第71話: 黒き疑惑にざわめく学校
朝の光が差し込み、花畑は一面に露をきらめかせていた。
アンジーは一人、その場所へ足を運んでいた。
ここは校長セリウスと共に手入れをしてきた、大切な花々が咲き誇る場所。
まだ誰の姿もなく、澄んだ空気の中で彼女は深呼吸をする。
「……ふぅ。今日も、気持ちの良い朝ですね」
金髪を風に揺らしながら、アンジーは杖を取り出した。
もらったばかりのそれを試したくて仕方がなかったのだ。
小さな浮遊魔法を紡ぎ、ジョウロを空に浮かせる。
さらさらと水が注がれ、花々は揺れながら朝を迎える。
「よし……ちゃんとできました。
自分でも嬉しくなって、アンジーは小さく頷いた。
その時、背後から声がかかる。
「元気そうだね、アンジー」
「――あ、校長先生!はい、花たちは今日も元気です!」
いつもの笑顔を浮かべた校長セリウスが現れた。
彼は花々を眺め、優しく目を細める。
「花たちも大事だが……わたしが言ったのは、君のことだよ」
「あ!そうでしたか!私は元気です!」
「なによりだ」
顔を赤らめるアンジーに、校長は声をあげて笑った。
だがその笑顔はすぐに陰を帯びる。
風が吹き抜けた瞬間、彼は少し寂しそうに目を伏せた。
「……アンジー。少し――いや、いつになるか分からないが、しばらくここに戻れなくなる。その間、この花畑の世話をお願いしてもいいかな?」
「もちろんです! でも……どうしてですか?」
問い返したアンジーに、校長は答えず、ただ肩を叩くだけだった。
その手の温かさが逆に不安を募らせる。
* * *
数時間後。
午後のSクラスの座学の教室にはいつもの顔ぶれが揃っていた。
アンジーは新しい教科書を手にしながら、少し安心する。
表紙に刻まれた紋章――これはシュトゥルム家が揃えてくれた大切な教材だ。
教壇に立つクラリスが咳払いをする。
「こほん。新しい学校生活には、もう慣れたかしら?」
相変わらずの落ち着いた口調で、彼女は教科書を開かせる前に話を切り出した。
「まず、授業を始める前にちょっといいかした?大事なことをみなさんにお伝えします。実は………校長先生が一ヶ月ほど不在になります。理由は魔法都市の地下にある魔力炉の一部が決壊したからです。ご存じの通り、魔力炉は都市全体を支える心臓部。放置すればオーバーフローを起こし、都市そのものが消滅しかねません」
教室にざわめきが走る。
「そんな……」「都市が……」
クラリスは頷き、表情を引き締める。
「修復には最低一ヶ月。複雑な構造を持つため、校長先生ほどの高度な魔法を扱える方でなければ対応できません」
アンジーは朝の会話を思い出す。
――花を頼む。
校長の悲しそうな目。
早く戻ってきてほしい、と胸の内で祈らずにはいられなかった。
「何が言いたいかというと!いーい?みんな…校長先生がいない間、面倒なことは起こさないでね!!」
クラリスは厳しい声で念を押した。
「くれぐれも、問題を起こさないように」
* * *
だが数時間後、その言葉はあっさりと破られる。
それは雷魔法専攻の授業でのことだった。
その場にはライカと――アンジーがかつて仕えていたカルディア家の令嬢、レイナの姿があった。
レイナは元Sクラスの生徒だ
だが召喚魔法の授業でアンジーに悪意を向け、反逆の魔法を使わせて退学へ追い込もうとした。
その悪事がシュネとライカによって暴かれ、彼女はFクラスへと降格した。
いまやカルディア家の恥。
それでもプライドの高さは変わらない。
そんな彼女は、墨黒一族の末裔であるライカを殊更に敵視していた。
シュネの従者であり、闇魔法を使役するライカ――嫌う理由はいくらでもあった。
その日の授業は校外で行われていた。
ライカたちの教師が、雷魔法の極意を語る最中のことだ。
レイナがふいにライカの背後に回り込む。
そして、すばやく彼女の杖を奪った。
「は?! おい、返せ!」
ライカが振り返った瞬間――。
「きゃああああっ!」
甲高い悲鳴の後、倒れ込むレイナ。
「は?!」
ライカは唖然とする。
地面に転がり、大袈裟に体を震わせるレイナがいた。
「い、いたぁぁいっ……!」
苦しげに声をあげながら、彼女は教師を呼ぶ。
「先生っ! ライカさんが……わたしに、雷を……いえっ、闇魔法を使いました!」
「はぁ?! 何言ってんだよ!」
ライカが怒鳴る間に、レイナは手にした杖を突きつける。
「証拠はここにあります! この杖から、闇魔法の痕跡が……!」
教師が凝視すると、確かに黒い魔力が杖の表面にじわりと浮かび上がっていた。
「これは……どういうことだ?」
教師の問いに、ライカは苛立ちを隠さず叫ぶ。
「知るかよ! そいつが勝手にあたしの杖を奪ったんだ! あたしは魔法なんて使ってねぇ!」
だが周囲の生徒たちは、すでに怯えた視線を彼女に向けていた。
墨黒一族――呪いと闇魔法に連なる名前。
疑いは恐ろしく速く広がっていく。
「……担任のクラリス先生を呼びます。授業の後、詳しく聞かせてもらいますから」
教師の冷たい声。
ライカは舌打ちをして、視線を逸らした。
「ちっ……」
その小さな音が、皆の恐怖をさらに煽ったのだった。




