第66話: 無表情の天才と星空の夜会
大広間に残された最後の挑戦者の名が告げられた。
「――ニース」
ひときわ静かなざわめきが広がる。
気だるげに赤と橙が混ざった髪をかき乱しながら、少年は前に出た。
どこか退屈そうな足取り。無表情。まるで試験そのものに興味がないかのようだった。
「最後の受験者ね。さあ、扉の中へ」
クラリスの声に、ニースは小さくあくびをしながら扉をくぐった。
* * *
――そこは、鋭い光の結界に覆われた空間だった。
幾何学的な光線が空間全体を支配し、ひとたび攻撃すれば即座に反撃、守れば圧し潰される。
進退を問う苛烈な実技試験。
「……めんどくさいな」
ぼそりと呟いた声は感情を欠き、無機質だった。
だが、瞳だけが一瞬、鋭く光る。
ニースは指先で床をなぞる。
すると、地面がぐにゃりと歪み、大きな空洞が開いていく。
異空間のはずなのに、彼は己の魔法を干渉させ、時空そのものを変形させたのだ。
「――全て、なくなれ」
ぽつりと零した声とともに、光の結界は時空ごと呑み込まれ、霧散する。
空間そのものを捻じ曲げ、存在を消し去ったのだ。
やがて空洞は閉じ、目の前にはただの通路が残った。
ニースはあくびを噛み殺しながら歩き出し、試練を“突破”するのではなく“飛び越えて”しまった。
* * *
光の中から現れた彼を見て、クラリスは思わず身を乗り出した。
「ちょっと待ちなさい! 学術試験と召喚試験は――」
「それ、受ける必要ある?」
あまりに無機質な返答に、クラリスは言葉を失う。
事も無げに言い放つ。
天才ゆえの冷淡さ。
「……じゃあ一応聞いておくわ。どこで、その魔法を習ったの?」
クラリスが問いかけると、ニースはポケットから小さな手帳を取り出した。
「図書館。……と、これ」
「その手帳は?」
「僕の大切な人が残していった魔法の手帳。僕が理解すると、次の魔法陣が勝手に浮かび上がる……世界で一番優しい教科書。見る?」
ほんの一瞬。
無表情な彼の顔に、懐かしむような影が差した。
「見ません!」
「あっそ…」
けれどそれはすぐに消え、再び感情のない仮面が戻る。
「杖もなしに、あんな高度な魔法を使ったら、あんた…脳がパンクするわよ」
「心配しないで。僕にはそれくらいしか取り柄がないから」
「十分すぎる取り柄なんだけど…」
「で、僕は合格? 不合格?」
「え?」
「ちなみに、僕を合格させずにアンジーたちと別れることになったら、僕はクラスに戻らない。……そしたら、僕の保護者兼担任であるクラリスは、色んな人に色んなことを言われることになるよ」
「っ……!」
クラリスは悔しそうに唇を噛み――そして叫んだ。
「合格よ!! 合格! 文句なしの合格!!」
口論でこの少年に勝てる気などしなかった。
ニースは満足げでも不満げでもなく、ただ無表情のまま移動魔法で姿を消した。
どうせ、行き先は図書館だろう。
「……ほんと、潜在能力は計り知れないわね」
クラリスは深いため息を吐き、だがその目は誇らしさを宿していた。
* * *
こうしてSクラス全員の進級試験は終了し、一年生は揃って進級が確定した。
その夜、学園の中庭で「おつかれパーティー」が開かれる。
それは進級パーティーだけではなく、卒業パーティーも兼ねてていた。
星空の下、色とりどりの魔法の花火が打ち上がる。
夜会のような華やかさに、生徒たちの笑い声が溶けていく。
「卒業おめでとうございます!」
三年生たちは晴れやかな顔で送り出されていた。
アンジーはカリナに駆け寄り、深く頭を下げる。
「カリナ先輩、本当にありがとうございました!」
「ふふん、アンジーちゃんも進級おめでと!」
ディーンと話していたカリナは声をかけられると、くるりと回る。
「先生!今後は一人の生徒ばっかり見ないでくださいね!あたし、ちょー寂しかったんだから!」
「そないなこと言われても、カリナはよーやっとるからなー」
「自慢の生徒?」
「あー、そやそや。自慢の生徒や」
若干、適当な返答ではあったが、ディーンの回答に満足したカリナは、改めてアンジーに向き直る。
「卒業後はどうするんですか?」
「王都の騎士団に入ることになったよ。もし会えたら、また会おうね!」
グリフォンが力強く翼を広げ、夜空へ舞い上がる。
その姿は未来を指し示すかのようだった。
一方、ライカはリオンと肩を叩き合う。
「リオン、ありがとな」
「はっ、当然だろ。……でも忘れるなよ、ライカ。お前はお前の力でやれる」
「耳にタコができるぐらい聞いたわ。で、卒業したら、どうすんだ?」
「親父の跡を継いで、魔導技師になる。魔法都市に来たら声かけろよ」
「チッ、わかったよ」
照れ隠しのように顔を背けながらも、ライカの瞳はわずかに潤んでいた。
カリナとリオンに軽く手を振って、3人は軽食を楽しむ。
すると、花火が夜空を覆い尽くす。紅、蒼、金、紫。
魔法ならではの煌びやかさに、誰もが息を呑む。
アンジーは思わず手を胸に当て、見惚れていた。
隣に立つシュネがちらりと横顔を見やる。
「……そんなに綺麗か?」
「はい! すっごく……!」
「……そうか」
「くしゅん!」
夜風をあび、アンジーは小さなくしゃみをする。
その様子を見たライカはシュネの肩を軽く叩く。
「?」
顎で合図をするライカに、はっと気づき、シュネはアンジーとそっと距離を縮める。
そして、彼女の肩に自分のそっと自身の上着を掛けた。
アンジーは驚いた顔で彼を見上げる。
「え……あの、シュネさん……?」
「風邪を引かれても困る、からな」
ぶっきらぼうな声。だが、花火に照らされた横顔は、ほんの少しだけ赤く染まっているように見えた。
アンジーの頬もまた、花火より熱を帯びていく。
こうして、Sクラスの一年は幕を下ろす。
星空の下、新たな道がそれぞれに開かれていた。




