四十四話 これからの方針
その後、何とか蛇の刺青の女から逃走することに成功した俺とアクエスは、なんとか協会本部に戻って来れた。あの場から逃げることしか出来なかった自身が心底嫌になる。こうしている間にもあの子が無事でいる保証なんて何処にも無い。
連換術を思うように使えない自分の弱さに愕然とする。エリル師匠から身体で学んだ東方体術が無ければ、本当に命を落としていたかもしれない。
大気中に存在する生命の源、エーテル。当たり前のように使っていたその恩恵の大きさを改めて痛感した。文字通り身を持って。
「とにかく、よく無事に戻って来てくれた。君たちが遭遇したその女性の姿と服装を聞く限り、マグノリアでグラナ君が対峙した聖葬人に連なる者と見て間違いなさそうだね」
本部の受付業務に戻っていたミシェルさんに昼間の調査結果を報告する。相変わらず本部は忙しそうだが、協会長代理が予想以上にやる気を出して滞っていた業務を再開したお陰か、遅れを想定以上の速さで取り戻すことが出来たとか。
あの代理にとってケビン爺さんの不報は、彼のそれまでの在り方を変えてしまう程の衝撃だったようだ。
「でも、やられっぱなしって訳でも無かったんだろ? A級とB級の連換術師がいて苦戦するような相手なんて——」
「楽観的な考えはしたく無いからハッキリ言う。逃げることが出来たのは運が良かっただけ」
アクエスが俺を横目で流し見る。先に戻っていたアルはアイマスクの情報について、先にミシェルさんに報告してくれたようだ。ミシェルさん経由でビスガンド邸に滞在しているソシエにも連絡を取って貰った。
本来なら直ぐにでもビスガンド邸に戻りたいところだが⋯⋯。
「小聖堂での一件は既に根元原理主義派に知られていると見た方がよさそう」
「当然、やりあった俺達二人のことも奴らには筒抜けだろう。シエラを攫った以上は俺達が奪還しに来ることも想定しているだろうし。こんな状況になった以上、ビスガンド邸には戻れないな」
教会からしてみれば、俺は教皇の娘を危険に晒し、誘拐を阻止出来なかった大罪人。レイ枢機卿は皇太女の儀までに、シエラを奴らから取り戻すことが出来れば不問とするようだが、そんな口約束信じられるはずも無い。今や教会のお尋ね者の俺は、協会に顔を出すだけでも迷惑になるかもしれない立場であることを再認識する。
「ん。それなら、北地区にある私の家を拠点にしよう」
北地区か、異国情緒溢れるあそこなら確かに隠れるには持ってこいかもだ。ラスルカン教のモスクもあるから、教会の追手もそこまでは追ってこないだろうし。
「そういえばアクエスは北地区に住んでいたね。リャンさんの容態はどうだい?」
「ん。一時期と比べるとだいぶ良くなった。清栄から取り寄せた漢方が効いたって」
アクエスが普段よりちょっと高い音域で嬉しそうにミシェルさんと話している。
話の内容からして、同居人のことらしいが『リャン』? ここらじゃまず聞かない名前だ。
彼女のお父さんだろうか? というか止むを得ない事情で、女性の家で厄介になることになったが流石にそれは⋯⋯。
余程難しい顔をしていたのだろう。俺の様子に気づいたアクエスが気遣うように声を掛ける。
「どうしたの?」
「仕方ないとはいえ、つい先日会ったばかりの女性の家にお邪魔するのも悪いというか——」
「普段からあんなに沢山の女の子に囲まれてるのに?」
「お前、俺を何だと思ってるんだよ⋯⋯」
やれやれと両手を上げる俺にアルとミシェルさんの冷ややかな視線が突き刺さる。
俺は、普段から何か悪いことでもしているのだろうか?
「全く、自覚が無いというのも困りものだね。これは」
「は? なんだよ、やぶからぼうに?」
「⋯⋯確かに。マグノリア支部にいた頃も新人、特に女の子は特に絡ませづらかったかな、グラナ君とは」
ミシェルさんまで何処か遠い目をしている。——悪いがさっぱり身に覚えが無い。
しいて言うなら市街騎士団で見習い騎士をしていた頃も、何故かクラネスを始めとする、女性騎士団員の人達から良くして貰っていたぐらいだが⋯⋯。
「ん。大丈夫、二人共。家に来てもらうとは言ったけど、グラナは離れで寝てもらうから」
何故かアクエスまで急によそよそしく、そんなことを言い始めた。俺としては願ったり叶ったりだが、一体何を心配しているのだか?
「アクエスぐらいドライな方が、彼の毒牙にはかからなさそうだしいいんじゃない?」
「聞き捨てならねぇな、アル? 毒牙てなんだよ?」
俺が問い詰めるがアルはのらりくらりと躱す。ミシェルさんも苦笑いしてるし納得いかない⋯⋯。しばらく俺とアルの様子を複雑な表情で眺めていた彼は「そう言えば——」と話題を切り替えた。
「三人共。ペリドを見なかったかな?」
「ペリド? 見てないけど、あいつがどうかしたのか?」
「そうか⋯⋯。実は昨日から協会の宿舎にも戻っていないようでね。何処をほっつき歩いているんだか」
ミシェルさんが疲れたように息を吐く。ペリドと言えばやたらと水路の水質検査に拘っていたが、あいつの身に何かあったのだろうか。それに兄貴を心配させてまで何をしているんだよ?
まぁ予期せぬ邪魔が入ったとは言え、小聖堂の水質検査を完了出来なかった俺が言うべきことでは無いかもしれないが。
「心配だね、トラブルに巻き込まれていなければいいけど」
「ん。今の皇都じゃ正直何が起きてもおかしく無い。水路の水質検査も何かしらの邪魔が入って思うように出来ないし、父さんが体調を崩したのも皇都の水が原因らしいから」
そうなのか? 体調を崩したのが皇都の水が原因というのは、俄には信じられない話だが。
やはり、皇都の水に何か異変が起きているのだろうか? 昼間、小聖堂の湧き水を飲んでいた観光客の様子に特に異常は見られなかったが。
「君たちの荷物はビスガンド邸からアクエスの実家に送ってもらえるよう手配しておく。北地区のラスルカン教モスクには電信機も備えてあったはずだから、連絡はそれで取り合おう。カマル王子、モスクヘの連絡をお願いしても?」
「ああ、いいとも。僕もしばらく派手な行動は避けることにするよ。それじゃグラナにアクエス、無茶するなよ?」
「そっちもな、アル。こんな状況だけど皇太女の儀が上手く行くことを祈ってると、セシル殿下によろしく伝えておいてくれ」
「了解だ。それじゃまた」
颯爽と本部を後にするアルの後ろに従者のジャイルが続く。
ハッキリ言ってこの事態をなんとかしない限り、勲章授与どころじゃ無いからな。
まずはなんとしても奴らに連れ去られたシエラの居場所を突き止めないと。
それに最近、満足に鍛錬も出来ていないし何処かで型の見直しもしときたいところだ。
「そういえば、アクエスのお父さんてどんな人なんだ?」
「正確に言うと実の父親じゃ無くて、育ての親。清栄から東方武術を広める為に帝国に移り住んだ武術の達人」
何気なく聞いたアクエスの養父の凄さに驚く。彼女が棍なんて珍しい武器を使っていたのも、その影響なのだろうか。東方武術の達人か⋯⋯もしかしたら俺が更なる高みへと至るきっかけになるかも知れない。時間はあまり無いが師事することは出来るだろうか。
俺が静かに拳を握り締めていると、アクエスが続ける。
「——そして後輩の師匠、エリル・フォン・マテリアの体術の師でもある」
「……え? 今、なんて」
「ついて来て、グラナ。父さんも貴方と会うのを心待ちにしているから」




