第106話: 再会の森で、心は還る
森が静まり返っていた。
祈りの終わった神聖な空気が漂い、樹々の枝にかかった霧が淡く金色に輝いている。
その中心に、アンジー、シュネ、ライカの三人が立っていた。
浄化の儀が終わり、森の魔素が静まったあと——。
世界の喧噪から切り離されたようなその場所は、時間さえも止まっているように感じられた。
そんな中、ライカだけが腕を組んでため息をついた。
「……なんだよ。もっと感動の再会になると思ってたのにさ。泣きながら抱きつくとか、そういうの、ないわけ?」
言われたアンジーは、顔を真っ赤にして慌てたように髪を耳にかけた。
「そ、その……私は、行きますね……!」
落ち着かないように視線を泳がせ、森の出口へと向かおうとする。
「は?おいおい、出会って三分で帰る奴があるかよ!」
ライカがすかさず腕を掴み、引き止める。
「久々に顔合わせたんだぞ?飯でも食ってけよ。なあ、シュネ?」
「……いや、しかし……アンジーはアンジーの使命がある」
シュネは微かに目を伏せ、困ったように言葉を濁す。
「五年も探して、やっと会えたのに、すぐに別れるのやつがどこにいんだよ。ったく、素直じゃねぇな」
ライカが肩を竦める。
「会えて嬉しい、だろ?」
「「……それはそう……」」
二人の声が重なった。
互いに顔を見合わせ、ぱっとそらす。
再び見つめようとして、また逸らす。
まるで初恋を思い出した子どものようだった。
沈黙が続く中、ライカが呆れたように息をついた。
「お前ら、いい加減にしろ。お互いの気持ちに、素直になれよ」
その言葉が落ちた瞬間、森の空気が少しだけ震えた。
風が流れ、枝の間から一筋の光が差し込む。
そして、静かにシュネが口を開いた。
「アンジー……俺は、君にずっと会いたかった」
その声は、普段の冷静さとは違い、どこか震えていた。
「背中を押したあの日、俺は後悔した。本当は、行くなと言いたかった。抱きしめて、二度と離したくなかった。……でも、それはお前を縛ることだと思って、黙った」
氷の瞳がわずかに揺らぐ。
彼の掌は強く握りしめられ、震えていた。
「アンジー……やっぱり俺は君がいないと駄目だ。どうか……もう一度、俺の側にいてくれないか?」
その言葉に、アンジーは唇を噛んだ。
頬を染め、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
「シュネさん……私は……恥ずかしいんです」
絞り出すような声。
「私は、世界を守るために選ばれたエルフの先鋭。それなのに……リリーを捕まえることもできず、学校も卒業できず……。何もかも中途半端。何ひとつ成し遂げられていませんそんな私が、完璧なシュネさんのお側にいるなんて——」
アンジーは視線を落とし、背を向けた。
金の髪が風に揺れ、淡い光を反射する。
「聞けよ、アンジー」
ライカが前へ一歩出る。
「こいつな、お前がいなくなってからポンコツだったんだぞ」
「……は?」
「優等生ヅラしてたのに、魔獣大会は準優勝止まり。クラリス先生には何度も説教されてたし、卒業間際にはディーン先生にマジで目ぇつけられてた」
「ライカ、やめろ……!」
シュネが顔を赤くして制止するが、ライカは聞かない。
「何が完璧だよ。全然完璧じゃねぇ。お前がいなきゃ、すぐ崩れるような奴なんだよ」
ライカはアンジーの肩に手を置いた。
「だから戻ってこい、アンジー。あたしたちと一緒に、もう一度リリーをぶっ潰そうぜ」
その言葉に、アンジーの肩が小さく震えた。
彼女の中で、何かが溶けていく。
押し殺していた想い、罪悪感、孤独——それらが涙となって零れ落ちそうだった。
「ライカさん……私は……」
シュネがそっと近づき、もう一方の肩に手を置いた。
「アンジー……戻ってきてくれ」
その声音は、雪のように静かで、炎のように熱かった。
アンジーは震えるまつげを上げ、二人を見つめた。
その瞳には、かつての迷いも、恐れもなかった。
「シュネさん……ライカさん……!」
次の瞬間、彼女は二人の胸に飛び込んだ。
金色の髪が光を受けてきらめき、頬を伝う涙が森の大地に落ちる。
「私……私はずっと寂しかったです!!」
その叫びは、森の奥まで響き渡った。
沈んでいた鳥たちが飛び立ち、枝に積もった露が弾けて光の粒となる。
やがて、森全体が柔らかな風に包まれた。
アンジーの涙は祝福のように輝き、三人の影を包み込む。
長い年月を経て、ようやく——三つの心は再びひとつになった。
それは、失われた絆の再生であり、
次なる戦いへの誓いの始まりでもあった。




