ある犬獣人とその番い
『犬獣人は誰にでも良い顔をする』は嘘である。
強面犬獣人の彼の犬種は軍用犬なので、目の前で仮病を使われても、無視する。軍用犬なので。
軍用犬と言われる犬種はフレンドリーではない。寧ろ、主人以外の人間には攻撃することも求められる凶暴な犬種である。
外見上は強面の犬獣人なので、犬獣人は親切で優しくて夫や恋人に最適、と思う層に狙われる。
が、命令があれば人間を襲う犬種は、主人以外の他人を気遣うなどしない。
スルーして歩く。
そしてまた一人、彼の前で転ける若い女性。
珍しく、彼は手を差し出す。
「あ、ありがとうございます」
戸惑ったように礼を言う女性は左右を見回して、立ち上がる。
「どうかしたのか?」
「以前、犬獣人の人に同じように手を貸してもらった時、連れの方が棒で地面を叩いて驚いたんです」
彼女はどっかのフレンドリーな犬獣人とその連れと遭遇したことがあったらしい。
「それは驚くな」
「ええ。すぐに謝ってくださったんですが、転けた私に手を差し出してくれるのは犬獣人だけですから、つい、探してしまうんです」
トラウマになっているようだ。
「大変だったな」
「犬獣人の方の中には何度も手を貸してくれた方もいるので、呆れられているかもしれません」
「呆れるなんて、そんなこと、あるはずないだろ」
「棒を持っている方には、そんなによく転けるのは、何か病気かもしれないから、一度、病院に行ったほうがいいと言われました」
どっかのフレンドリーな犬獣人とその連れには何度も遭遇しているらしい。
「それで病院ではなんと?」
「特に病気ではないって」
「はあ〜。何もなくて良かった」
「無関係な私のことを心配してくれるなんて、犬獣人の方って、本当に優しい人ばかりですね」
「それは違う。お前が番いだからだ」
「? 番い? あなたが私の・・・?」
「そうだ。お前が俺の番いだ。だから、他の犬獣人の手を取って欲しくない」
「今、私の手を取っていたのは、あなただけですが?」
「今後、俺以外の手を取って欲しくない」
「・・・」
ヤンデレか?!
その後、監禁系ヤンデレのように、彼女は番いと一緒でなければ外出できなくなった。職場への行き帰りも、番いに送迎してもらっている。
「あ、」
「あ」
転けそうになった彼女の腰に手が回り、転けずに済んだ。
彼女が転けるのを抱き止めようと足を出した少女は動きを止める。
「大丈夫か、ダニエル」
「ありがとう、シーザ。お陰で転けずにすんだわ」
「役に立てたなら、光栄だ」
「もう、あなたなしじゃいられないわ」
「俺もそうだ、ダニエル。ーーダニエル、もしかして、彼女が・・・?」
目に険を宿して、犬獣人は動きを止めた少女を見る。
少女は転けなかったことにホッとして、すれ違おうとしていた。
「ええ。棒の方です」
「そうか」
不穏な空気に少女は乾いた笑い声を上げる。
「あはは。久しぶりー。番いか?」
「そうなんです! 番いが見つかったんです! 彼はシーザ。私の番いです」
言っちゃったとばかりにダニエルは赤面した。
番いにそんな反応をされて、番いの敵を前にしているにもかかわらず、シーザの注意はすべてダニエルに向かう。
「そうか。良かったじぇねーか」
「犬獣人の方は?」
少女は途端に酢を飲んだような表情をした。
「あいつにも番いが見つかったんだ」
「良かったですね」
番いが見つかって良かった、との思いで彼女は相槌を打つが、少女の表情は晴れない。
「良くねーよ。あいつ、犬獣人なんだぞ。番いが苦労して、可哀想な状態なんだ。ーーあ。あんたの番いも犬獣人か」
「?」
「犬獣人は誰にでも愛想振り撒く屑野郎だから、付き合ったら誰にでも良い顔して、ドアマット扱いするから、気を付けろよ」
「そうなの、シーザ?」
「攻撃性の低い犬種はそうだな。俺みたいな攻撃性の高い犬種は警戒心が強いから、親しい間柄以外は塩対応だぞ」
「そうなんだ」
「へえ〜。あたいの幼馴染も攻撃性の高い犬種だったら、カイのお母さんも番いも苦労しなかったんだな」
彼女だけでなく、棒の少女も初めて知る事実に驚く。
「攻撃性の高い犬種は一匹で狼に立ち向かうが、攻撃性の低い犬種はチームワークを重要視して、群れより番いを優先することが少ない。そのせいか、大きな街の犬獣人はほとんどが攻撃性の低い犬種だ」
攻撃性の低い犬はコミュ力が高くて、攻撃性の高い犬は気難しいらしい。
「だからか〜」
棒の少女は妙に納得できた。
そんな時、どこからともなく声が聞こえてきた。
「ケイナ〜! やり直そう!」
「ほかにも女との噂がなくなったら、考えてあげる」
それは無理だ、と棒の少女は思った。幼馴染のお父さんは助けられた礼と称して、何度も女性と会って浮気の噂が立って、番いである妻に捨てられたのだ。
幼馴染のお母さんは噂がなくならないことを知っているから、塩対応だ。
「幸せにな〜」
納得した棒の少女は、そう言って、かつて怯えさせてしまった彼女と別れた。