第39話: 図書館の亡霊③
次の日、朝の鐘が鳴るよりずっと早く――アンジーは台所に立っていた。
「よしっ、今日は……勝負です!」
昨日の問答で、ニースが食事をろくに取らず、図書館に籠もりっぱなしだとわかった。
だったら美味しいごはんを届ければ、きっと心もほぐれるはず。
もし気に入ってくれたら――
「じゃあ、明日もまた作ってあげます。でも、Sクラスに来てくれたら、です!」
……そんなふうに交渉できるかもしれない。
張り切って作ったのは、ふわとろ卵のオムライスと温かい野菜スープ。
にんじんを星型に切るあたりに、アンジーの気合いが表れている。
しかし――
「……普通」
図書室の奥で、スプーンを口に運んだニースは、無表情のまま呟いた。
「ふ、普通……ですか?」
「うん。まあ、栄養はある。けど……ごはんって、取れればいいだけだよ。無理して作るもんじゃない」
……見事に、空振りだった。
その日以降も、アンジーは図書室通いを続けた。
「アン…」
とライカが声をかけようとするが、アンジーは「おはようございます!」と元気よく返事を返し、走り去ってしまう。
「今日は一緒に朝食でもどうだ?」
「大丈夫です!間に合ってます!」
シュネやライカと一緒に食事しようと誘っても断って、図書室へ向かってしまう。
「アンジー……今日も行ったか」
「この前はうまそうなご飯作ってたなぁ〜。あれ、誰にために作ってんだか」
「天使の…手料理…だと!?」
「お前、目つき怖いぞ」
苦々しい声で呟くシュネの隣で、ライカが肩をすくめる。
体操服を着たアンジーは元気に「行ってきます!」と笑っていた。
「アンジー…」
けれど――その笑顔の裏にある焦りを、彼らは見逃していなかった。
今日は校庭での運動しよう、と誘いに行く。
アンジーは体操着に着替え、ピョンと跳ねるように図書室へ。
「ニースさん! 今日は体を動かしましょう!よかったら……一緒に行きませんか?」
「……体操?」
「はいっ! 魔法だけじゃなくて、身体づくりも大切って先生が言ってて。楽しいですよ、風に当たって走ったり、汗をかいたりして!」
しばしの沈黙。
ニースは本を閉じ、アンジーの顔をじっと見た。
「……じゃあ、少しだけ」
「えっ……本当ですか!?」
驚きと喜びで声が裏返るアンジーに、ニースは淡々と続ける。
「でも……やっぱりパス。無意味だ。魔法があれば、運動なんて必要ない。体力をつけるために汗をかくなんて……効率が悪すぎる」
「で、でも……! みんなと一緒に何かするって、楽しいことだと思うんです!」
「楽しさで、魔力は上がらないよ」
そのやり取りを、遠巻きに見ていたシュネとライカ。
「……なんであれとばっかり話してるんだ、アンジーは」
「なーに妬いてんだよ。お前、彼女の手料理すら食ったことねぇくせに」
「……黙れ」
ライカはニヤリと笑い、ポケットに手を突っ込んだ。
「ちょっと、脅しかけに行くか。脅迫は得意だろ?あたしらは」
* * *
夕方、今日もとぼとぼと図書室から帰るアンジーの背中を見送ったあと――
人気のない廊下で、シュネとライカはニースを呼び止めた。
「面を貸せ。図書館の亡霊さんよ」
「……なに?」
無表情のまま、ニースは二人を見る。
「お前が授業に出れば、アンジーは退学しなくて済む。知ってたか?」
「その話……本人からは聞いてない」
「だから何だってんだ。本人が恥ずかしくて言えないだけだろ。お前みたいなのが居座ってるせいで、あいつがどれだけ必死か分かってんのか?」
ニースはふっと息を吐いた。
「……もしその話が本当なら、彼女が自分の言葉で伝えるべきだ。彼女が努力しているなら、その努力が届くように。第三者が代わりに言ったところで、彼女の価値は上がらないよ」
「……っ」
「だから……あまり彼女に干渉しないほうがいい。彼女はできる人だ。きっと、僕の興味を引く何かを思いついてくれる」
ふと、ニースは廊下の先――別の方向へ視線を送った。
そこには、囲まれて立ち尽くすアンジーの姿があった。
彼女を囲むのは、あのレイナとその取り巻きたち。
レイナたちは「使用人のくせにまーーーだ居座ってんじゃないわよ!」「さっさと退学しなさい!」とアンジーに詰め寄っていた。
「……またか」
「あいつら……!行くぜ、シュネ」
ライカの低い声に、シュネもまた走り出す。
アンジーの元へ――彼女を助けるために。
そして、誰もいなくなった廊下で。
ニースは、独りごとのように呟いた。
「だから……過保護にしないほうが、いいんだよ」




