第12話:密やかな決断
(……誰か来る!)
気配を察したライカは即座に動いた。
アンジーの様子を確認する余裕もなく、その体をひょいと担ぎ上げる。
「軽っ……てか、ダメだろ、こんな状態で……!」
部屋の空気はまだピリついてる。
魔力の残り香ってやつか?
鏡のせいなのか、空間がゆらゆらして見える。
このまま誰かに見られたら――アウト。
言い訳なんてきかない。
その時、足音が近づいてきた。
コツ、コツと重たく、規則的に。
使用人のそれじゃない。
もっと重い、冷たい……威圧感のある音。
(うっわ、最悪……あれ、シュネの親父じゃねーの!?)
マズい。
即座に部屋を飛び出したはいいけど――詰んだ。
廊下は十字に交差してる。
目の前から足音、反対側は私室で封鎖されてる。
逃げ場なし。
(おいおい、どうしろってんだよ……!)
ライカが焦って辺りを見回した、そのときだった。
「――こっちだ」
低く、でもはっきりした声が背後から飛んできた。
「……シュネ!?」
振り返ると、廊下の陰からシュネが現れた。
その手がライカの腕を素早く引っ張る。
背後の壁、見たことない装飾棚の裏――そこが、開いていた。
「急げ」
言われるがまま、ライカはアンジーを抱えたまま飛び込む。パタン、と扉が閉じた次の瞬間。
「……誰だ」
低くて鋭い声が、廊下に響いた。
現れたのは、黒の礼装に銀髪。
氷みたいな目をした男――シュネの父、シュトゥルム侯爵その人だった。
「シュネ。こんな夜更けに、お前がここにいるとは意外だな」
「父上こそ。珍しいですね、この時間に」
「妙な気配を感じた。魔力の乱れだ。……お前か?」
一瞬だけ、シュネの口元に皮肉っぽい笑みが浮かぶ。
「夜間の鍛錬をしていたんです。結界の調整が甘くて……ご迷惑を」
「軽率だったな。……シュトゥルムの名に傷をつけるな」
「心得ています。ご忠告、感謝します」
無表情のまま、父は一瞥して去っていった。
足音が遠ざかるのを確認してから、シュネは通路へ戻る。
「行くぞ。別の部屋を使う」
* * *
移動したのは、使われていない応接室のような場所だった。
ちくたくちくたくと静かに動く時計の音がやけに耳にはりついた。
一歩進むたびにぎしっと動く床の音に足が一々びくついてしまう。
アンジーをソファにそっと寝かせたところで、ライカがようやく息を吐く。
「……なんとか逃げ切れたな」
「彼女は?」
「まだ眠ってる。けど――さっきの部屋で、あいつ“記憶の鏡”に触れた」
ライカが真剣な顔で言う。
「あの鏡、記憶を映すって話だったけどさ……なんか違った。ヤバい魔力のうねり方してた。普通じゃない」
「見えたのか? 何が映った」
「石の祭壇、黒髪の女、古代語の呪文……金色の光、波打ってた。……多分、アンジー自身の記憶だ」
シュネは沈黙したまま、何かを考えている様子だった。
「やっぱりな。彼女……なにかを抱えているな」
「つっても、エルフ自体が人里に下りてくる自体、事情があるだろ?」
「だが、当の本人は記憶喪失。こっちはわかりっこない。お前の言っていることが本当ならば、彼女の記憶には俺たち人間には理解できないエルフの神秘的な奇跡の類があるのだろう…。それこそー…そうだ、彼女の使命のような何かー…」
「で? どうすんだよ」
ライカが肩をすくめる。
「このままじゃ、まーた魔力の暴走だって起きかねない。下手すりゃ屋敷全体に正体がバレる。そんでもって、お前の父親だ。あれが魔法律でアンジーを規制して、実験だのなんだのしちまうだろ?そしたら、お前でもかばいきれる保証、ねーぞ?」
しばし沈黙――
シュネはふっと笑った。
「……お前、俺に“何も考えてない”って思ったのか?」
その笑みは、自信と余裕に満ちていた。
「ちゃんと手は打ってある。あとは――彼女が、目を覚ますのを待つだけだ」