第36話: 優しい魔法の使い方
出席停止となったアンジーは、授業には出られないものの、寮からは出てよいと許可されていた。
その朝、ライカとシュネに誘われて、三人で食堂に足を運ぶ。
「……お二人には感謝してもしきれません。だって二人がいなかったら、きっと私は退学になってました」
感謝を口にするアンジーに、シュネはそっけなく肩をすくめ、ライカも不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「は? 別に大したことしてねぇし」
「そうだな。感謝されるほどのことではない」
「けど…」
「美しい天使は羽を少し休めて…堂々としていればいい」
「きもいわ、お前」
「失礼なやつだな。事実を述べて何が悪い」
いつもの様子の2人のやりとりを見て、アンジーはほんの少し笑顔をつくる。
「…ありがとうございます…」
アンジーの胸には改めて二人の存在の大きさが刻まれる。
「じゃあ、この辺でな」
「またあとで…」
チャイムが鳴り響き、三人は食堂の前で別れた。
授業へ向かう二人を見送ると、アンジーは一人、とぼとぼと校内を歩き始める。
「はぁ…」
ふと、建物の裏手に広がる景色に目を奪われた。
――花畑。
色とりどりの花々が、まるで魔法のように咲き誇っていた。白い花、赤い花、青い花……その光景に、アンジーの胸の奥で懐かしい感情がふっとくすぐられる。
「わぁ…きれいです。おばあさんもお庭でよく育ててました!あ、でも、この子…」
だが、一輪だけ。真っ白な花がしおれるように首を垂れていた。
「おや、お嬢さん。授業はいいのかい?」
優しい声に振り返ると、そこには泥だらけの服を着たおじさんが立っていた。
片手にシャベルを持ち、髪はぼさぼさで、無精ヒゲが伸び放題。
けれど、その瞳だけは穏やかで温かい。
「は!すいません…じゅ、授業は…えっと…ちょっと出られなくて…さぼりとかではないんです!!」
「ははは。焦らなくてもいいよ。皆それそれ事情もあるだろう」
「あ、あなたは……?」
「私は…そうだな。用務員のおじさんだよ。ここの花はぜんぶ、私が世話してるんだよ。君は?」
「アンジーと申します」
「そうか…アンジー…か」
そう言っておじさんは、しゃがみ込み、花の土を指先でほぐした。
泥だらけの指なのに、驚くほど丁寧で、花びらを扱う仕草には深い愛情がにじんでいる。
「すごく……きれいです。こんな花畑、見たことありません」
「そうかい。そう言ってもらえると嬉しいね」
アンジーは視線を落とし、しおれかけた一輪を見つめる。
「でも……あの花だけ、元気がないんです」
おじさんはにっこり笑った。
「じゃあ、魔法で一緒に咲かせてやろうか」
「…え!!…む、無理です。そんなのだめなんです!」
アンジーは、思わず本音をこぼしていた。
「それに…人を傷つけてしまいそうになって……あ…あと、まだ一年生だから、先生の前じゃないと魔法は使っちゃいけなくて……。私にそんな資格……」
言葉は途切れ、胸が締めつけられる。
おじさんはシャベルをそっと置き、土に手をかざすようにして言った。
「魔法はね、人を傷つけるためにあるんじゃないよ。花を育てたり、人を笑顔にしたりするためにもあるんだ」
「……でも」
「大丈夫」
おっとりとした声が、不思議なくらい心に染み渡る。
「私が許可する。一緒にやってごらん。君の魔力なら、きっと花は咲く。怖がることなんて、何もないさ」
アンジーはしゃがみ込み、弱った花の根元をじっと見つめた。
近づいてみると、ほんの少し白い根が土の奥から覗いている。
「……私が触ったら、また壊しちゃうかもしれません」
胸がぎゅっと締め付けられる。
以前、自分の魔力が暴れてしまったときの記憶がよみがえり、手がわずかに震えた。
おじさんはそんな彼女の指先をちらりと見て、ふわりと微笑む。
「大丈夫さ。君の手は、壊すためじゃなくて、守るためについてるんだよ」
その声に背中を押されるように、アンジーはそっと土に触れた。
かちかちに固まっていた土が、指の温かさで少しずつ崩れていく。
指先に伝わる柔らかさが、まるで花が呼吸を始めたように感じられた。
「少しだけ魔力をこめてごらん?私も一緒にやるから、ゆっくり、ゆっくり魔力をこめてみよう」
「こ、こうですか?」
「ああ、そうそう。上手だ」
アンジーの手に少しだけ触れると、アンジーはおじさんの優しい魔力を感じ取ることができた。
おじさんは満足げにうなずき、桶から水を柄杓で掬った。
「次は水だ。少しずつ、花に語りかけるように」
アンジーも真似をして、震える手で柄杓を持つ。
水面が揺れ、光がちらちらと跳ね返る。
「水にも少しだけ魔力をこめてみるといい。きっと元気のなるだろう」
「本当ですか…?」
「大丈夫。さっきうまくいったんだから、自信を持つと良い」
「はい………」
彼女は小さく息を整えてから、ゆっくりと魔力を水を注いだ。
そしてその水をちょっとだけ花にかけてみる。
雫が花の葉に触れて跳ね、虹色にきらめく。
その瞬間、胸の奥に溜まっていた黒い重石が、ほんの少し溶けていくのを感じた。
「……壊しませんでした」
自分の声が震えていた。
おじさんは優しく目を細め、風を手のひらで送る。葉が小さく震え、少しだけ頭を上げた。
「ほらね。君の魔力は怖いものじゃない。優しく使えば、こんなふうに命を育てることだってできるんだ」
アンジーの目に熱いものがにじむ。
「アンジー。君は誰からも愛される魔法使いだよ。これから、どんな試練があっても、絶対に乗り越えることができる」
怖くて、もう二度と使いたくないと思っていた魔法が……こんなふうに花を助けられるなんて。
その事実が、心の奥底に小さな光を灯した。
おじさんはやさしく笑った。
アンジーはその日から、花の世話をおじさんと一緒にするようになった――。
おじさんはしゃがみ込むと、土の表面を指先で軽くほぐした。
「見てごらん。根のまわりが固くなってるだろう? これじゃ息ができなくて、花も苦しいんだ」
指で土を崩すと、かちかちだった黒い土がふわりと柔らかくなる。
アンジーも恐る恐る真似をして、指先で小さく円を描くように土をほぐしていく。すると、土の奥から細い根が顔を出した。
「うわ……根っこ、ちょっと白いんですね」
「そうさ。元気な証拠だよ。優しくしてやれば、また息を吹き返す」
おじさんは木の桶から水をすくい、ゆっくりと土の根元に注いだ。
水が吸い込まれていく音がかすかに響く。じゅわりと広がる湿り気に、土の色が濃く変わっていくのをアンジーは見つめる。
「水はたっぷりすぎてもだめ、少なすぎてもだめ。花の呼吸に合わせるんだ」
「呼吸……」
アンジーも小さな柄杓を持ち、水をすこしずつ注いでみる。
透明な雫が花びらに跳ねて、陽の光を浴びてきらめいた。
おじさんは土の上に手をかざし、軽く風魔法を送った。
「こうして風を通してやると、根も空気を吸いやすくなる。……ほら、葉が少し持ち上がったろう?」
確かに、しおれていた葉がゆるりと震え、わずかに立ち上がった。
アンジーは目を見開き、胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。
***
――そして、事件から二週間が過ぎた。
クラリスとディーンに呼ばれたアンジーは、げっそりとした顔のレイナと対面することになる。
ディーンが口を開いた。
「協議の結果や。レイナはFクラス降格や。本来は退学でもええんやけど……温情ってやつやな」
「そして、アンジーさん。アンジーさんはー………」




