第17話:ちょっとだけ一人でがんばろうとしただけなんです
夜更け。
屋敷は静まり返っていた。
アンジーはそっとベッドを抜け出し、廊下を忍び足で歩く。
心なしか、心臓の音まで響いて聞こえる気がした。
(……みんな、すごいです……ライカさんも、シュネ様も……)
昼間の光景が、何度も脳裏に浮かんでは消える。
置いていかれるような、足手まといみたいな気持ちが、胸にじわじわ広がっていた。
(私も……ちゃんと、やらなきゃ)
人気のない中庭に出て、アンジーはそっと両手を差し出した。
月明かりが彼女の金色の髪を静かに照らす。
(魔力を集めて……こわくない……こわくない……)
ゆっくり目を閉じる。けれど、指先がかすかに震えていた。
──また、暴れたら…
その恐怖が、魔力の流れを途中で断ち切る。
「……焦ることはない」
突然、後ろから聞こえた声に、アンジーは跳ねるように振り向いた。
「シュ、シュネ様……!」
「驚かせてすまない。君が抜け出したのが見えたから」
彼はゆっくりと歩み寄ってくる。
その足取りも、声も、夜に溶け込むように静かだった。
「……一人で、練習を?」
「……はい。入学試験に遅れを取るわけにはいきませんので……」
視線を伏せて、小さな声で答える。
「それに…私だけ、何もできないのが悔しいんです。だから……ちょっとだけでも差を縮めたくて」
声が震えていた。
けれど涙は見せたくなくて、ぎゅっと目を閉じる。
次の瞬間、ふと温かい手がアンジーの手の上に重なった。
驚いて目を開けると、シュネがすぐそばにいた。
「それで自主練か。確かにあの時のことを思い返せば躊躇する気持ちもわかる。それに…君の魔力は特別だ。だからこそ、扱い方を覚えるには時間がかかる。それは、恥ずかしいことじゃない」
シュネはそう言って、アンジーの掌に意識を集中させるように、静かに語りかける。
シュネの優しい瞳と目が合い、アンジーは熱を帯びたようにぼうっとしてしまう。
冷酷な貴族と呼ばれる彼が、凍てつく瞳を持つ彼がー…慈悲の瞳でアンジーを見つめる。
そして、彼女の小さな手を優しく包み込んだ。
「ほら、力を集めるイメージを、もっと柔らかく。魔力は“意志”と“感情”に反応する。怖がらないで、“届いてほしい”って、思ってみるといい」
アンジーは小さくうなずき、彼の言葉をなぞるようにもう一度目を閉じた。
──こわくない。
──大丈夫。私は…もう、怖くない!
すると、手のひらにほのかな光が宿り、小さくゆらゆらと揺れた。
「……!」
「そう、それだ。いいぞ、アンジー」
シュネの声が、今までにないほど、やわらかくて優しかった。
その瞬間、胸の奥にぽっと灯がともったような気がして、アンジーは無意識に笑っていた。
「……ありがとうございます、シュネ様」
月の光の下、二人の影が静かに寄り添っていた。