ある朝。


「ノワールが……急に意思を持ちやがった」


ライカの声は震えていた。


「一族を……全員、殺した」


耳に残る悲鳴。

焼けるような匂い。

ライカは必死で小屋に逃げ込み、耳を塞いだ。

やがて静けさが訪れ、恐る恐る外を覗いたとき、そこには血に染まったノワールがいた。


「……あたしにも近づいてきたさ。匂いを嗅ぐみたいにして……それで、去っていった」


結果、ノワールと契約していなかったライカだけが生き残った。

一族は、絶滅した。

ライカは拳を握りしめる。

あの時の恐怖を思い出し、震えが止まらなくなった。


「……だから信じてくれ。あたしはやってねぇ。あの化け物はあたしには使えない。それだけは……信じてほしい」


その言葉には、荒々しさの奥に必死な願いが滲んでいた。


「ライカさん…」


「ライカさん、話してくれてありがとう。今まで…辛かったでしょう」


「あたしは別に…」


クラリスの長い睫毛がふるえ、目尻にきらりと雫が光った。

その瞬間、ライカの口からは――自分でも望んでいない言葉が、ぽろぽろと零れ落ちていく。


「いや、あたしが……悪いんだ。全部、あたしのせいで……」


喉の奥が焼けるみたいに痛いのに、止められなかった。


「慣れてるんだ。今までずっと…そういう扱いだったし。それ相応のことをやった一族だ。疑われるぐらいなんでもねーよ。だから、今回だって時が過ぎれば、きっと」


「強がらなくて大丈夫よ。ここにはあなたの味方しかいないわ。心配しないで…。あなたがどんな目に合おうとも、わたしたちは絶対にあなたを信じる。そして、教師であるわたしはあなたのことを守ると誓うわ」


クラリスはすっと歩み寄り、ライカの両肩に手を置いた。


「だから、大丈夫よ」


その声はいつもの冷静さとは違い、あたたかく力強かった。

ライカの胸の奥に、じんわりと勇気が灯る。


「あざっす…」


その隙間を縫うように、アンジーが小さく首を傾げた。


「あの……すいません。ノワールは漆黒なんですよね?でも、レイナ様を襲ったのは白と黒が混じっていました。少し違う気がします」


「……確かに」


シュネが頷いた。


「他にも疑問点が残る。もしノワールが意思を持たないなら、一族を殺したのは誰だ?他にノワールを操れる者がいた、ということじゃないのか?」


「……知らねぇよ。あたしの一族以外に使える人間なんていない」


ライカは顔を背けたが、声には苛立ちと同時に迷いが混じる。

クラリスが口を挟む。


「それに、不可思議なこともあるわ…レイナさんは魂だけ抜かれていたわよね。本来なら呪い殺されるはずなのに」


それまでずっと黙っていたニースがぽつりと呟く。


「不完全なんじゃない?」


「は?」


ライカが眉をひそめる。


「墨黒一族はリリエラ・ノクティスの力を借りていた。例えば…だけど、あれはノワールじゃなくて……その力を一部だけ受け継いだ別の人間の仕業かもしれない。君の一族と一般人の間に出来た子は、一族の力を使えたりするよね」


「……やけに詳しいな」


ライカが睨むと、ニースは肩をすくめて一冊の本を投げた。


『墨黒一族の全て』


不気味な題名のその本に、全員の視線が注がれる。


「本に書いてあったんだよ」


ニースは紅茶をすすりながら、涼しい顔をしていた。

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