表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/130

第2話:ちょっとだけ魔力が暴走しました

その日は、雲ひとつない見事な青空だった。


アンジーはいつものように、レイナお嬢様のお付き――いや、正確には「立派な荷物持ち」として街へと向かう任務を仰せつかっていた。

カルディア家の馬車に詰め込まれた衣装箱や宝石箱、その他もろもろ。

ぎゅうぎゅうに積み上げられた荷物の山の後ろで、アンジーはバランスを取るのに必死だった。


「――きゃっ!?」


段差に足を取られ、山のような荷物がぐらりと傾いた。


慌てて押さえ込もうと身を乗り出した瞬間――。


ゴンッ。


「いたたた……っ!」


額に見事な角材を直撃。小鳥が飛び立つような衝撃が走り、思わずその場にしゃがみこんでしまった。


「だ、大丈夫かい!? あんた……また……」


周囲の使用人たちが慌てて駆け寄ってくる。

誰もが「またか」という顔をしながらも、心配そうに見守っていた。

アンジーは額を押さえつつ、必死に笑顔を作る。


「ふふ、大丈夫です! こう見えて打たれ強いので!」


笑顔の裏で、涙目になっていたのは秘密だ。

幌の隙間から差し込む陽光がアンジーの顔を照らす。


「今日は暑いですね!」


日よけ布をばさばさと頭にかぶせる。

その様子に、隣に座っていたメイド長マチルダが深々とため息をついた。


「……あんたは、よくやってる方だよ。少なくとも元気だけは取り柄だね」


「それって褒めてくれてますか?」


「褒めてるよ、褒めてる。でもねぇ……その元気、今日はちょっと空回りしてる。顔色がひどく悪いよ」


マチルダの視線が鋭く刺さる。

掃除から礼儀作法まで一から叩き込まれた、厳しくも頼れる人だ。

そんな彼女に見透かされると、どうにも誤魔化しがきかない。


「は、はいっ! 問題ありません!」


元気よく返事をしながらも、アンジーはそっと拳を握る。

――本当は、数日前からずっと体が妙だった。


熱っぽい。

視界がぼやける。

背筋を悪寒が走る。


普通の風邪とは違う。

なにかが体の奥で、ずっとじりじりと燃えているような感覚だった。


「“問題ない”って言って辞めていった子、何人も見てきたからね」


マチルダの声には重みがあった。

だがアンジーは笑って首を振る。


「ちょっと風邪気味なだけですから! 今日まで頑張れれば、明日はお休みですし! 寝て治します!」


両腕を力こぶポーズにしてみせると、マチルダは苦笑するしかなかった。


「……張り切りすぎて倒れるんじゃないよ」


「大丈夫ですっ!」


そうこうしているうちに馬車が止まった。


王都の繁華街。石畳に整然と並ぶ店々、賑やかな人波。

街の中心部は、カルディア家のような名家が優雅に買い物を楽しむ社交の場でもある。


もう一台の豪奢な馬車が停まると、そこからレイナお嬢様が姿を現した。


執事に手を取られ、舞台女優のように優雅に降り立つ。

群衆から自然と「おお……」という感嘆の声が漏れた。


注目を浴びる――まさに、それこそがレイナの望む舞台だった。


「さあ、レイナ。何が欲しい?」


「まずはお洋服を見に行きたいわ。お父様♪」


「好きなだけ選びなさい」


父娘の仲睦まじい会話に、通りすがりの市民がため息をもらす。


「やっぱりカルディア様だわ」「なんて気品……」


アンジーは一歩後ろで荷物を抱え、そっと笑みを浮かべた。

――だが、その笑顔はすぐに凍りつく。


「う、うぅ……!」


視界がぐにゃりと歪む。

喉が焼けるように熱い。


体の奥から、何かが吹き出す――。

いや、魔力だ。


制御できない奔流が、今にもあふれ出そうとしていた。


「アンジー!? どうしたんだい!」


マチルダの声が遠くで響く。


(なんで……今まで、こんなこと一度も……!)


震える手。ずれ落ちそうになる眼鏡。


(だめ……! このままじゃ、“本当の姿”が……!)


「ど、どいてくださいっ……!」


アンジーは荷物を放り出し、人混みを抜けて裏路地に駆け込む。

石壁にもたれてしゃがみ込み、膝を抱える。


止まらない。

暴れる。


心の奥で眠っていた“何か”が、いま目を覚まそうとしていた。


――そのとき。


風が変わった。


空気が冷たく研ぎ澄まされ、体を撫でる。


「……動くな。少し、冷やす」


低く、鋭い声が落ちた。


顔を上げる。


そこに立っていたのは、雪のように白い髪を持つ青年だった。

湖を思わせる青の瞳。氷の刃のように冷たい空気をまとっている。


彼は感情を持たぬような無表情で、指を鳴らした。


瞬間。


アンジーの中で暴れていた魔力が、凍りつくように沈静化していく。

冷気が体の奥にまで染み渡り、暴走を封じ込めていった。


「ど……」


声にならない声。

彼は淡々と告げる。


「名を聞く必要はない。俺は――シュネ・シュトゥルム」


その名とともに、風がひとつ吹き抜ける。


カシャン、と眼鏡が落ちた。

露わになる、金の髪と琥珀の瞳。


シュネの瞳が、一瞬だけ揺れた。

――完璧に凍った湖面に、一滴の雫が落ちたかのように。


「……君の事情には興味はない。だが」


冷たい声。だが、その奥にかすかな“余白”があった。


「魔力の制御もできないエルフが、貴族の街をうろつくな。魔法律に則り……次は罰を与える」


そう言い残し、シュネは白い霧のように姿を消す。


アンジーは、ただ呆然とその背を見送るしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ