第38話: 図書館の亡霊②
図書室の奥は、昼間だというのにひんやりとしていた。
厚いカーテンからわずかに差し込む光が、舞い上がる埃を照らし、古びた紙の匂いが辺りを満たしている。
その静寂を破ったのは、ぱさり、と床に落ちた一冊の本だった。
赤とオレンジが混じった、夕焼けのような髪を乱しながら本を拾い上げる少年――ニースは、気だるげな仕草でアンジーを見上げた。
赤く染まる瞳が、一瞬だけ彼女をとらえ、すぐに解放する。
「……この前のエルフ、か」
「えっ……!? な、なんで分かるんですか!? 耳も隠れてるはずなのに……」
思わず慌ててイヤリングに触れるアンジー。
彼女の耳は幻影で人間の形に変わっているはずだ。
魔法具は確かに機能している。
けれど、ニースは当然のように断言した。
「同じ身だから。わかる」
「お、同じ……?」
「まあ、お互い色々とあるよね」
曖昧な言葉を残し、ニースは視線を逸らして本を開き直した。
ぱらぱらと紙の音だけが響く。
アンジーは胸の奥がざわつくのを感じながら、思わず彼の前に立ちふさがった。
「えっと……わ、私はアンジーと申します。一緒のSクラスなんです」
「へー。そうなんだ。よろしく。僕はニース」
視線は合わないまま、淡々と返ってくる言葉。
だが確かに会話は成立している。
アンジーは安堵しつつも、どこか落ち着かない気持ちで口を開いた。
「あなたは……Sクラスの方であっていますか?」
「うん」
「ずっとここにいらっしゃるのですか?」
「そう」
「本が好きなのですか?」
「うん、好き」
「魔法は好きですか?」
「まあまあ」
短く、必要最小限の答えばかり。
まるで会話の糸を結ばせまいとするかのようだ。
それでもアンジーはめげなかった。
「特待生と伺いました。魔法の使用許可ありますか? もし可能でしたら杖を見たいです!」
「許可は持ってるけど、杖はないよ。そもそもあんなものなくても魔法は使える」
「そうなんですか?」
「魔法陣を出力させるだけの媒体だからね。なくても出来るよ。慣れれば簡単」
淡々とした口調の裏に、自信というよりは退屈さが滲んでいた。
アンジーは驚きながらも、その飄々とした言い回しに興味を抱く。
質問をすれば、一応は答えてくれる。
無視はされていない。
だが、その瞳は本から一向に離れない。
片手間で返事をしているような、壁を隔てた会話だった。
「えっと……質問を変えますね。どうして授業に出ないんですか?」
「意味がないから」
「意味が……ない?」
「授業はお遊戯。ここで本を読んでる方が、ずっと知識を得られる」
突き放すような声に、アンジーは言葉を失った。
彼の言葉は冷たくはない。
けれど、そこには揺らぎのない確信があった。
退学の条件を思い出し、アンジーは小さく拳を握る。
「で、でも……せっかくの学校なのに……! クラスのみんなと一緒に学ぶのも大事じゃないですか?」
「無意味でしょ。三歳児と一緒に勉強なんて出来るはずがない」
きっぱりと断じられ、アンジーは唇を噛んだ。
彼の声に棘はない。
それでも、深い溝が横たわっているように思えた。
「じゃ、じゃあ、なんでこの学校に入ったんですか? 本なら他でも読めるのに……」
「ここならこの図書館が使えるから」
あまりにも率直で、あっさりとした答え。アンジーは拍子抜けして、思わずむっとした。
目の前の少年は、椅子の背もたれにだらりともたれ、髪をかき上げながら本をめくっている。
まるで「ここが自分の居場所だ」と言わんばかりの態度。
「……授業は受けてくれないんですか?」
「いやだ」
間髪入れず返されたその一言に、アンジーの心はぐらぐらと揺れた。
どうしてこんなにも壁を作るのだろう。
どうして、同じSクラスでありながら、彼は「図書館の亡霊」と呼ばれるほど孤立しているのだろう。
アンジーは考える。
クラスに戻すには、どんな言葉をかければいいのか。
どうすれば彼は心を開いてくれるのか。
しかし、考えれば考えるほど、頭が痛くなる。
静まり返った図書室の奥、ページを繰る音だけが響く。
その中で、アンジーはひとり、どうにかしてこの頑なな少年をクラスに連れ戻さねばならないという使命感に押され、途方に暮れていた。




