第62話: お勉強のお時間です
そして月日は流れ、いよいよ一年の締めくくりが近づいていた。
これまでの授業は基礎ばかりで、魔力の扱いに慣れることが中心だった。
だが、今日からは違う。
来年を見越して、実戦を想定した魔法陣の授業が始まるのだ。
Sクラスの教室。
窓から差し込む光を背に、教壇に立つのはクラリス。
栗毛の長い髪を揺らしながら、黒板にチョークを走らせる。
「いい? 今日扱うのは浮遊魔法の魔法陣よ」
すらすらと描かれていく白い線が、幾何学模様を形づくっていく。
その手際の美しさに、生徒たちは自然と息を呑んだ。
「これは、2年生に上がるための試験でも必ず使う基本魔法よ。ここから応用が広がっていくから、しっかり覚えてね」
黒板に描かれた魔法陣は、見た目には簡素に見える。
円と三角、中心に刻まれた符号――それだけのはずなのに、ただの図形とは違う“力”の気配を漂わせていた。
「では、紙に写してみましょう。何か小物を置いて、魔力を込めて浮かせてごらんなさい」
クラリスが軽やかに告げると、教室にペンの音が走った。
アンジーも魔法陣を描き、机の上に消しゴムを置いた。
小さく深呼吸して、魔力を注ぎ込む。
次の瞬間――
ぽーーーんっ!
消しゴムが、天井に届きそうな勢いで跳ね上がった。
「きゃっ!」
思わず肩をすくめるアンジー。
クラスのあちこちからくすくすと笑い声が漏れる。
視線を感じて顔を上げると、隣の席のシュネさんと目が合った。
彼は口の端をわずかに持ち上げ、ほんの少しだけ笑っている。
普段の冷ややかさとは違う、柔らかい光を宿した瞳。
アンジーの頬が一瞬で熱を帯び、慌てて視線をそらした。
最近、彼からの視線が妙に甘くて、どうにも落ち着かない。
「アンジーさん、力の込め方が強すぎよ。もっと“そっと”……集中して」
クラリスの注意に、アンジーは顔を赤くしたまま頷いた。
「は、はいっ!」
再び魔法陣を描き直す。
今度は慎重すぎたのか、消しゴムは数センチ浮いただけで落ちてしまった。
教室のあちこちからも同じような声が上がる。
どうやら失敗は珍しくないらしい。アンジーは胸を撫で下ろした。
クラリスが手を叩き、生徒たちの注意を集める。
「はい、ここで一旦中断。――さて、みんな気になっているわよね。二年生への昇格試験について」
ざわ、と教室が揺れた。
クラリスは栗毛を揺らしながら、にっこりと生徒たちを見渡す。
「試験は三部構成。実技、召喚、学術。これらを突破すれば、晴れて二年生よ」
「実技って…なにすんの?」
と、ライカが質問すると、クラリスはさらりと返答する。
「敵が出るわ」
「は!?…敵!?全然楽じゃないし、危険じゃん!」
「確かに模擬敵は出るわ。でも安心して。魔法陣をその場で描いてもいいし、あらかじめ準備して持ち込んでもいいの。応用も効くから、工夫次第で楽になるわ」
「はぁ……あたしは殴ったほうが早いんだけど」
ぼやくライカに、周囲からくすりと笑いがこぼれる。
「次は召喚試験。契約している魔獣と一緒に戦ってもらうわ。ただし、戦闘は指定の空間でのみ。他の試験中には使えないの」
アンジーの胸が少し高鳴った。
自分の契約獣と共に戦える――それは不安よりも期待を呼び起こす。
「最後は学術試験。問いに答える、筆記試験みたいなものよ。これが一番安心できるかしら」
クラリスはそう締めくくり、明るく笑った。
「1年間勉強した内容を出し切れば、落ちる生徒はまずいないわ。大丈夫。胸を張って挑みなさい」
その言葉に、教室の空気が少し和らぐ。
「ちょっと怖いですね…シュネさん」
ふと横を見ると、シュネさんが静かにノートを閉じていた。
その横顔は相変わらず冷ややかに整っているのに、視線だけがアンジーを追っている。
――その眼差しに気づいているのは、たぶんアンジーだけだった。




