第69話: 桜の下で選ばれる杖
二年生に進級したことで、ついに校内での魔法使用が許可されるようになった。
そのために必要なのが「杖」
――風魔法専攻の生徒たちは皆、少し浮き立った面持ちで大きな桜の下へと集められていた。
教室の奥にそびえる大きな一本の桜。
満開の桜は、枝いっぱいに花を咲かせ、淡い光をまとっているかのようにきらめいている。
「この桜には風の魔力が宿っています。自分に合った枝を、この木が答えてくれます」
先頭に立つシルヴィアが、春風に揺れる髪を押さえながら微笑んだ。
天然めいた柔らかさを持つ彼女の声に、生徒たちはわくわくと息を弾ませる。
その中で、アンジーは小さく首を傾げた。
いつも隣にいるはずの人物――ニースが、今日は見当たらない。
そういえば、彼は「杖はいらない」と言っていた気がする。
魔法を使うための必需品だとばかり思っていたアンジーには、どうしてもその理由が気になった。
「先生、質問してもよろしいでしょうか?」
おずおずと手を挙げるアンジーに、シルヴィアはにっこりと頷いた。
「杖を持つメリットは何ですか?杖がなくてもある程度魔法は使えますよね…」
生徒たちの視線が集まる中、シルヴィアは舞い落ちた花びらをそっと手のひらに受け止める。
「いい質問ですね。杖は魔法を安定させる媒体なのです」
彼女は杖を利用せず、花びらを宙に浮かそうと、わずかに魔力を流した。
ひらりと揺れた花弁は一瞬だけ持ち上がるが、すぐにバラバラと崩れて散ってしまう。
「このように、杖なしでは魔力が分散してしまうのです」
次に、彼女は杖を抜いた。
地面に広がった花びらが、しゃらん、と音を立てるように舞い上がり、整然と円を描きながら漂う。
「杖を通せば、魔力は安定し、望む形へと導かれる。脳が命令を出すなら、杖は神経……魔法を使うための身体の一部、と考えてください」
生徒たちは感嘆の声を上げた。アンジーもまた、目を輝かせて深く礼をする。
しかしシルヴィアは、ふと表情を和らげながら言葉を継いだ。
「もちろん、杖を使わずとも魔法を行使することはできます。ただしその分、膨大な負担がかかります。この学校に入る前や1年生の頃、魔法がうまく使えなくて苦戦した人も少なくはないでしょう」
その言葉に複数の生徒が無言で頷いた。
1年時は座学メイン。魔法を使う機会はほぼなかった。
だが、魔法陣から魔法を発動させる時、確かに、言われてみれば、魔力の制御が難しく、魔法の基礎すらうまく扱えなかったことを思い出す。
なにしろ魔法への理解が追いついていなかった。
「魔力制御をすべて自分で担わなければなりませんしね…。記憶に術式を完全に定着させる高度な技術が必要です……正直、校長先生ほどの実力がなければ到底無理でしょう」
「そうなんですね…」
アンジーは、いつか見たニースの姿を思い出した。
杖を持たず、当たり前のように高度な魔法を繰り出していた彼。魔法が身体の一部であるかのように自然に操るその姿は、今になって改めて異質に思えた。
「他に質問のある方は?」
シルヴィアが周囲を見渡すと、勢いよく手が挙がった。
「はい!」
元気な声に、クラス中の視線が集まる。
立ち上がったのは、金髪にオレンジ色の光を帯びた少女。
前髪をカチューシャで留め、オレンジの瞳をきらきらと輝かせている。
「エマ・コルネリオさんでいいかしら?」
「はい、間違いありません!」
少し偉そうに胸を張るが、その仕草には憎めない真っ直ぐさがあった。
「庶民が偉そうにすんなよ…」
そんな彼女の存在を疎む人間もいる。
ぼそりと呟かれた言葉は、彼女の耳に入る。
だが…
「はぁ?何か言った?入学式の時に言われたことを忘れたのかしら?ここでは身分は関係ないのよ!」
その程度で彼女は止まらない。
声のする方をぎろりと睨みつけると、発言者は縮こまり、居心地悪そうに視線を泳がせていた。
庶民出身ながら強い正義感を持つエマ。彼女なりに誇りを抱いているのだろう。
「エマさん、ご質問は?」
「失礼しました。一点だけ確認をしたくて質問をしました!杖を手にすれば、私たちは正式に学校内での魔法の使用許可が得られる……という解釈で正しいでしょうか?」
「ええ、そうですよ」
「分かりました。ありがとうございます」
シルヴィアが柔らかく答えると、エマは満足げに頷いた。
次の瞬間――
「じゃあ、早速! 僕からいいですか!!」
場の空気を切り裂くように、張りのある声が響いた。
振り返れば、垂れ目気味の緑の瞳を持つ青年が手を挙げていた。まつ毛は長く、ウェーブがかった髪は光を受けて紫がかって見える。
シルヴィアが名簿を確認して口にする。
「……レオポルト・ヴァレンティーノ君、かしら?」
「はい! レオとお呼びください!麗しき桜の精よ!」
キラリと歯を見せてウインクする彼に、女子生徒たちから「きゃー!」という悲鳴が上がる。気絶する者まで出て、あたりは一気に騒がしくなった。
アンジーは思わず彼を見やった。確かに整った顔立ちではあるけれど――。
いつの間にか隣にいたエマが小声でぼそりと呟く。
「あれのどこがいいのかしら?」
シルヴィアは笑顔を崩すことなく、「どうぞ、レオ君」と前へ促す。
レオは颯爽と歩き、モデルのようにポーズを決める。女子たちの黄色い歓声を背に受けながら、桜の木の前で立ち止まった。
「ん……先生!ここです!」
彼が指差した枝を、シルヴィアは目を細めて見上げる。
「なるほど……では」
彼女はそっと桜に語りかける。風に溶けるような優しい響きで呪文を唱える。
「桜樹よ、風を宿す枝よ。
選ばれし者に、その一片を」
すると、不思議なことに枝がひとりでにぽきりと折れ、レオの手元に落ちた。
「これが、あなたの杖です」
「おぉ……!」
レオは感慨深げに杖を見つめ、周囲からは再び歓声が沸き起こる。
「さあ、皆さんも前へどうぞ」
シルヴィアに促され、生徒たちはぞろぞろと桜の木の下へ進み出る。
アンジーも胸を高鳴らせながら芝生の上へ足を踏み入れた。
その瞬間――ふわりとした違和感に襲われる。
地面の感触が柔らかく沈むようで、心の奥に小さな吐き気のようなざらつきが広がった。
足を止めた彼女に、シルヴィアが声をかける。
「どうしましたか?そこに枝はないわよ?」
「い、いえ! なんでもありません! ちょっと緊張しちゃっただけです!」
慌てて笑みを浮かべ、アンジーは再び前へ駆け出した。
……今の感覚は何だったのだろう。
けれど、今は考えている余裕などない。
彼女は胸の鼓動を押さえつけながら、桜の下で自分に応える枝を探し始めた。




