第5話:夜会でクビになったのに、なぜか貴族様の専属メイドに任命されました!?
「楽しみだわ!この日のために、街で一番豪華なドレスを買ったのよ。どう? 似合ってるでしょ?」
レイナは真紅のドレスに身を包み、うっとりと鏡を見つめる。
アンジーとメイド長・マチルダは、彼女のドレスに合わせた小物を机に並べていた。
宝石のように輝くネックレスとイヤリング。これだけあれば、夜会の注目は間違いなくレイナのものだ。
「まさかあの日、シュネ様から夜会のお誘いが来るなんて……ああ、探し回った甲斐があった!」
(探し回ったのは従者たちですが……)
あの日――アンジーが魔力を暴走させた日。
レイナは街にいるという噂を聞きつけ、従者たちを使ってシュネを探させた。結局見つからなかったが、代わりに届いたのが、シュネ直筆の夜会の招待状だった。
文面には「騒動の件について謝罪したい」とあり、あの日、あの時、街にいた貴族全員が招待されたらしい。
レイナはすぐさまドレスを返品し、さらに高価なものを買い直した。
“彼”に見初められるために。
選んだのは、誰よりも目を引く――鮮やかな赤。
「あっ……!」
アンジーがうっかり、イヤリングを床に落としてしまう。
「ちょっと! 気をつけなさいよ! 高かったんだから!」
レイナは怒りを露わにした。
「ほんと、連れて行きたくないけど……招待状に『メイドの同行必須』って書いてあるのよね。信じられない!」
「申し訳ありません……」
「いい? 今日の夜会では私から離れてなさい。あんたが傍にいるだけで恥なんだから! 一番奥の、暗くて見えない部屋でおとなしくしてなさい!」
アンジーはうなずき、深く頭を下げる。
***
夜会の会場――シュネの邸宅は、美しさと冷たさを兼ね備えた空間だった。
完璧に整った屋敷は見事だったが、不思議とぬくもりを感じなかった。
(なんだか……あまり歓迎されていないような)
アンジーは、堂々と絨毯の上を歩くレイナの背後に隠れながら、シュネの姿を探す。
「本日はお招きいただき、光栄ですわ」
レイナは甘い声をたっぷり含ませ、シュネに歩み寄る。
しかし、シュネの瞳は――彼女を素通りしていた。
「先日の騒ぎの非礼だ。今日は楽しめ」
(やっぱり、この人だ……)
アンジーは、あの日自分を助けてくれたのがシュネであると確信するが、立場的に近づくことはできない。
そこへ、ひとりの執事が近づいてきた。
「おい、お前、レイナお嬢様のメイドだな? これを持って行け。さっさと動け」
黒髪に黒く鋭い目、威圧感すら放つ執事がワイングラスを差し出す。
「はい、すぐに!」
「あ、ちょ――急ぐなっ!」
アンジーは勢いよくグラスを持って駆け出し――
ばしゃっ。
空気が凍る。
――レイナの真紅のドレスが、さらに真っ赤に染まった。
「あ、アンジー……っ!」
「申し訳ありませんっ、すぐ拭き――」
「もういいっ! あんたは即刻クビよ!! 今すぐ!出ていきなさい! ……それと、あんたの家族にもそれなりの報いを受けてもらうから、そのつもりで!」
「そんな……!」
顔から血の気が引いていくアンジー。
その時、シュネの声が場を切り裂いた。
「――滑稽だな」
「ええ? まったく、興が――」
「お前のことだよ、火だるま」
「……は?」
「もう一度言おうか。今のお前、まるで火だるまだ。似合ってるぞ」
会場の空気が凍りつく。
「な、なにを……このドレスは街でいちばん――」
「俺の前でわめくな。今、すこぶる気分がいいんだ」
そして、シュネはゆっくりとアンジーの方を向く。
「そこにいるメイド。……クビになったんだろう? だったら――
……俺の屋敷で働いてもらおう」
一瞬、時が止まったようだった。
「えっ……?」
アンジーは自分の耳を疑った。
だって今、自分は“クビ”になったはずで――
周囲の視線が一斉に彼女に集まる。戸惑い、驚き、困惑、そして、羨望。
でもその中で、彼だけはまっすぐにアンジーを見ていた。
嘲笑でも、同情でもない。
冷たく見えたその瞳の奥に、ほんのわずかに揺れる光があった。
「俺は仕事で忙しい。これにて夜会は終了だ」
まさかの打ち切り宣言に、集まった貴族たちは息を呑む。
非礼を詫びると言っておきながら、全く詫びる気のない男に小言の一つも言えない。
けれど、それが“氷の貴族”ことシュネという男のやり方なのだろう。
誰一人として文句ひとつ言えず、貴族たちは気まずそうに視線を交わしながら、しずしずと退場していく。
そんな中、エレナ――いや、“元”雇い主となったレイナが食い下がった。
「シュネ様! お待ちください…! 先ほどは、私のメイドが失礼をいたしました。どうか、もう少しだけ…ほんの少しで構いませんの!」
その言葉に、シュネは氷のような目で彼女を見下ろす。
「……“私の”? さっきお前は、彼女をクビにしたはずだ。今から彼女は――俺の従者だ」
「そ、それは…でも、私はカルディア家のレイナと申します!私、魔法の才がありまして、シュネ様の研究にお力添えできると考えているんです!いずれ機会があれば、ぜひ我が家にもご招待を――」
「一分一秒と惜しい。……ライカ、あれを追い出せ」
「了解。お前、出口はこっちだ」
名前を呼ばれた執事――ライカは、どこか面倒くさそうにレイナの腕を取った。
「なっ……執事ごときが私に触れるなんて――!」
レイナは怒りに満ちた声で振り払おうとしたが、次の瞬間、ライカの顔を見てぴたりと動きを止めた。
「……な、なんでこんなところに……墨黒が……!」
その顔は恐怖でひきつっていた。
「悪いか? ついでにお前のこと呪ってやろうか?」
「ひっ……! し、失礼いたしますわ!」
レイナは逃げるように背を向けると、赤いドレスの裾をひるがえして足早に立ち去っていく。
「お見送りしましょうかー?」
「け、結構ですわっ!」
ようやく静かになった会場で、シュネがふぅと息をついた。
「……さて、ようやく邪魔者がいなくなったな」
「……あの、シュネ様?」
アンジーが恐る恐る声をかけると、彼は真っ直ぐ彼女を見つめた。
「アンジー――いや、俺の天使。君のことを心より歓迎する」
「えっ……? わ、私……何かしましたでしょうか?」
「――あの時のエルフだろ?」
アンジーは息を呑んだ。
記憶の奥底で、あの日の光景が蘇る。
「姿は変わっていても、俺が天使を見間違えるわけがない。背格好、声、雰囲気……全部、あの時と同じだ」
「うわっ……気持ち悪っ」
小さく呟いたライカの言葉に、シュネは凍てつく視線を投げたが、困ったアンジーを放っておくほど無粋な男ではない。シュネはすぐに取り繕い、整った顔でアンジーの手を取る。
「……本当は、働かせるつもりはなかったんだが、後ろの悪魔がうるさくてな」
振り返ると、ライカが笑みとも不満とも取れない顔で肩をすくめていた。
「申し訳ないが、あれから仕事を教わってくれ」
「で、でも……私はレイナお嬢様のもとに戻らなければ。あの方の命令には逆らえません。それに……私の家族が、危険に――」
アンジーの表情に、一瞬だけ翳りが差した。
その言葉に、シュネは一歩近づき、低く静かな声で言った。
「問題ない。……その件は、すでに俺の方で処理してある」
「えっ……?」
「君の家族のことは俺が面倒を見よう。なにせ今後は――」
「……?」
「いや、なんでもない」
アンジーは、目の前の青年――シュネの言葉に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
なぜ、自分の正体を知っているのか。なぜ、ここまで一方的に受け入れられているのか。
そして――なぜ、そんなに嬉しそうに笑うのか。
「ふ……いい夜だ」
シュネはまるで心の底から満たされたかのように、穏やかな微笑みを浮かべていた。冷酷で知られる彼の顔に浮かぶその表情は、アンジーの知るどんな貴族のそれとも違っていて――
(わ、私……どうなっちゃうのでしょうか……?)
胸の奥がざわめく。得体の知れない予感を抱えながら、アンジーの新しい日常が、静かに幕を開けようとしていた――。