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待合室にて

 腕時計の針は、午後の9時を過ぎたところであった。佐々木は、缶コーヒーを傾けながら、待合室の隅の椅子で、何とはなく、あたりを眺めていた。東京駅に近いせいか、夜でも人通りは多い。しかし、この夜行バスの待合室の中は、さほど混んではいなかった。

 佐々木は、缶コーヒーを飲み終えた。空き缶を捨てようとしたが、近くにゴミ箱がなかった。乗車する大阪行きの夜行バスが出るまでには、まだ30分以上あった。それで、佐々木は、ゴミ箱を探して、待合室の外に出た。もう春になったせいか、さほど外も寒くはない。

 いくらか歩いて、ようやく自販機の隣のごみ捨てを見つけたので、捨てることができた。見ると、自販機の隣りにある大型のコインロッカーの前で、ひとりの女子高生らしき女の子が、財布をゴソゴソと探りながら、困った顔をしている。前の開いたままのロッカーには、学生鞄が詰めてあった。とうとう、堪りかねたのか、彼女は、そばにいた佐々木に気づくと、

「ねえ、おじさん、悪いけど、百円玉持ってない?あたし、ロッカー閉まんなくて、困ってんのよ、駄目?」

 佐々木は、言われて、自分の財布を探った。1枚あった。それを彼女に手渡すと、彼女は、

「サンキュー。いつか、返すから」

と、言って、ロッカーの鍵をかけると、あっという間に、どこかに姿を消した。いつか、返すから。笑えるな。でも、女の子も、本当のあたり、難儀なんだなって、つくづく実感した。そんなことを考えながら、佐々木は、待合室に戻っていく。

 待合室の中は、相変わらずに、人の姿もまばらだ。今は、ゴールデンウィークも、まだだから、帰省する人も少ないのかもしれない。それで、さっきの隅の席が空いていたから、佐々木は、何だか妙にホッとして、座った。少し、座っていると、佐々木の隣の空席に、一人の若い女性が座ってきた。それで、佐々木が何気なく見ると、派手な衣装の女であった。髪は茶髪で、カールしたロングヘアーに、面長の顔立ちも悪くない。まあ、美人の方だろう。濃いオレンジ色の口紅をしていた。そして、上着は、紅いタンクトップで、胸もとが大きく開き、巨乳の谷間がくっきりと見えている。思わず、佐々木は、目のやり場に困った。そして、黒いミニスカートをつけて、黒いニーハイソックスを白くむっちりとした太ももまで履いている。水商売関係の女だろうか、と、佐々木は思った。すると、驚いたことに、その女は、佐々木の隣りに座ったかと思うと、今度は、佐々木に、ぐっと身体を擦り寄せて、彼の耳もとで、甘い声を出して、

「ねえ、おにいさん、今夜、あたしと遊ばない?きっと楽しい夜の思い出になるわよ」

と、囁いてきた。びっくりして、佐々木が、黙っていると、彼女は、さり気なく、佐々木のズボンの股間を愛撫しながら、また、甘い声で、

「やだ、お兄さんのあそこ、大きそうじゃないの。これなら、あたしも満足できるわよ。ねえ、いかがかしら?あたしを抱いてみない?抱き心地、いいわよ、あたし。場所なんて、どこだっていいのよ、別に。1時間で2枚でどうかしら?ゴムなんてつけなくていいから。ねえ、あたし、どうかしら」

 そう言って、女は、また、さらに身体を密着させて、股間に指を這わせて、弄ってきた。

 慌てて、佐々木は、もうすぐバスに乗るから、そんな時間、ないよ、悪いね、とあっさり断ると、女は、むくれたような表情で、さっさと、どこかに消えてしまった。売春か、女は、本当に抜け目のない生き物だなと佐々木は実感した。

 それから、佐々木が、さっきと同じ缶コーヒーを買って、席に戻ってみると、向かいの席に、ひとりの高齢の男性が座って、こちらを見て、ニコニコしている。えらく、愛想のいいおじいさんだなと思っていると、その老人が、身を乗り出して、佐々木に話しかけてきた。

「あなたは、どのバスですかな?大阪まで?ご実家へ帰省ですかな?」

 それで、佐々木は、大阪まで、仕事で出張に出かけるところですよ、と答えた。すると、やはり、老人は、ニコニコと笑って、

「わたしは、大阪に住む兄の実家に行くところなんですよ。兄といっても、もう89になりますがね。そこで、余生を送るつもりで、荷物もまとめて持ってきました。もう、この年ですからな」

 佐々木は、持っていた缶コーヒーの蓋を開いた。パカンと音が鳴った。間の抜けた音だな、と佐々木は思った。

「前は、東京の豊島区にある、一軒家で、妻とふたりで暮らしとりました。狭い家でしたが、ふたりで、ほとんど喧嘩もせずに、仲良く暮らしとったんですわ。本当、平和にねえ。それが、あなた、2ヶ月ほど前に突然、妻を亡くしましてね。それも、病気とかじゃないんですよ。放火です。妻が、風邪で寝ている間に、誰かが、うちに火をつけたんですよ」

 佐々木は、缶コーヒーを、ゴクンと飲んだ。少し、苦い気がした。気のせいだろう。

「その時、わたしは、妻の代わりに、夕食の食材を買いに、近くのスーパーまで、買い出しにでかけとりましてな。妻ひとりで、うちにいたんですわ。それが、あなた、家に帰ったら、もう火の海ですわ。消防車が駆けつけたようで、消火してましたが、もう手遅れです。焼け跡から、妻の焼死体が出てきましたよ。もう、黒焦げでした」

 佐々木は、また、ひとくち、コーヒーを飲んだ。やはり、苦いような気がした。

「警察の方も来られて、調べていただいたんですが、結局のところ、犯人は見つかりませんでした。運が悪かった、というしかありません。今では、そう思ってますよ。……………………、それで、もう、帰るうちもありませんしね、あとは、遺品を整理して、兄の家で世話になろうと思ってます。でも、兄も家族がいますからね、できるだけ邪魔にならんように気を使わんとね、大変ですわ」

 話し終わっても、やはり、老人は、愛想よくニコニコとしていた。きっと仲のいいご夫婦だったんだろうなと、佐々木は思った。

 その時、待合室にアナウンスが流れて、大阪行きのバスが到着したことを告げた。

 佐々木は、そばに置いたカバンを持って立ち上がった。

「では、参りますかな?」

 老人は、そう言うと、大きなスーツケースを両手に2個持って、佐々木の前を歩き出した。向かうのは、バスの発着場だ。その後を佐々木が追う。

 何だか、前を行く老人の背中が、小さく見えて仕方なかった。これも、一つの人生なんだなと、佐々木は、改めて実感していた。もう一度、コーヒーを飲んでみる。やっぱり、苦い味がした。そんな時もあるさ、と佐々木は、何気なく思っていた………………………。


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