第28話: ぬくもりの中でほどける封印
スープの香りが部屋いっぱいに広がり、外の冷たい空気を忘れさせる。
アンジーが丁寧にパンを切り分け、セリーヌが熱々のスープを注いでいく。
「いただきます」
3人と2人、合わせて5人が食卓についた。
シュネは美しい所作でスプーンを口に運び、ふっと表情を和らげる。
「……おいしい」
その言葉に、アンジーは胸の奥がじんと温かくなる。
この味——。
忘れかけていた、あの日々の味。
ゆっくり噛みしめながら、懐かしさが波のように押し寄せた。
ライカもパンをちぎりながら「うん、これはイケる」と素直に褒め、セリーヌは微笑んだ。
食卓には穏やかな時間が流れ、皿が空になっていく。
食事が終わると、セリーヌは別の香り高いお茶を淹れてきた。
琥珀色の湯気が立ちのぼり、暖炉の火と混ざって空気を包み込む。
ガラスはカップを手に取り、一口だけ含んでから、静かに口を開いた。
「……アンジー、まずは謝らせてくれ」
アンジーはきょとんとしたまま、彼の言葉を待つ。
「お前と初めて出会った日——あれは森の中だった」
***
あの日、ガラスは森の結界の巡回をしていた。
ふと、空気がざわつき、草木の奥から強い魔力の波動を感じ取る。
急ぎその場へ向かうと、そこには——
煌々と光を放つ草原の中心で、幼い少女が立ち尽くしていた。
金色の髪は乱れ、全身傷だらけ。それでも、その姿はどこか神秘的で、目を離せなかった。
「……エルフ、か」
ガラスは生まれて初めて目にする存在に息を呑んだ。
だが、このままでは誰かに見つかってしまう。
迷わず彼女を抱え上げ、家へと連れ帰った。
セリーヌはすぐに少女の手を取り、心を探る魔法を使った。
——もやがかかった記憶。名も分からぬまま漂う意識。
その中で、たった一つだけはっきりと響いた名があった。
『アンジー』
確信に近づこうとした瞬間、セリーヌの顔色が青ざめた。
あまりにも膨大で、あまりにも激しい記憶の奔流。
その中には——人の理解を超えるほど巨大な悪との戦いがあった。
「こんな少女に……全部を背負わせるのは酷すぎる」
二人はそう思った。
だから、ガラスの結界魔法とセリーヌの感情操作の魔法を組み合わせ、アンジーの心に封印を施した。
——過去を取り戻したいと思わないように。記憶が戻らないように。
「それが……俺たちの罪だ」
ガラスは低く言った。
シュネは少し目を伏せ、冷静に指摘する。
「そのせいで、アンジーの魔力は不安定になっている」
「申し訳ない…」
「アンジーは今…自分の意思で、自分の記憶と向き合うために、魔法学校に通うことを決めたんだ。アンジーの意思を大事にして欲しい」
人にものを頼まない…冷たかったシュネ。
だが、シュネは生まれて初めて誰かのために頭を下げた。
その様子を見て、アンジーはまっすぐ二人を見た。
「今まで私のために……ありがとうございます。でも、私は絶対に大丈夫です。だから、解いてください」
セリーヌは首を横に振った。
「封印を解いても、記憶がすぐ戻るわけではないわ。
でも……何かのきっかけで戻るかもしれない。これまでは、そのきっかけをも封じていただけだから」
「それでもいいか?」
「はい!」
短い沈黙ののち、二人はうなずき合った。
古い呪文が暖炉の炎に溶けていく。
——ぱきん、と氷が割れるような音が、アンジーの中で響いた。
「……あったかい……」
アンジーはそう呟き、椅子にもたれて目を閉じた。
深い安らぎに包まれ、静かに眠りへと落ちていった。




