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最強魔導師、大好きなファーニャさんと両想いになれたのであの手この手で夢じゃないことを確認する

作者: 縁代まと

「――これ、夢じゃないよな?」


 よく干された布団の香りに包まれ、目覚めた瞬間にそう声にする。

 隣ではひとりの女性がすやすやと眠っていた。


 緩くウェーブのついた長い銀髪は柔らかく、少しぽってりとした太眉からは母性を感じられる。今は閉じている瞼の向こうにあるのは新芽のような緑色の瞳だ。

 目を瞠るほどのスタイルの良さは今は布団に隠れているが、俺はよく知っていた。


 彼女の名前はファーニャ・カルティニッサ。

 巫女として神殿に仕えている女性で、治癒魔法の精度は王国一を誇る。


 俺はそんなファーニャさんに王国に来た頃から憧れていた。

 なんだかんだで最強魔導師と謳われるようになった現在もその気持ちは続いていたが……そんなファーニャさんが! 俺の隣で! 眠っている!!

 こんな状況で夢だと思わない男がいるだろうか!?

 そう口元を覆って震える息をゆっくりと吐いて自分を落ち着けていると、ぱちりと目を覚ましたファーニャさんが微笑んだ。


「も~、またですかヴァレリスさん」


 毎朝そんな調子ですね、とファーニャさんは肩を揺らす。

 俺、ヴァレリス・アイデンがファーニャさんと交際を始めてから半年が経とうとしていた。


     ***


 自分で言うのもなんだが俺は性格がちょっとアレらしい。


 しかし全属性の魔法を弱冠二十歳で覚え、二年後には使いこなしていたんだから天才だと自ら称するのは普通のことだと思う。


 それに優秀な俺には様々な仕事が舞い込んでくるのだから、その中から条件がいいものを選ぶのは至極当然だろう。

 なんで実力があるんだからとタダ同然の仕事を率先して受けなきゃならないのか。

 そういうものは根っからの正義漢か、色々と勘違いした英雄症候群を拗らせた人間に任せればいいんだ。


 ――という感じで生きていたら周囲からの評価が『唯我独尊で自分第一な奴』になっていた。

 自分を大切にしてなにが悪い。


 だが、そんな俺は意外と仲間にも疎まれていたようだ。

 依頼を終えて遠征先から帰ってきた時、軽く毒を受けていたのに治療してくれなかった。金は払うって言ったのに「自分も疲れてるので」だそうだ。気持ちはわかる。

 そこで街の教会へ解毒を頼みに行ったんだが、弱毒だと思っていたのにじわじわ効いてくるタイプだったらしく、ひと気のない裏路地で倒れてしまった。


 近道しようとするんじゃなかった。

 心の底からそう思った。


 治癒魔法と解毒魔法は他対象魔法なので自分には使えないのが恨めしい。

 このままここで終わるのか、と思った時に現れたのがファーニャさんだった。

 聖女だ。天使だ。女神だ。世界そのものだ!

 王都に来た頃に大規模治癒魔法を笑顔で展開していた姿を見て、俺は彼女に憧れ……そして一目惚れしていた。


 だから、路地裏ですぐに解毒してくれた彼女に俺は感極まって言ったんだ。


「お、俺と付き合ってください!!」


 言い放った直後に後悔した。これは衛兵を呼ばれるやつだ。

 いや、捕まるのはべつにいい。しかし助けを呼ばれるくらい怖い思いをさせてしまったかもしれないことが恐ろしかった。

 しかし、しどろもどろになる俺にファーニャさんは温かな笑顔で答えたのだ。


「はい、宜しくお願いします~」


 そう、はっきりと。

 ――そうして俺たちの交際は始まり、なんだかんだで国王や教会の許可まで出てお墨付きをもらった。

 知人たちは目を剥いたり嫉妬の眼差しを向けてきたが、どうやらファーニャさんも同じような状況だったらしい。


 そんな日々を送りながら新居を購入し、一緒に暮らし始めて一ヶ月。

 目覚めるといつも傍にはファーニャさんがいる。

 奇跡すぎる。なにが起こったんだ。


「だからこれはじつは幻覚で、現実の俺は幻覚魔法を使うピンクスライムやサキュバスに襲われてる最中なんじゃないかって思うんだ。もしくは変な実を食ったとか」

「それ、同棲を始めてから二十九回聞きましたよ」


 トーストを焼きながらファーニャさんが笑う。


 毎日確認するくらい夢のようなんだ。

 やっぱり夢なんじゃないか? と思うのは今の俺にとって生理現象も同然だった。


 なぜファーニャさんがOKしてくれたのか全然わからないので余計にだ。

 勇気を出して直接訪ねたこともあるが、意味深な笑みを浮かべられただけだった。


「ヴァレリスさんって、じつは自分を信じられないタイプですよね~」

「そ、そうだろうか」


 他人からの俺の評価にそんなものはなかったが。

 そう戸惑っているとファーニャさんが「それなら!」とバターを差し出して言う。


「一緒に確かめましょうか!」

「え?」

「夢なのか現実なのか、ひとつひとつ検証していきましょうっ」


 検証して、ひとつずつ納得していって。

 そうすればいつかすべて納得できるかもしれないですよ、とファーニャさんは微笑んだ。


 こんなに理解のある人が恋人だなんて――やっぱり夢じゃないだろうか?


     ***


 夢じゃないかどうか調べるなら夢のプロに聞け。

 そして夢を司る上位存在を呼び出して聞けば手っ取り早いのではないか。


 というわけで、俺は夢の精霊を召喚する準備を進めていた。

 必要な材料にちょっと高価なものが多く、その中に高難度ダンジョンのコアが含まれているせいか世間では呼び出すのが難しい精霊とされているが、ファーニャさんとふたりでザクザクと攻略したら普通に三日で集まった。


 そうして呼び出したのが夢の精霊アリアンだったんだが……。


「いやー、ボクなんて頼る価値なんてないですよアハハ。だって数百年も誰からもお呼びがかからなかったし? ボクが食べ物なら発酵してますよ。いや、もう腐ってるか……発酵食品に失礼だったな……」


 ブツブツとそう言いながら発酵食品に謝っているツインテールのボクっ娘がそこにはいた。全身の大きさは手の平サイズだ。

 召喚した瞬間からどんよりと膝を抱えており、背中から生えた薄ピンクの翅も若干くすんで見える。

 金色の髪や薄紫色の瞳は綺麗なのに、目の下にあるくっきりとした隈がその雰囲気を台無しにしていた。


 そう、高難度すぎて誰にも呼び出されなかった夢の精霊は自己肯定感のない根暗になっていたのだ。

 俺はアリアンのツインテールを摘まんで持ち上げる。


「実力はあるんだからちゃんと仕事しろ!」

「うぎゃー! 数百年ぶりの人間が暴君なんて不運すぎる!」

「まあまあまあ、落ち着いてくださいヴァレリスさん。こういう時は無理強いしちゃダメですよ」


 ファーニャさんがにこにこと笑いながらアリアンを手のひらにのせた。


 その表情を見ただけで心の中に湧き上がっていた怒りが収まっていく。

 さすがファーニャさんだ、宝石よりも素晴らしく魅力的すぎて直視できない。


「ママみたいだ……優しい……」


 そこへアリアンのそんな感想が聞こえた。

 うんうんと同意したが、俺は次の瞬間に耳を疑うことになる。


「こんなにも優しい人が暴君と一緒にいるだなんて……ハッ! もしかして脅されてる!? 優しいママ、ボクと逃げよう!」

「なに!? それは聞き捨てならな――」


 止める間もなくアリアンはファーニャさんの手を引っ張って家の外へ出ていってしまった。まずいぞ、まだ召喚後に与える契約の首輪をしていないから命令できない。

 というかファーニャさんはなんで大人しくついていったんだ。

 魔法は使っている様子がなかったから、精霊といえどもそこまで力は強くないはずなのに。


 ……まさか本当は恐怖心があって俺から逃げられなかったのか!?


 い、いやいや。ファーニャさんは心が美しい人だ。そして隠し事もしない。

 だから大丈夫だと思ったが、俺を受け入れてくれた理由を話してくれなかったことを思い出す。


「……」


 とりあえず追おう!

 俺は自分の両頬を叩いて走り出した。


 そうして何時間でも街中を探し回る覚悟だったが、しかし意外にもファーニャさんとアリアンは街の中央広場ですぐに見つかった。

 大きな噴水を眺められる位置に設置されたベンチ。そこに並んで座っている。


 逃げられないように後ろからこっそりと近づくとふたりの会話が耳に入ってきた。


「あの人、アリアンさんが思ってるほど怖くないですよ」

「う、ウッソだぁ。役立たずだってわかったらボクを焼いて食う気だよ絶対。そしてお腹を壊した責任をボクになすりつけるんだ……」


 自己肯定感が低いわりに他責傾向が強いなコイツ。

 そんなアリアンの頭をファーニャさんが指先で撫でる。羨ましい。


「そんなことありません。ヴァレリスさんは他人を助けられる人ですから」


 ウッソだぁ。

 ……いや、嘘だ。仕事なら助けるが好き好んで手は伸ばさない。


 だっていくら天才でも、この世界の人間すべてに手を差し伸べられるほど強くないからだ。全員を助けようと魔法を窮めていっても、その先に待っているのは俺自身の破滅だとよくわかっている。


 そういう失敗は繰り返したくない。

 繰り返したくないから回避する。

 だからファーニャさんからの評価はちょっと高すぎるな。


「あの暴君、邪魔なら子供でも足蹴にするタイプじゃない?」


 お前の評価はちょっと低すぎる。


 俺は口角を下げつつふたりの前へと出た。隠れて近づくのはヤメだ。

 こちらを見たアリアンは全身を強張らせたが、また逃げ出す前に俺は言い放つ。


「言っただろう、実力はあると。俺はお前の力を認めている」

「……!」

「だから応えてみせろ」

「な、ならその首輪で無理やり従わせたら? それならボクも実力を出すかもよ?」


 アリアンは冷や汗を流しつつも俺の手にぶら下がった契約の首輪を指した。


 この首輪は召喚対象に合わせて伸び縮みする優れもので、装着された者は自我はそのままだが召喚主の命令に逆らえなくなる。

 代わりに毎回安定した力を出せるようになるというメリットがあった。

 このメリットのために修行目的で契約を結ぶ奴や、強すぎる力をコントロールしたくて契約を結ぶ奴もいるようだ。


 たしかにこれならアリアンの力を安定して引き出せるが……それでは実力とはいえない。安定しているが最大限の力じゃないからだ。


 だから俺は首輪を投げ捨てた。


「これを使うのはやめた。高位精霊を自力で従わせてこその魔導師だ」

「ボ、ボクらの魔法が暴走したらヤバいってわかってるでしょ!? なのに!?」

「ああ、それでもだ!」


 そう言いきるとアリアンは眩しそうな顔をした。

 契約の首輪なしで実力を出しきらせる自信がある。なにせ俺は天才だからな。


「……そ……そこまで信じてくれるなら、やってあげる」


 信じているのは俺の実力なんだが、アリアンはその場で魔法を発動させた。

 精霊にしか使えない証明魔法だ。必ず信頼できる結果が出る。

 その魔法によると、この世界は――


「100%、夢じゃないよ!」


 ――だそうだ。

 魔力はちゃんと流れていたし、魔法も発動していた。

 なら大丈夫だな、と思ったところでファーニャさんが「やりましたね~!」っと俺に抱きつく。柔らかいし適度な重量がかかって最高だし良い匂いがするし顔が近いし柔らかい、やわ……とにかく最高すぎる。


 今すぐ抱き返したい。

 しかしその前に俺には言うべきことがあった。


「これ、夢じゃないか!?」

「せっかくボクが証明したのに!?」


     ***


 その日から他にも色々な方法で確かめる日々が始まった。

 夢の石なるものをハードダンジョンに取りに行ってみたり、本物の夢魔をひっ捕まえて訊ねてみたり、敢えて辛いものを大量に食ってみたり、良い夢を見せる夢の実を研究してみたり。


 しかし結果は芳しくない。


 なにせ目覚めると隣にファーニャさんがいる!

 夢じゃないかこれ!?


 なお、アリアンはなぜか帰還せずに居座っていた。

 名目は「ママが心配だから」だそうだ。自己肯定感が低くなっていたところに優しくしてくれたファーニャさんに俺が引くくらい懐いたらしい。


「……お前をパパと呼ぶかは保留だよ、マスター」

「自信がついたら呼んでみろ」

「ボクに自信がないから保留するんじゃないやい!」


 と、そんな様子だったが、呼び方が暴君からマスターになったので良しとしよう。


 様々な情報を集めながら各地を巡るのは普段の仕事とはまた違った雰囲気だった。

 ちょっと旅行気分だが、主目的は本当に夢じゃないか確かめることだ。引き続き気合いを入れていこう。


 そうして今日、遠路はるばる足を運んだのはアルテニアという村だった。


 この村のそばにある巨大な滝は滝壺も巨大で、ドラゴンですら溺れると噂されている。ただし観光名所と呼べるのはその滝だけで村の中は閑散としていた。

 滝に夢にまつわるものは隠されていないが、目的は別にあった。


「いにしえから夢とは衝撃を受けると覚めるもの。よって! 今からあの滝壺に突っ込むぞ!」


 そう、今日は力技だ!


 本当に火を噴くレベルで辛いものじゃ目覚めなかったが、これだけの物理的な衝撃ならなにか起こるはず。

 今までの数々の挑戦を見てきたアリアンが冷めた目をしていたが、反対にファーニャさんは目をキラキラとさせていた。ああ、エメラルドのようで美しい。


「衝撃的ですね~! ご一緒します!」

「ああああ! 現実がこんなに都合がいいはずがない! でも夢の中だとしてもファーニャさんを危ない目に遭わせるわけには――」


 そう滝の手前で待機するように言おうとしたが、ファーニャさんはもう一度「ご一緒します!!」と力強く言うと力いっぱいくっついてきた。

 こんなの俺が折れるしかない。

 他の選択肢があるように見えたのは幻覚だったんだ。


 まあ衝撃は全部俺にかかるように魔法で調整して、ファーニャさんはプールにぴょんと飛び込むくらいの覚悟だけしてればOKという状態にすればいいだけの話だな。

 俺ならできる。


 咳払いをし、それなら離れないでくれと頼むとファーニャさんは俺の腰に腕を回してきた。……夢じゃないよな?


 そ、それを証明するためにも跳ぼう!

 今すぐ跳ぼう!

 アリアンがツインテールを逆立てて「ママはおいてけー!」と叫んでいたが、ファーニャさんの申し出を蔑ろにはできないだろう。


 俺は助走をつけて走ると滝の真上から一気にジャンプした。


「さあ、夢なら覚めてみろ!」


 空中にいた時間は体感で三秒ほど。

 風魔法でファーニャさんの口元と耳を保護しつつ俺にすべての負荷がかかるように角度を調整し、滝壺へと突っ込むと派手な水しぶきが上がった。

 着水する直前に近くで釣りをしている村人がいたが、その表情は驚愕に染まっていた。事前にアナウンスしておくべきだったか。


 しばらくぶくぶくと沈み、水流にもみくちゃにされ、そして……なんか特に起きる気配はないな、と判断したところで水魔法で水を操り水面へと出た。


 釣り人たちがまた凄い顔をしているのが見える。

 まあ滝壺に身を投じた奴が普通に水面から射出されてくればそうなるか。


「わぁ~! 楽しかったですね!」

「さすがファーニャさん、どんな状況でも楽しめる才能がある!」

「ふふふ、褒めてもなにも出ませんよ。……あれ?」


 ファーニャさんが不思議そうな顔をして俺の頭の上に手を伸ばした。

 そしてなにかを摘まみ取る。


 ――それはハート形の石がついた指輪だった。


 水底に沈んでいたのを良い感じに引っ掛けてしまったらしい。

 ファーニャさんが指輪を太陽の光に当てながら「素敵な指輪ですね~」と笑っていると、水辺から突然声が上がった。

 悲鳴というより歓声に近い。


「あ、あれは十五年前に行方知れずとなったと言われる恋愛成就の指輪!!」

「こんなところにあったのか!」

「勇気ある若者のおかげで見つかったぞ!」


 ……なんだ? 唐突に感謝され始めたぞ?


 聞けば指輪は元々この村の守り神が作ったもので、そのご利益にあやかろうと様々な観光客が訪れていたらしい。それはアルテニアの重要な観光資源になっていた。

 しかし、ある日起こった土砂崩れで行方知れずになっていたという。

 それで余計に寂れてたのか?


 そんなこんなで指輪は再び村に祀られ――アルテニアの観光スポットが増えた。

 村人たちに意図していない感謝をされながら俺たちは村を後にする。


 こういう感謝は次も期待されている気がしてちょっと苦手だ。

 

 一方、俺とは異なりファーニャさんは上機嫌で、今日の体験がよほど気に入ったのかスキップまでしていた。スリルのある体験が結構好きみたいだ。

 そういえばハードダンジョンの滑り台トラップではしゃいでたな。

 目的は達成できなくても、こうして彼女に楽しんでもらえたのなら無駄足じゃなかったと思える。


(素敵な指輪、か……)


 そして見つけた指輪を目にしてそう言っていたファーニャさんを思い出した。

 帰り道の森――木洩れ日の中で足を止めた俺は付けていた耳飾りを取り外し、火魔法を駆使して溶かす。

 そのまま風を操って指輪の形に成形し、最後に水を呼び出して冷やす。


「ファーニャさん。今はこれくらいしか贈れないが、いつかもっと素敵なオリハルコン製の指輪を贈ろう」


 そうファーニャさんの手を取り、細く華奢な指に指輪を嵌めると、ファーニャさんは目をぱちくりさせたあと頬を染めて微笑んだ。


「いえ……これも十分素敵です!」


 そのまま俺の手を引き、嬉しそうに頬にキスをしてから指輪を嵌めた手を顔の横に持ってきてにこにこと笑う。

 指輪には石は嵌っていないし、煌めきも村の指輪より控えめなシンプルなものなのに本心から気に入ってくれたみたいだ。


 ――やっぱり夢じゃないか!?


 嬉しいが不安が押し寄せてくる。

 赤くなったり青くなったりしている俺を見て、ファーニャさんはよしよしと頭を撫でてくれた。


「ヴァレリスさんが自信がないの、私のせいかもしれませんね」

「へぁ!? えっ、いや、そんなことはないぞ」

「その、じつは黙っていたことがあるんです」


 ファーニャさんは木洩れ日に目を細めながら一瞬言い淀み、そして決意したように言った。


「私、じつはあなたが王都に来る前に会ってるんですよ」

「え……えっ? 俺と? ファーニャさんが?」

「はい。修行の途中で立ち寄った村で。たしか十歳くらいだったかな」


 ファーニャさんは指で数えながらそう言ったが、俺は十歳くらいだとすればその後に山ほど過酷な修行をすることになったため記憶がおぼろげだった。

 しかしファーニャさんが嘘をつくはずがない。


「そこで私を励ましてくれたあなたが言ったんです。最強の魔導師になって私を含めた全員を助けてやるって」

「……!」

「そしてあなたは本当に最強の魔導師になって、王都で名を馳せた。でもなかなか話しかけられなかったんです。私のことを覚えていたら、その約束も覚えていて……あなたの負担になると思って」


 ――負担。


 ファーニャさんがそう思ったのは、きっと俺の過去の失敗のせいだ。


 ああ、俺は最強だよ。

 でも全員は助けられなかった。

 最初はファーニャさんに約束した通り困っている人を全員助けようと全力を注いでいたが、結局そんなのは夢物語だったんだ。


 今ならそう思えるが、その時の俺は心を壊した。

 救えなかった人から恨まれていると思ったんだ。

 四六時中ずっと監視されて、少しでも心安らかな時があれば「そんな資格はない」と指をさされて怒鳴り散らされているかのようだった。

 そんなはずがないとわかっていても。


 だから自分を守るために全員を守るのはやめたし、仕事は選んだし、自分第一になった。だって、でないと俺が破滅してしまうからな。

 自己中心的だったかもしれないが、死にたくはなかった。


 それをファーニャさんも知っていたんだ。


 考えてみれば教会は人の出入りが多い。

 それだけ人の噂も多く行き来していることだろう。

 ファーニャさんは申し訳なさそうな顔をしながら俺の手を握る。


「でも、あなたは私の前に現れて、気持ちを口にしてくれた。こんなの……」


 そのまま泣きそうな目をしながら、それでもファーニャさんは微笑んだ。


「――夢みたいで、話したらあなたが消えちゃいそうじゃないですか」


 ファーニャさんも俺と同じ気持ちだったんだ。

 そして、それだけでなく『夢かもしれない』俺を想って真実を言わなかった。

 その上で俺がずっと自信を持てないでいる様子を見て、勇気を振り絞って伝えてくれた。

 彼女が大切にしている過去の思い出を俺は覚えていないって気づいただろうに、それでもだ。


 俺はファーニャさんを抱き寄せる。

 彼女はしっかりとそこにいた。


「ファーニャさん、俺は夢じゃない。ここにいる。そして」

「……はい」

「ファーニャさんも、夢じゃないんだな」

「はいっ……」


 この時、ようやく俺は彼女が本当に存在していて、この世界が夢でもなんでもなくて、ファーニャさんは俺と一緒に生きているんだと実感できた。


     ***


 それからどれだけ時間が経っても夢から覚めることはなく、俺の日常はファーニャさんの日常と共に進んでいった。

 この幸せを今はしっかりと享受している。

 これからなにがあったって、この日々が夢じゃないかと疑うものか。


 夢かどうか確かめるために各地を奔走することはなくなったが、アリアンは帰らずに留まり続けていた。なんでも「マスターがまた無茶しないとも限らないからね!」というのが理由らしい。

 まあ俺を心配するのが理由になった辺り、少しは距離も縮んだようだが。


 そう思っていたら「マスターがボロボロになるとママが悲しむでしょ」と続けられた。ブレないなコイツは。


 なにはともあれ両親に挨拶も済ませ、俺とファーニャさんは先日結婚した。


 まだ書類上だけなので結婚式や新婚旅行はもう少し後だ。

 式の本番ではさすがの俺も足が震えそうだなと思っていると、ココアを入れてくれたファーニャさんが俺の隣に腰を下ろして見上げてきた。


「どうした?」

「その、結婚式の時期ってズラせます?」

「……? ああ、まだ計画段階だからな。ズラすならお互いに仕事の入っていない時期にでも――」

「じつは、その」


 ファーニャさんは俺の袖をぎゅっと握りながら囁くように言う。


「で、できたんです、赤ちゃん」

「……」

「ヴァレリスさんとの」

「……」


 思わず無言になってしまった。

 まさかの授かりものだった。

 俺は彼女との間に子供が欲しかったし、ファーニャさんも同じ気持ちだったが、望んだからといって必ず授けられるものじゃない。


 大好きな、ずっと片想いしていたファーニャさん。

 そんな彼女と付き合えただけでなく、毎日一緒に暮らして、一生を分け合って、想いを重ね合って、結婚できて。


 そして、彼女との間に新たな家族ができた。

 こんなの、こんなの。


「こッ、これ……夢じゃないよなっ!?」


 封じたセリフを吐くしかない。

 俺の渾身の叫びを聞いたファーニャさんはお腹をさすりながら温かく笑った。


 この世に確かに存在している、そんな彼女の笑みを見る限り。


 ――夢みたいな俺たちの人生は、やっぱり夢なんかじゃないみたいだ。

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