この感情の成れの果て
「君のこと、絶対に嫌いにならないからーー」
そう言った彼女は数日後、僕との関係を断ち切った。
既読の付かなくなったLINE。鍵がかかり見ることの出来なくなったSNS。永遠とも思える時間の中で必死に悩み続けたが、結局、それらしい答えに辿り着くことはできなかった。
彼女と言っても、別に恋人関係にあったわけではない。高校の同級生だった彼女とは、いわば「悪友」だった。
性別こそ違えど、趣味やモノの見方、考え方に共通点が多く、入学式で隣の席だったこともあり、仲良くなるのに時間はかからなかった。
彼女と過ごした三年はあっという間だったけど、その全てがかけがえのない思い出だった。
「あいつら付き合ってんじゃね?」と揶揄する生徒もいたが、きっと、「恋人」という曖昧で脆い関係ではない、確固たる絆が僕たちにはあったと思う。
そんな僕たちも、卒業後は別々の大学へ進学することになった。
毎日のように連んでいた「悪友」との別れは寂しかったが、お互い時間を見つけては、一緒にどこかへ出かけたり、SNSでも頻繁に連絡を取り合っていた。
しかし、そのような平穏にも、終わりは突然訪れた。
その日、久しぶりに彼女と飲み屋に行った帰り道、足取りのおぼつかない彼女はぽつりとつぶやいた。
「君のこと、絶対に嫌いにならないから」
酔いのせいか、妙に感傷的なその言葉に僕は戸惑ったが、深く考えずに「ありがとう」とだけ返事をした。
その数日後、ふと用事があって彼女にメッセージを送ったが、既読はつかなかった。
彼女の忙しさを知っていたので気に留めなかったが、数日経っても反応はなかった。
こんなことは初めてだった。
気になって、電話もしてみたが繋がらず、嫌な予感が胸をよぎった。SNSを覗くと、いつの間にか鍵がかけられていて、投稿内容を見ることができなくなっていた。
長い年月をかけて築き上げたこの関係は、何の前触れもなく、崩れ去ったのだ。
悪いことをしたのなら謝りたかったが、原因は何一つ思い当たらなかった。謝罪や、遠回しに原因を探る内容など、言葉を変えてメッセージを送ってみたが、それでも、反応が返ってくることはなかった。
僕は何をやらかしてしまったのだろうか。気を許せる相手だと思っていたのは、僕だけだったのだろうかーー
身に覚えのない後悔と不安が、僕の心をゆっくりと蝕んでいった。
ーーー
あれから数日、僕は外に出ることができなかった。
既読のつかないLINEにメッセージを送り続けたり、SNSの鍵が外れるんじゃないかと淡い期待を込めながら、定期的に覗いたりして、時間を無駄に消費していた。
自分の行動に意味がないことは、頭では分かっていた。しかし、心がそれを拒み続けていた。
これらの繰り返しで、季節は過ぎ去っていった。
ある晩、共通の友人である京介から電話がかかってきた。その声には心配の色が滲んでいた。
「お前、あの子のこと気にしてるんだろ? ちょっと話がある」
京介は都内のカフェで会おうと言った。翌日、重い気持ちを抱えながらそのカフェに向かった。彼はすでに席についていて、僕を見ると深刻な表情を浮かべた。
「実は、あの子、地下アイドルをやってるみたいなんだ。俺も最近知ったんだけどさ」
予想もしていなかった言葉に驚きを隠せなかった。彼女が地下アイドル? 全く想像していなかった。僕の戸惑いをよそに、京介は続けた。
「彼女はアイドルとして伸び悩んでるっぽい。ファンも少なくて、辛い思いをしているみたいなんだ。」
彼の話を聞いている間、胸の奥が痛んだ。彼女がそんな思いをしていたなんて、全く知らなかった。
「それで、ネットでちょっと調べたんだけど……」
京介はスマホを取り出し、ある掲示板のページを見せた。
そこには、彼女のプライベートな情報と、僕と彼女が二人で遊んでいた時の写真が貼られていた。それを見て、血の気が引いた。コメント欄には、彼女が僕と親密な関係にあると勘違いした書き込みで溢れていた。
「これが原因で、ストーカーが現れたみたい。彼女の隣に写ってるのってお前だろ?」
京介の言葉を聞いて、手足が冷たくなった。
まさか、僕自身が彼女の恐怖の原因になっているなんて、少しの想像もしていなかった。
「そっか……ありがとう。これからどうすればいいのか、少し考えてみるよ」
カフェを後にした僕は、思考の海に沈みながらも、何か行動に移すべきだと感じていた。彼女を支えるために、何かできることはないだろうか。それを考える中で、まずは彼女が所属しているアイドルグループの情報を集めることに決めた。
帰宅してすぐ、ネットで彼女のグループの名前を検索した。すると、いくつか情報が見つかり、彼女が出演するイベントもリストに上がっていた。次のライブは一週間後。場所は都内の小さなライブハウスだった。
その日が来るまでの間、僕は一日一日を指折り数えながら過ごした。彼女に何を言うべきか、どう伝えるべきか、何度も何度も頭の中でシミュレーションを繰り返した。
そして、ライブ当日がやってきた。僕は会場の前で心臓が破裂しそうなほど緊張しながら、入場の列に並んだ。会場に入ると、ステージには既に彼女と他のメンバーが立っていた。その顔は、僕の知らない「アイドル」としての顔だった。
彼女はステージの上で一生懸命にパフォーマンスをしていた。知らない曲、知らないダンス、知らない声援、知らないコール、僕の知らない彼女がチラつくたびに、体のどこかがチクりと痛んだ。
ライブが終わり、演者との握手会が始まった。彼女のレーンには列がなく、僕は恐る恐る彼女のもとへ歩み寄った。彼女の目が僕を捉えた瞬間、驚いた表情を浮かんでいたが、すぐに冷静さを取り戻したようだった。
「久しぶりだね」と僕は声をかけた。
彼女は少し困惑しながらも微笑んでくれた。
「久しぶり。ここに来るとは思わなかった」
「君のことを知りたくて、来たんだ。ずっと心配だった」
彼女は一瞬視線を逸らしたが、やがて決意を固めたように僕の目を見つめ返した。
「色々とごめんね、だけど大丈夫だから。心配しないで」
僕の手を握る彼女は、どこか弱々しく感じた。
「分かってる。だけど、君が思い詰めてるって聞いて。なんかもう、居ても立っても居られなくて。何か僕に出来ることはある?」
少しの間があった。
彼女は深く息をつき、言葉を選びながら話し始めた。
「アイドル活動を続ける中で、色々なことがあった。楽しいことも辛いこともたくさん。だけど、その感情全てが私だけのものだから。私のことを分かった気になって、変に同情しないで欲しい。遊びでやってるわけじゃないから」
言葉を重ねるごとに強く握られていた手が急に離された。
そして、彼女は涙を浮かべながら言った。
「それに、最近の君はどこかおかしいよ」
その言葉と同時に、時間を測っていたスタッフに肩を叩かれて、この場を後にした。
ライブ会場を後にして、冷たい風が顔に当たる中、彼女からの言葉の意味を考えていた。
スマホを取り出し、彼女とのトーク履歴を遡る。この行動もいつの間にか癖になっていた。半年前に飲みに誘われて以降、僕が一方的に連絡するだけの場所になっていた。
「こんなに送ってたっけ」
親指を上下しながら履歴を眺めていると、ふと、彼女からの言葉を思い出した。
『最近の君はどこかおかしいよ』
「ああ、そうか……」
急に手足の力が抜け、泣き崩れるような形でその場で膝をついた。どこか、体の大切な部分が壊れてしまったのだろうか。激しく痛む胸を抑えながら、その場にうずくまった。
そして、気づいてしまった事実を口にした。
「彼女のストーカーは、僕だったんだ」
会場で握られた手の温もりは、夜風とともに消えていった。