第19話: 合格したければ……落ちるな。それだけだ
季節は、ゆっくりと歩みを進めながら、また一つめくれていった。
気づけば、魔法学校の受験まで残すところ三か月。
昼下がりの中庭の片隅──。
ライカとアンジーは並んで石のテーブルに向かい、参考書をめくっていた。
魔力操作の基礎。魔法陣の読み方。魔力配分の応用演習。
分厚いページの海を泳ぎながら、二人はひたすらペンを走らせる。
「ライカさん、教えてください。ここの計算、風魔法のときはどうやって……」
「あ? そこはなー…」
とライカが参考書を手に取ると、
「あら、懐かしい」
と優しそうな声が聞こえてきた。
声に気づいたアンジーとライカが視線を上げると、そこには柔らかな微笑みをたたえた、気品あふれる女性が立っていた。
「これは…失礼しました!すぐに片づけます!」
珍しくライカが動揺し、バラけた参考書を慌ててかき集める。
しかも敬語だ。
勢いよく立ち上がるライカの姿に、アンジーは目をぱちくりと瞬かせた。
その女性の、川のように流れる白い髪を見た瞬間──
(もしかして…シュネ様のお母さま…)
「いいのよ。気にしないで。主人から聞いたわ、魔法のお勉強しているって。偉いわね。あら、あなたが噂のシュネの新しいメイドさんね」
「アンジーと申します」
「初めまして。マリア・シュトゥルムよ」
アンジーはぺこりとお辞儀をする。
シュネの担当から外れてしまった期間、裏方で働いていたためか…この屋敷にいたけれど、夫人と会うのは初めてだった。
「ふふ。可愛らしい方。お勉強の邪魔をしちゃってごめんなさい。あなたたちが受かることを祈っているわ。卒業生として」
「え…!奥様も魔法学校の出身なのですか?!」
思わず口を滑らせたアンジーは、すぐに口元を押さえる。
なぜなら、マリアのメイドたちの鋭い視線が突き刺さってきたからだ。
この家に仕える者であれば、主の経歴を熟知していて当然──
そういう“空気”を、アンジーはまだ読み切れていなかった。
けれど、マリアは微笑んだまま、何ひとつ咎めることなく言った。
「分からないことがあったら教えてあげるわ。頑張ってね」
「「ありがとうございます」」
短い会話だった。
冷たい雰囲気のあるシュトゥルム家だと思っていたが…こんなに温かい人がいるとは思わなかった。
アンジーとライカはマリアとその従者がいなくなるまで深々と頭を下げる。
「ふー…疲れるわ」
マリアと従者たちが立ち去ると、ライカは深いため息をつきながら地べたに座り込んだ。
「ライカさんが敬語使ってるの、初めて見ました。奥様って、どんな方なんですか?」
「……魔法学校を首席で卒業した超エリート魔法使い。卒業後は王宮に仕えてたけど、あたしたちにはいや~に冷たい冷たすぎる”あの”伯爵様が一目惚れして結婚したって噂だよ」
「へぇ…すごい方なんですね」
「しかも、この屋敷にはそぐわないレベルの優しさで、シュネがあたしを引き取るって行ったのを支持してくれたのもあの人…。あの人がいなきゃ、いまのあたしはいねーわ」
ライカの言葉には、深い敬意と感謝が込められていた。
頭が上がらない、ということなのだろう。
そんなすごい人が近くにいたなんて…
アンジーの胸に、小さな希望が芽生える。
いつか自分も、あの人のように──と。
「で、話がそれたな。質問はなんだっけ?」
「あ、はい!ここの計算、風魔法のときなんですけど…」
「それはな…」
いつものように口は悪いが、説明は丁寧。
アンジーは「なるほど」と目を輝かせ、もう一度ノートに向き直った。
──その背後で、メイドたちのひそひそ声が風に混じる。
さっきのマリアに仕えていたメイドたちだ。
「雑用係って気楽でいいわよね。勉強してればいいんだもん」
「ほんと、自分がどれだけ恵まれてるかも気づいてないのよ、あの子たち」
嫌味な声が中庭を通り抜けていく。
けれど、二人は顔を上げない。
何も聞こえなかったかのように、ただ、課題に集中し続けた。
そんな様子を、遠くから静かに見守っていたのは──シュネだった。
努力を重ねる二人の姿に、胸の内が少しだけ温かくなる。
だが、その空気を切り裂くように、重たい足音が聞こえた。
──父が、そこにいた。
廊下の真ん中に立つその姿は、まるで待ち構えていたかのようだった。
黒い影が具現化したようなその存在に、空気すら凍りつく。
視線が交わり、数秒の静寂のあと、父はゆっくりと口を開く。
「……そう簡単に、合格できると思うなよ」
低く、嘲るような声。
それだけ言って、父は通りすぎる。
「…?……」
そして次の瞬間──一羽の鳥が現れた。
青く透き通る魔力の鳥。
光の粒をまとい、ふわりと宙を舞いながら、くちばしで空中に言葉を紡ぐ。
「三者にて挑め、試されるは知の陣。
重き空にて道を探し、踏み誤る者は堕ちる。
頭を使い、進むべし。
最奥へたどり着いた者、その才を証明せり。」
鳥はメッセージを残し、光の粉を散らして消えた。
シュネはすぐに中庭へ向かう。
「あれ……なんだったの? 鳥?」
「き、綺麗だったけど……内容、全然わからなかった……」
ぽかんと空を見上げるアンジーとライカの前に、扉が開く。
「まさか……お前たち、あれを“読めなかった”のか?」
呆れたように現れたシュネに、二人は気まずそうに目を逸らした。
「え、えっと……き、きれいな鳥でした……」
「意味不明にもほどがあるだろ」
「……まったく。今回の試験は極めて特殊だ」
シュネは静かに説明を始める。
「“三者にて挑め”──つまり、今回はチーム戦だ。
“重き空”とある。これは重力制御や空間魔法、空中戦が含まれる可能性が高い。
“踏み誤れば堕ちる”……下手に動けば即脱落ということ。つまり、これは魔力操作だけではなく、知識と判断力が試される」
ごくり、と二人は唾をのんだ。
「受験と呼ぶには、あまりにも苛烈だ。だが……面白い」
シュネはわずかに口元を吊り上げた。
「合格したければ……落ちるな。それだけだ」




