第123話: 拒絶の空、希望の声
エルフの里に満ちる光は、静謐でありながらどこか冷たい。
アンジーは胸の奥に残る不安を押し込みながら、族長エルディオスの前に立っていた。
白銀の衣をまとい、長い髪を結い上げたその男は、エルフたちの象徴であり、同時に――氷のように感情を閉ざした存在だった。
「……では、地上での出来事を、順に話してもらおうか」
エルディオスの低い声に、アンジーは深く息を吸う。
語らなければ、前に進めない。そう自分に言い聞かせ、唇を開いた。
「はい。すべては……私が、封印をしきれなかったことから始まりました」
彼女の声は震えていなかった。
けれど、胸の奥で何かがずっと締めつけるように痛んでいた。
リリーとの戦い、暴走、記憶の喪失――そして、地上で起きた惨劇。
その全てを包み隠さず語り終えたとき、静寂が辺りを支配する。
エルディオスの眉がわずかにひそめられ、その視線が鋭く刺さる。
痛いほどに。
けれど、アンジーは目を逸らさなかった。
「リリーは、人間を痛めつけ、殺し、操りました。……ですが、彼女は“復讐”のためにその道を選んだのです。誰よりも、愛されたかったのに」
沈黙。
広間の空気が、一瞬凍りつく。
そして、アンジーは一歩踏み出した。
「私は……リリー自身もまた被害者であると確信しています。なぜ、リリーを拒絶したのでしょうか。あの時、拒絶せずに手を差し伸べていれば――地上で、これほどの悲劇は生まれなかったのではないでしょうか」
「……つまりお前は」
族長の声が低く響いた。
「我々にも責任がある、と言いたいのだな」
アンジーはごくりと唾を飲み込む。
その沈黙が答えだった。
「………」
エルディオスは長い沈黙のあと、ため息をついた。
そして、冷たく言い放つ。
「失望した」
たった一言。
その音が、胸の奥に突き刺さる。
アンジーはそっと目を伏せた。
「どんな話を持ってくるのかと思えば……因果応報だ。始まりは人間共が我々を襲ったことだ。そして、リリーは禁忌を犯し、自らの血を穢れとした。我々が拒絶するのは当然のこと。――汚らわしい。」
「自身の娘を“汚らわしい”と切り捨てるのは、いかがなものか」
その場の空気が、はじけるように張り詰めた。
凛とした声がアンジーの背後から響いた。
シュネだ。
彼は冷たい氷の瞳でまっすぐに族長を見据え、迷いなく言った。
「彼女は穢れじゃない。――希望を、知っている」
エルディオスの眉が動く。
滅びの象徴ではない。
まだ、彼女の中には“光”がある。
アンジーと同じく、シュネもそれを確信していた。
「エルフの間で起きた出来事を、人間のせいにばかりするのはやめていただきたい」
シュネの言葉は静かだったが、広間に響く鋼のような強さを持っていた。
「あなたたちもまた、当事者であり、被害者であり……加害者だ」
その言葉に、場の空気が波打つ。
誰もが口を閉ざしたまま、次に発せられる言葉を待つ。
そして、ニースが一歩前に出た。
「僕は、一国の王です」
その声は低く、穏やかで、それでいて確固たる重みがあった。
「僕がここに来たのは、これから人間とエルフがもう一度、昔のように手を取り合うため。僕のお願いはただひとつ――リリーを救うのを、手伝ってほしい」
それが叶えば、全てが終わる。
そう言外に伝わる言葉だった。
だが、エルディオスは首を横に振る。
「闇にのまれた者を救う手立てはない。あれは滅びの象徴。切り捨てるのが正義だ」
「――闇を抱えた者を切り捨て、光を名乗るのは……やめてください!」
アンジーの声が響く。
震えていた。
けれど、その瞳は真っすぐだった。
彼女は自身の腕を差し出す。そこに浮かぶ、淡い紋章。
「私は、これでリリーを救います」
「……その紋章は……!」
「闇と光の融合の証です」
アンジーは言葉を続ける。
「これは呪いではなく、約束です。私はこれをもって、リリーの願いを叶えます。彼女がまた光を見つめられるように――救い出してみせます。……そのためには、あなたたちの力が必要なんです。リリーが暴走した時に、地上に住む全ての人間を守ってほしいんです」
その目には迷いがなかった。
彼女は、もはや誰の庇護も求めてはいなかった。
ただ、信じる道を歩いていた。
シュネが前へ出る。
「光を操れる人間は限られている。だから、リリーに辿り着くまでの道しるべを……作ってほしい」
沈黙。
長い、長い沈黙。
エルディオスはゆっくりと歩き出し、アンジーの前に立つ。
そして、そっと彼女の肩に手を置いた。
一瞬、優しさのような温もりが伝わる。
「エルディオス様……?」
アンジーが顔を上げたその瞬間――
「帰れ」
冷たく、短い一言。
その声は、まるで断罪だった。
次の瞬間、アンジーたちの体がふわりと浮き上がる。
光が包み込み、視界が白く染まる。
「待ってください!!まだお話は終わっていません!!」
アンジーの叫びも、もう届かない。
エルディオスは振り返らず、ただ背を向けたまま。
「リリーを……人間を……救うために、光が必要なんです!どうか……どうか!!」
それでも、その声が響くことはなかった。
アンジーたちは、光の渦に飲まれて姿を消した。
広間に残されたのは、ただ一人――アンジーの父、ルーヴァン。
「エルディオス様…」
彼はゆっくりと口を開く。
「……心配するな。彼らは地上に送り届けた。これはお前への温情だ」
エルディオスは背を向けたまま、天井を見上げる。
高く、どこまでも澄んだ青空。
そこに一筋、淡い光が差していた。
その光から、彼はそっと目をそらす。
「……愚かな娘だ」
そう呟いた声は、しかし――わずかに震えていた。




