第2話「どうやら異世界人は意外と多いらしい」②
その後授業を終え、放課後になった。教室内では、運動部の生徒たちが慌てたように駆け出し、文化部の生徒たちはゆっくりと部活動の準備を始める。
そんな少しばかり騒がしい中。俺が帰り支度を整えていると、突然校内放送が鳴り響いた。
『火神谷黒。今すぐ視聴覚室へ来なさい』
声の主はリオナ先生だった。俺が声に反応して教師の天井の隅にあるスピーカーへと目を遣ると、クラスメイトの大輝が「おい、クロ!」と楽しそうに話しかけて来た。
「なんだよお前、一体なにやらかしたんだよ! 先生のおっぱいでも揉んだか?」
「そんなわけねぇだろ。まあでも、心当たりはある」
「おいおいマジかよ! カーッ、羨ましいぜ! 一人だけあんな美人と個人指導とか! やっぱリオナ先生のあの爆乳は破壊力抜群だよな! アメリカンサイズってのはとんでもないぜ! 俺のアメリカンちんぽも挟んで欲しいって、お前もそう思うよな!?」
俺はふざけた事を言う大輝を無視して教室を出る。そして足早に校内放送の指示通りに視聴覚室へと向かう。
この学校の視聴覚室は、別館の一階に存在している。外からの出入り口は普段は締まりきっているので、基本的に本校舎の二階から渡り廊下を歩いて行くようになっているのだが、そんな目立たない場所にあるせいか、誰かがあの場所にいるのを見たことがない。
視聴覚室の前は、予想通り薄暗かった。電灯が付いておらず、ほんの少し足を動かしただけで、カツン、と言う音が階層中に広がっていく。とは言え、そもそもこの建物自体が狭いから、それほど不思議がる物でもないのだが。
俺は視聴覚室のドアをノックして、「すみません、来ましたよ、先生」と声を出す。すると扉が開き、その後ろから、リオナ先生が現れた。
「ああ、来てくれてすまない。とりあえず、中へ入ってくれ」
俺はリオナ先生の指示に従い、彼女が開け放してくれたドアをくぐる。と、俺が室内へ入り込むのを確認すると、リオナ先生はドアを閉め、更に鍵を厳重に閉めた。
「ああ、安心してくれ。鍵を閉めたのは、絶対に私たちの話を聞かれたくないからなんだ」
「はぁ。まあ、別に大丈夫ですけど」
「エロ漫画の導入みたいとか思っていないんだな」
「思ってないッスよ! 普通考えないでしょそんなこと!」
「エェ!? 普通は思わないのか!? 健全な男子高校生なのに!?」
「先生が変なこと考えてるだけっスよ!」
「だ、誰が変態だァ! べ、別に生徒のことそう言う目で見てたりしないんだからな! 本当だからな!」
俺は無言でリオナ先生から距離を置いた。リオナ先生はどうやら俺の気持ちを察したようで、「こ、この野郎……!」と拳を握り締めた。いや、そっちの責任だろ……。
「ま、まあいい。……話したいことと言うのは、今朝のアレについてだ」
リオナ先生の言葉に、俺は「ああ」と納得してため息を吐いた。
するとリオナ先生は、「見せるぞ」と言ってから、一度だけ、大きく咳ばらいをして、
ピョコンと、あの先端の尖った耳を生やした。
「……まあ、こう言うわけだ。見ての通り、私はエルフだ」
「……先生、異世界人だったんすね」
「ああ。普段は魔法で耳をうまく隠しているのだが、たまにあの時みたいに出て来てしまうことがあるんだ。……周りに言いふらさないでくれよ。あまり注目されたくないんだ」
「別に、そんなことわざわざ言いふらす気もないですけど……」
俺がそう肩を落とすと、リオナ先生は微笑みながら、「かたじけない」と呟いた。
「クロくんはいい子だな。正直、これをネタにエロ漫画みたいなことをされるとさえ思っていたのだが……」
「だからしませんってそんなこと。……と言うか、気になったんですけど、異世界人ってバレるのってそんなマズいことなんすか?」
「いや、別にそう言うわけではないが。シンプルな話、困惑するだろう。それに変に騒ぎ立てられるしな。面倒事は避けたいから、黙っておくのがベターなんだ」
……なるほど。確かに、『私は異世界人です』なんて、まず信じられないし、だからこそ、それが真実だとわかれば、余計に混乱するだろう。
いたずらに周りを驚かせても良いことはない。別にリオナ先生じゃなくても、自分が異世界人であることは伏せておくだろう。無用なトラブルは避けるのが吉だ。
「そう言えばだが、クロくんは今朝、彼女さんを連れていたな」
と、リオナ先生がそう言って話題を切り替えた。俺はハッと彼女の言葉に現実に引き戻され、「別に、夜陰は彼女じゃないですって。アレは、アイツが勝手に暴走しているだけっす」と答えた。
「そうなのか!? いや、すまん。サキュバスに好かれたみたいだから、てっきりもう付き合ってるのかと……」
先生は俺の反応に驚き目を見開く。と、リオナ先生は、ハッと口元を抑えて、「あっ……しまった」と、夜陰の正体を明かしてしまったことに動揺するような様子を醸した。
「別に、気にしなくていいですよ。俺ももう知ってましたし」
「……す、すまん。と言うか、知っていたんだな、クロくん」
「あー。夜陰が教えてくれたんですよ。割と簡単に言ったから、そんな大事でもないのかなぁって」
俺は先生から目を逸らし、頭を掻きながら言う。と、リオナ先生は俺の言葉を聞いて、「ハッハッハ!」と声を出して笑った。
「なるほど。それは、随分と信頼を寄せられているんだな」
「え?」
「別に異世界人とバレてしまうこと自体は問題ないのだが……先も言った通り、面倒事は多い。だから私たちは基本的に自分の正体を隠す。人間種や比較的人間に近い私のような種族ならカミングアウトも楽だろうが――夜陰ちゃんは、サキュバスだ。知られてしまった時のリスクは、私たちより遥かに大きい」
「……」
俺は先生の言わんとしていることを何となく察してしまった。
……まあ、そうだろうな。サキュバスと言うのは、人の精を吸って生きる、超が付くほどの性的な生物だ。
彼女らと『エロ』と言うのは切っても切れない関係なのだ。そんな女の子が、現代社会で自分の正体を明かすと言うのは、あまりにも危険が過ぎる。
最悪、「サキュバスには何をやってもいい」と考える輩が現れる事もおかしくないだろう。サキュバスにとってそれがどう感じられるかはわからないが、少なくとも、尊厳を傷付けられると言うのは、あまりいい気はしないはずだ。
「まあ、つまり、君はそれだけあの子にとって特別だと言うことだ。ふふ、本来なら、彼女なんぞ作りおってと叱る所だが……君とあの子の関係なら、応援できそうだ」
「……えっと、なんっつーか。まあ、アイツがそんだけ俺のこと好きなのは……わかりましたけど。でも、俺はアイツの彼氏じゃあないんすよ?」
「それはいかんな。さっさとやることをやってしまって、彼女と付き合え」
「先生がそう言う事言うの良くないと思うんすけど。風紀委員会担当っすよね?」
「ハッハッハ、何をバカなことを! この学校の風紀委員がまともに仕事をしているのを見たことがあるのか? 別に私は、一線さえ越えなければルールは守らなくてもいいと思っているからな」
「ええ……それってどうなんすか?」
「世の中そんな事ばかりだ。髪の色がどうだの、服装の乱れがどうだのでいちいち指摘したりはせん。まあ、教師として仕事をせねばならない一斉検査の時は別だが」
俺はリオナ先生の言葉に肩を落とした。
なるほど、この人がやたらと緩いのはそう言う考え方をしていたからか。まあ、先生としてはどうかと思うが、正直俺としてはそれで助かっている側面もあるから別にいいが。
……いや、ってことは、カップルにだけやたらと当たりが厳しいのはシンプルにこの人がクソってことじゃねぇか。それなら風紀顧問としての仕事をしてもらった方がいいんじゃねぇのか? 俺はリオナ先生の在り方に強く疑問を抱いた。
「ああ、だが一応言わせてもらうぞクロくん。私のような考え方は持つなよ? これを持っていいのは、性根が真面目で、ちゃんとルールについて考えられる人間だけだ。さもなくば、常識を疑えと言う言葉を盾にして、平気で不正や犯罪を犯す情けない大人になりかねん。つまり、子供が持っていい代物じゃないんだ」
「……肝に銘じておきます」
「うむ、よろしい。それじゃあ、付き合わせて悪かったな。もう帰っていいぞ」
リオナ先生はそう言ってケラケラと笑った。俺は先生に「ありがとうございました」と挨拶をしてから、視聴覚室を出て、そのまま玄関へと向かった。