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迷宮

作者: 2kgの円盤

 その迷宮は北アメリカ大陸の中西部にあった。

 はるか昔から、アメリカにいた先住民たちはその迷宮の存在を知っていたのにもかかわらず、その迷宮を発見した人物はスペインからアメリカ大陸にやってきた探検家だということになっている。

 しかも、その探検家は自分の力で発見したのではなく、先住民に案内されて、そこに訪れたのである。

 迷宮がいつからあったのか、わかっていない。先住民に尋ねても、「わからない。自分たちが生まれる前からあった。先祖が建てたものでもない。」という答えが返ってきた。

 その答えは誰も疑わなかった。入植者たちにとって、野蛮で非理性で、文明化されていない先住民たちが、この迷宮のような幾何学的な建造物を建てるとは思えなかったのである。

 先住民も寄り付かない人里離れた平野にその迷宮はあった。なぜ寄り付かなかったというと、単純に何もなかったからである。何もない平野に円形で、黒色の石造りの建造物があった。異様だった。

 まるで、丸い板が平野に置かれているように見えた。

 その円形の迷宮の大きさは五万平方メートルほどあった。しかし、周りに比較するものがなかったため、それほど大きい印象は受けなかったらしい。

 高さは、4メートルほどだった。上は真っ平らだった。乗ることは簡単にできた。

 迷宮には門と呼ばれる入り口が4つあった。

 北、南、北東、南西にひとつずつ開いていた。

 門といっても、扉があるわけではない。ちょうど人が一人通って、中に入れるほどの穴が開いていたのだ。その門のどれかひとつから中に入ると、一本の道が続いていた。一本道をひたすら100メートルほど歩くと、入った門とは別の門から外にでることができた。

 迷宮の中は、常に風が吹いていた。そのため、窒息することはなかった。

 そして、再び、門に入り直し、中の道をまた100メートルほど歩くと、今度は別の門に出た。

 たとえば、迷宮の北側にある門から入ると、ちょうど南西にある門に出ることができる。迷宮の中の道は一本であり、途中で分岐していることはない。中で迷うことはありえなかった。

 しかし、逆に、出てきた南西の門から再び、入りなおし、迷宮の中の一本道を歩き続けると、今度は最初に入った北の門に出ず、南の門に出てきてしまうのだ。そして、南の門から入ると、今度は北のの門ではなく、北東の門に出てきてしまう。

 迷宮の中は、一本道だったにもかかわらずである。そのことは、この迷宮を訪れた人は皆、何度も確認することであった。

 この迷宮の存在は世界中に、瞬く間に広まった。

 ヨーロッパの人間のほとんどがこの迷宮に関心を持った。

 アメリカに移住することは全く考えていなかったのにも関わらず、イギリスやスペインからやってきて、この迷宮を訪れる人間もいた。観光目的である。

 ある門から入り、別の門に出る。そして、その門に入り直し、すると、最初に入った門とは別の門から出てくる。最初に入ったもんとは違う門に出てくる。それを4回繰り返すと、最初に入った門に戻ってくる。これをするためだけにわざわざアメリカまで訪れたのである。

 入り口にロープを結び、そのまま中に入ったらどうなるか、試みられた。すると、ロープは途中で切れてしまった。

 4人同時に一斉に4つの門から入って見ることも試された。4人はすれ違うことはなく、それぞれ、別の門から出てきた。

 一方、アメリカにいた入植者の多くはこの迷宮に興味を示さなかった。その近くに鉱脈が発見されたからである。迷宮の仕組みを明らかにすることよりも、鉱石を掘る方が優先した。そして、彼らにとって、重要なことは、新大陸を侵略することだった。

 自分たちには理解できないものが存在するということがとてつもない興味と関心を引いたのである。

 この迷宮について、まず、神学者の間で討議された。カトリック側もプロテスタント側も、この迷宮が、どのような仕組みでできているのか話し合い、論考を書いた。 

 あらゆるものが神によって合理的に創造されているという前提に立ち、自らを権威づけている教会にとって、この迷宮の存在は邪魔で厄介なものあった。この迷宮は、明らかにキリスト教とは関係がない建造物であった。

 最初のうちは積極的に言及、討議されていたが、時代が経つにつれて、迷宮に対する言及が減っていった。次第に、神学者たちは、この迷宮自体を、自らの神学の体系から除外、無視するようになった。ないものとしたのである。

 当時の自然科学者も、この迷宮について調べようとした。しかし、電磁気学すら確立されていない当時の科学では、なにも分からなかった。

 いつ、だれが、なぜ、どうやって、なんのためにこの迷宮を作ったのか、手がかりは全くなかった。しかし、人々はこの迷宮に興味を持つことは止めることはできなかった。

 たとえば、どの門から入ると、どの門に出るのか、それらに、何かしらの規則があるのではないかといった考察や、それだけではなく、迷宮が存在する位置に何かしらの意味があるのではないかといった考察が行われた。

 人々は錬金術、数秘術、神話学と呼ばれるあらゆる分野の学問を用いて、この迷宮の謎を解き明かそうとした。

 新たな学問と呼ばれるものが生まれるたびに、それを用いてこの迷宮の謎を解き明かせるかもしれないと期待され、しかし、何も、解き明かすことはできず、終わった。

 迷宮の形が完全な円ではなく、わずかに楕円であり、惑星の楕円軌道と同じであるかもしれないということがわかったが、そのことがわかっても、それからわかることは何もなかった。

 現在の科学を用いれば、何か解き明かせるかもしれないと思われるだろう。しかし、それは不可能である。

 その迷宮が発見されてから、10年後、調査との名目で、イギリスからやってきた調査団が、迷宮を内側から、穴を開けて中から、調べようとしたのである。

 しかし、何もわからなかった。穴を掘り進める途中に、突然、迷宮が叫ぶような金切り声のような、轟音を立て始め、一気に崩れた。調査隊ごと、飲み込んでしまって、崩れ落ちてしまった。中にいた調査団は一人も、助からず、瓦礫の山が残された。

 その瓦礫の山は、建築資材として利用された。今、その迷宮の跡には、何も残っていない。ただ、迷宮があったことを示す石碑だけがある。

 近くの町の市庁舎の1階のロビーに、ほんのわずかだけ、迷宮の瓦礫が残されて、ガラスケースの中に、展示されている。しかし、ただの瓦礫であるため、はるばる見に訪れた人はがっかりして帰って行くことが多い。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マジ!? ワクワクするお話でした。
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