第2話「どうやら異世界人は意外と多いらしい」③
学校中で、吹奏楽部の金管楽器の音が鳴り響く。顔をしかめるほどでは無いうるささを浴びながら、俺は急ぎ足で廊下を歩いていた。
帰宅部であるが故、別に急ぐ必要は無いのだが、部活中の校内と言うのはなんか居心地が悪い。俺はぽつぽつと往来する生徒の横を過ぎ去りながら、やがて、生徒玄関へとたどり着く。
「……あっ、」
と、玄関では、靴箱に背中を付け、暇そうに後ろ手をモジモジとさせている夜陰がいた。
……無表情と言うか、ぼうっとしているだけと言うか。俺は夜陰が笑っていない顔を初めて見た気がして、珍しく思ってしまった。
アイツ、こんな顔するんだな。いつも俺といる時は、すっげー楽しそうにしているのに。俺は口元がむず痒くなるのを感じながら、「夜陰、」と彼女に声をかける。
俺が声をかけた途端、夜陰はパッと表情を明るくさせて、「クロくん!」とこちらへ向かって来た。
「待ってたよ! いきなり先生に呼ばれちゃうんだもんね。きっと今朝のことを話してたのかな?」
「……なあ、夜陰。なんで俺を待ってたんだ?」
「え? ……決まってるじゃん! 一緒に帰りたかったからだよ!」
夜陰はぴょんぴょんと飛び跳ねるように笑った。俺は彼女の、心底嬉しそうな表情に顔を赤くして、耐えきれずに目を逸らす。
ああ、クソ。認めたくないけど、すっげぇかわいい。
例えば、この笑顔が、気を使っているだとか、かわいく見られたいからとか、そう言う気持ちで作った物だったら、ここまでの気持ちにはさせられない。
コイツは、マジで俺と居て楽しいから、こんな顔をしているんだ。ついさっきの一瞬の変化で、それを確信してしまった。
クソ。気持ちを掻き乱される。けど、俺と夜陰は出会って2日しか経っていないんだ。こんなふざけた気持ちで相手の想いに応えてしまったら、それこそ夜陰に失礼だ。
アリかナシかで言えば、アリだ。だけど、俺がコイツと胸張って『付き合う』って言うには、まだ、時間が圧倒的に足りない。俺はそこまで考えると、一度咳払いをしてから、マジメな顔で夜陰を見つめる。
「――夜陰」
「ん、どうしたの?」
「……話したいことがある。ここでじゃあ、言いづらいから……帰りながら、言おうと思う」
夜陰は俺の雰囲気を感じ取ったらしい、同じようなマジメな面持ちになって、「……うん」と、厳かに返事をした。
その後俺たちは、玄関で靴を履き替えてから、校門を出た。
◇ ◇ ◇ ◇
夜陰と共に、通学路を並んで歩く。コンクリートを踏み締める足音と、車が走り去ったり、鳥が鳴いたりする環境音だけが、俺たちの間にこだまする。
話したいことがある、と言った俺だったが。その後俺たちは、会話を交わすことなく、二人で帰り道を歩いていた。
夜陰は何も言わず、何も聞こうともせず、地面を見つめてぽくぽくと歩いている。俺はそれが、彼女なりの気遣いなのだと、簡単に察した。
……わかっている。俺が口火を切ったのだから、俺が話さなくちゃあならない。
だけど、いざ自分の気持ちをハッキリ言おうと思ったら、やけに足が竦んで、一歩が踏み出せない。
……情けない話だ。言葉がまとまらないとか、気恥ずかしいとか、そんな理由で、向き合わなきゃならねぇことから目を逸らすなんて。
俺は息を深く吸い、深く吐く。夜陰はなお俺へと視線を向けず、ただ、俺の言葉を待っている。
――ここで、コイツに向き合えねぇのなら。そんな不誠実を晒すような、クソ野郎なら。
俺はこの先、コイツとは付き合わねぇ方が良い。俺はそこまで考えてから、「夜陰」と彼女に声を掛けた。
「はい」
夜陰は俺の方を見て、そう呟く。俺は目を閉じ、もう一度呼吸を繰り返してから、夜陰に対して、勢いよく頭を下げた。
「悪い。俺、やっぱ、自分の気持ちにはウソつけねぇわ」
俺がそう言うと、しかし夜陰は、表情を何も変えないままに、ただ俺の言葉を待っていた。
「ハッキリ言うけど。俺、ぶっちゃけ、お前のことはやっぱかわいいって思う。付き合おうって言われたら、すぐにでもOKしたくなるくらいには、めちゃくちゃにかわいいって思う」
夜陰はやはり、何も言わない。俺はだからこそ、「でも、」と言って頭を上げた。
「俺はさ、誰かと付き合うって言うのは、そんな簡単な気持ちでやっていいことじゃないと思うんだよ。
サキュバスは妊娠をコントロールできるって言うけど、結局、誰かと付き合うって言うのは、ともすりゃ、誰かと一生添い遂げるって言う、そう言う選択をすることにもなる。必ずしもそうじゃねぇとは思うけど、少なくとも俺は、そう考えられねぇ男は、女の子と付き合う資格なんかねェって思う。
だから、めちゃくちゃかわいいお前とは、俺はまだ付き合えない。お前が俺の事をめっちゃ好きなのはわかるけど、それだけで済ませちゃならねぇって思うからだ」
俺はそして、「だから、」と続けて、夜陰の空いた手を強く取り、
「友達として――まずは、一緒にどこでも遊びに行くような、そんな友達として、始めさせてくんねぇかな?
その先で、俺がお前と付き合いたいって思うかとか、お前が別の男の所へ行くとかは、正直わかんねぇ。けど、やっぱちゃんとお前と向き合ってからじゃねぇと、俺はお前と付き合えねぇよ。でなきゃ俺は、お前に会わせる顔がねぇ。……それでも、いいか?」
俺は眉尻を下げ、夜陰を見つめる。うまくまとまってねぇ気がして、声も若干震えてて、あまりのダサさに不安が上る。
けど、夜陰は、俺の言葉を受け取ると、小さく笑って、「うん。イイよ」と呟いてくれた。
「クロくんは、やっぱりクロくんだね。普通、男子なんてさ、私みたいなかわいい女の子に『好きです』って言われたら、とりあえずでもOKしたくなっちゃうモノだよ。
でも、君はそうじゃなくて、ちゃんと私との関係を考えて返事をくれた。私はね、君のそう言う真っ直ぐな所が好きなんだ」
俺は、俺を真っ直ぐに見つめる瞳にドキリとする。今までのドキドキとは違う、もっと深い、心の奥からのときめきが足元から上って来る。
と。夜陰は、「あ〜あ。フラレちゃった」と言って、体を揺らしながら背を向けた。
「でも、覚悟してね、クロくん。私はね、君を追ってこの世界に来て、君の学校に来たの。君はね、もう私にロックオンされちゃってるの。だから、好きにさせられちゃうってわかっててね。私は誰よりも執念深いんだから」
夜陰は笑いながらこちらを振り向いた。その小悪魔的な仕草に、俺はまた心を掻き乱され、つい視線を横へと向ける。
「だ〜め! こっち、見て!」
と、夜陰は俺の顔を掴んで、額を俺の額にへと当てがった。
鼻先が触れそうな距離に来て、俺はまた思わずドキリとする。逃げたくなったけど、彼女の目に見つめられて、足が地面に縫われたかのように、動かなくなる。
「これからも、君は私と一緒にいるんだから。私と向き合ってくれなきゃ、困るよ」
俺は心臓が高鳴るのを感じながら、「う、うん……」と呟く。と、途端、夜陰はニヤリと笑って、また、「ハム♪」と、俺の唇に吸い付いて来た。
「!?!?!?」
俺は目を見開いてビクリと震える。と、夜陰は、「えっへっへ。またもらっちゃった!」と笑いながら、ぴょんぴょんと俺から離れた。
「お、お前! だから、そう言うのやめろって!」
「え〜? 友達から始めても、私は君を好きなんだから! じゃあ、早く君が私に『好きだ』って言ってくれるよう、私は何度でも何度でも誘惑するよ!」
「だから、そう言うの良くないって! 俺はそんな気持ちでお前といたいわけじゃあ……」
「あ、そうだ! 付き合ったらけつあな確定だからね! その辺も覚悟しててね!」
「そ、それは勘弁してくれ……」
俺は肩を落とす。夜陰は明るくかわいい笑顔で俺の前で踊る。
俺はため息を吐いて、『まあ、それがコイツだもんな』と、夜陰の後を追った。