第60話: アンジーとハティルの挑戦―
闘技場に乾いた風が吹き抜けた。
観客席を埋める生徒たちがざわめき、その中心で、次の試合が始まろうとしている。
「さぁ、次なる一戦!勤勉ちの1年生、アンジー・スラッジと、その契約獣ハティル!対するは3年の実力者、カリナ・フォルネウスとその魔獣――蒼穹を駆けるグリフォン、スカイ!」
司会者の張りのある声に、場内は一気に熱を帯びた。
観客席からは歓声と同時に、どこか小馬鹿にしたような笑い声も混じる。
「子犬が相手だってよ!」
「グリフォンに勝つとか……無理無理!」
「でしゃばるなよー!」
アンジーはぎゅっと拳を握った。
怖くないと言えば嘘になる。
けれど、その横で小さな体を震わせながらも前を見据えるハティルがいる。
彼を信じる気持ちが、心の奥で揺らめいていた。
対するカリナは余裕の笑みを浮かべる。
「緊張しないで大丈夫だよ!勝負は一瞬で終わるだろうし。でも、少しだけ遊んであげるよ。スカイ、いってらっしゃい!」
天空から舞い降りたスカイは、白銀の翼を大きく広げ、獣じみた咆哮を響かせた。観客席からどよめきが走る。
開始の合図が鳴り響く。
――瞬間、ハティルが駆け出した。
小さな体は矢のように走り、鋭い牙でスカイへ飛びかかる。けれどグリフォンは余裕たっぷりに空へ舞い上がり、ひらりとかわす。
「全然届いてないじゃーん!」
「ちょこまかしてて笑えるな」
観客の嘲笑が響く。
スカイは空から子犬を見下ろし、羽ばたきの風で軽くあしらう。ハティルの牙も爪も、届きそうで届かない。
アンジーは息をのむが、それでも必死に声を飛ばした。
「がんばって、ハティル!」
その声に応えるように、ハティルは低く吠え、再び跳ねる。だがグリフォンの余裕は崩れない。
カリナはつまらなそうに肩をすくめた。
「うーん、まあこんなもんかなぁ…。時間ももったいないし……そろそろ終わりにしよっか。旋風舞」
スカイが翼を大きく広げ、青白い光をまとい始めた。大気が震える。
「あたしさー、キャラじゃないんだけど、ちょっとアンジーちゃんには嫉妬しちゃってんのよね」
一瞬後、轟音とともに光の突風が降り注いだ。
「だってさ、あたしの担任のディーン先生、アンジーちゃんにつきっきりだったんでしょ?クラスにも来ないから、2人の秘密の特訓?のぞいちゃったよ」
強力な風圧だ。
「ハティル!危ない!!――風翔壁!」
「超複雑!!」
アンジーは反射的にハティルへ魔力を流し込む。二人の間に風の壁が展開され、辛うじて攻撃を受け止めた。
地面が抉れ、砂煙が舞い上がる。
「んー?あれれ……防いだ?気のせいだよね」
カリナが目を細める。
「まあ、いいや。次は外さないよ」
スカイとカリナが再び魔力を練り上げる。
「疾風爪撃!」
第二撃は容赦なかった。
光をまとった爪が閃き、ハティルの体を弾き飛ばす。
「きゃうん!」
砂塵を転がり、か細い鳴き声をあげるハティル。
アンジーはカリナたちの素早い攻撃に即座に対応ができなかった。
魔力を送るタイミングがずれ、ハティルは正面から攻撃を受けてしまう。
小さな体は傷だらけで、立ち上がるのもやっとだった。
「ハティル……!」
アンジーは駆け寄りたい衝動を必死で抑えた。
試合の最中だ。
触れることはできない。
それでも、ハティルはよろよろと立ち上がった。
ハティルの瞳は、まっすぐにアンジーを見ている。
ー……もっと、力を。魔力を。
そう言ってる気がした。
声にならない願いが伝わってくる。
「けど、これ以上戦うのはー…」
ハティルから強い意志を感じた。
「あなたを信じていいの…?」
アンジーは息をのむ。
その瞳は、ただ勝ちたいのではない。
自分と共に戦いたい、その想いが宿っていた。
「……うん。私、信じる」
アンジーは胸に手を当て、深く息を吸った。
魔力の流れがすっと落ち着き、全身に広がる。
祈るようにハティルへ注ぎ込むと、小さな体が淡い光を帯び始めた。
――次の瞬間。
ハティルの体がひとまわり大きくなり、足元に風が渦巻いた。
耳元で雷鳴にも似た唸りが響き、観客席がどよめきに包まれる。
「な、なんだ今の……!」
「子犬が……進化した!?」
司会者が叫ぶ。
「おっと!こんなことありえるのか!?子犬――いや、これは嵐を抱く魔獣と言われるフェンリルじゃないか!?その真価を現したか!?」
カリナが眉をひそめる。
「おぉ!すごーい!ただの子犬じゃなかったんだ!!じゃあ、こっちも失礼のないように相手しないと」
スカイが再び羽ばたき、空から襲いかかる。
「スカイ!!奥義・蒼天裂翔!!」
青い残光を残しながら飛び回り、無数の風刃を生み出す。
このままハティルに向かって、降下すれば深い爪痕を残すことになる。
だが、ハティルは臆していなかった。
アンジーもハティルと同じ気持ちだった。
絶対に負けない。
2人で戦う。
「風の牙!」
アンジーの声と同時に、ハティルが跳び上がり、嵐をまとった牙を突き立てる。
スカイが唸り声をあげる。遊びは終わりだと告げるように、全身から凄まじい光を放った。
空と地上、二匹の魔獣が同時に跳んだ。
光と風が激突し、轟音が闘技場を揺らす。
――爆発。
白煙が一面に広がり、誰も結果を見通せない。
やがて煙が晴れた。
立っていたのは、ハティルだった。
だがそれも数秒だけ。
ハティルは、ぐらりと揺れて崩れ落ちる。
そして最後まで立っていたのはー…スカイだった。
「…………っ」
アンジーの胸が締めつけられる。
場内は一瞬、静寂に包まれた。
そして司会者の声が響いた。
「勝者――カリナ! ……しかし、皆さんご覧になったでしょう! 一年生アンジーとハティル、見事な健闘! これぞまさしく大波乱の一戦!」
割れんばかりの歓声が巻き起こった。
勝敗はついた。だが、誰もが目の前の子犬だったハティルの姿を忘れられなかった。
アンジーは倒れたハティルを抱きしめ、涙をこらえながら囁いた。
「ありがとう……ハティル。すっごく、かっこよかったよ」
彼女の金髪が風に揺れ、観客の目に焼きついていた。
その姿は敗者でありながら、確かに輝いていた。




