第101話: 焼け落ちた玉座と虚ろなる王
城は燃え落ち、かつて王国の象徴であった白亜の壁は黒くすすけ、瓦礫と化していた。
つい先ほどまでリリーの闇魔法と猛獣の咆哮に満ちていた空間は、魔力の気配を失い、ただ崩れた石の軋む音と、夜風に煽られる炎の揺らめきだけが残っている。
その中で、ひときわ大きく響いたのは、人々の足音だった。
魔力がぷつりと消えた瞬間、まるで呪縛が解けたかのように城中に喧騒が広がり、走り回る兵士や侍女たちの叫びが壁の残骸に反響していた。
その喧騒からわずかに離れた大広間。
「サイラス…わが友よ。安らかに眠ってくれ」
校長セリウス、クラリス、そしてニースは、かつて玉座にあった王サイラスの身体を囲み、残った回復魔法でどうにか人の形を保たせようとしていた。
「ねえ…クラリス……僕の魂のこと、どうして助けられたの?」
クラリスは唇を結び、やがてため息を吐くように答えた。
「シルヴィアがね、倒れる直前に笑いながら言ったのよ。地下牢に眠っているのは、あんたの魂とノワールが混ざった怪物だって。魂がアンジーさんの光魔法で消されれば、リリーに捧げる身体が完成する……そう吹き込んでいたの。だから、急いで止めに行ったのよ」
その声は怒りを含んでいたが、同時にどこか怯えを帯びてもいた。
「逆に聞くけど、なんでわたしが助けに行ったことを知ってるの?」
ニースは静かに瞬きをし、炎の髪を揺らした。
「……僕の魂だった時の記憶の戻ってきたんだ。アンジーと戦ったことも、クラリスが必死になって助けにきてくれたことも」
「そう……」
クラリスは視線を伏せ、胸元をぎゅっと掴んだ。
校長は王の瞼をそっと閉じ、静かに祈るように手を置いた。
ニースは自らの黒いローブを脱ぎ、その亡骸に掛けてやる。
「ニース。これからどうするつもりなの?」
「どうもしない」
ニースの答えはあまりに短く、乾いていた。
「国王になろうという意思は?」
校長が静かに問いかける。
「ない」
感情をまるで感じさせない声で、ニースは断言した。
「あれが何年も国を治められたのなら、王という存在自体に意味はない。僕がいなくても、この国は生きていける」
その言葉に、校長はわずかに寂しげな笑みを浮かべた。
ーー一方その頃。
アンジー、シュネ、ライカは魔王級の魔獣との死闘を終え、瓦礫の上に肩を寄せ合って座り込んでいた。
汗と血で髪は乱れ、息も荒い。
それでも、互いの無事を確認する視線には安堵が滲んでいた。
「アンジー……記憶は戻ったのか?」
シュネが低く問う。その氷色の瞳は揺れていた。
「はい。すべて……思い出しました。リリーのことも、私が背負わねばならない使命も」
金髪を汗で濡らしながらも、アンジーの琥珀色の瞳はまっすぐだった。
「あたしたちのこと、忘れてねーだろうな?」
ライカが棘のある声で言う。
「忘れるわけないじゃないですか!」
アンジーは即座に否定し、笑みを浮かべる。
しかし、シュネだけは俯いたまま拳を握っていた。
「……遠くに行ってしまいそうなんだ。今のお前は、もう俺の知ってるアンジーじゃない気がする」
「シュネさん……えっと……」
アンジーが言葉を探した、その時。
重々しい足音と共に、焼け焦げた大扉が開いた。
姿を現したのは、シュネの父、魔法律省の重鎮アルトゥルだった。
普段は冷徹そのものの男だが、今は焦りの色を隠しきれず、肩で息をしていた。
背後には部下の魔法律家たちと、列をなした王兵が従っている。
「これは一体……!?」
瓦礫と化した大広間を目にし、アルトゥルは目を見開く。
「シュネ……!なぜお前がここに!」
珍しく声を荒げ、動揺をあらわにした。
「逆に聞きます。父上こそ、今までどこで何をしていたのです?」
シュネの声は冷たかった。
アルトゥルは息を呑み、言い訳のように答えた。
「王の命で、例の重罪人を追っていたのだ。だが途中で城が燃えていることに気づき、急ぎ戻ってきた」
「戻ってきた城は……もぬけの殻でしたよ」
息子の言葉に、アルトゥルの眉間が深く寄った。
そのやり取りを遮るように、王兵たちが口々に叫ぶ。
「違う!入れなかったんだ!」
彼らによれば、城内の警備をしていた最中、突如として知らぬ土地に転送され、戻った時には炎が城を包んでいたという。
混乱の声が渦巻く中、アルトゥルの視線が一点に止まった。
「……サイラス王……!」
彼は膝をつき、倒れ伏す王の姿に愕然とする。
「死んだ」
ニースは短く告げた。
その言葉に、アルトゥルの瞳が揺れる。
すぐさま懐から封筒を取り出し、中に収められた人相書きを広げた。
「貴様……!総員、取り押さえろ!!」
「父上! お待ちください!」
シュネが声を荒げる。
だがアルトゥルは止まらない。
その時、校長が彼の肩に手を置き、首を振った。
「違う。この子は重罪人ではない。詳しいことは私が説明しよう。それよりもまず……王の死を悼むべきだ」
その言葉に、場の空気が凍り付く。
アルトゥルはなおもニースを睨みつけたが、やがて肩を落とし、かすかに「……あぁ」と呟いた。
長年仕えた主君の死が、彼の冷徹な仮面を一瞬だけ崩した。
外に出ると、夜の帳が王都を包んでいた。
焼け落ちた城の背後、空高く魔法の光が弾ける。
それは魔法学校の学園祭のフィナーレを飾る花火だった。
天に咲く花は、美しくも哀しい。
リリーが残した傷跡と、王の死が突きつける現実とは裏腹に、その光景はあまりにも儚かった。




