第4幕 侯爵令嬢 アマーリエ・ノルン様
ノルン侯爵家に仕え始めてから一週間が経ちました。
日課となりつつある元の世界の旦那様から預かっている盆栽のお世話をした後、自室を離れ、ノックをしてから使用人の控え室に入るとメイドのセーラ様が悩ましげな御様子で佇んでおられました。
「あ……バトラー様、おはようございます。」
ノルン侯爵家の御屋敷で生活をともにしている方々には、お互いに実力を知っておいた方が何かあった時のためになると思い、神の使徒であることは明かしました。
とはいえ御屋敷では私が一番の新参者なので、敬称や敬語は不要ですと伝えはしましたが、それを否定されるほどには神の使徒はこの国やこの世界では地位が高いようです。
「セーラ様、おはようございます。どうかされましたか?」
「その……実は一昨日、アマーリエお嬢様が研究室に籠りきりなられまして……。お戻りになられなかったため、奥様がたいそう心配しておられました……。
そこで先日、私がお弁当をお届けするついでにお戻りになられるよう説得を試みたのですが……。」
アマーリエお嬢様はノルン侯爵家で一番年上のご息女にあらせられ、王立魔法研究所ノルン支部で魔法の研究をしておられます。
お聞きした限りだと、セーラ様はどうやら説得に失敗したようですね。
「お力になれるかは分かりませんが、代わりに私がお伺いしに行ってもよろしいでしょうか?」
「……よろしいのですか?」
「ええ。最近は時間もありますからね。」
正直に言いますと、この世界での使用人は魔法が使えますので、掃除などの家事関連は魔力さえ多ければ、前の世界より掛からなくなっておりました。
私の魔力があり余っているからか、単純に人手が増えたからなのか、相対的に使用人の方々の時間に余裕が生まれたようです。
日中御屋敷におられるのは、まだ貴族学校に通われておられない一番下のアイシャお嬢様のみです。皆さんでアイシャお嬢様をお相手するには流石に多すぎます。
それに最近は黒龍の子供のオニキスがお嬢様と一緒に遊んでおり、その必要もなくなってしまったようです。
この世界では使用人はあまり休暇などはないと伺いました。
しかし心優しい旦那様は、
「私も一度休みなしで働きっぱなしになったことがあるが、段々と集中力が切れて、体調も悪くなり意味がなかった。皆も休みだけは定期的に取りなさい。」
と仰り、ローテーションで休暇を取るように推奨されております。
前の世界では余暇はデータ収集と市場予想をしておりました。
とはいえ異世界で土地勘もない私には話をお聞きしても分からないことが多く、まだ色々と情報を集めるよりはこの世界ならではの常識を覚えることに専念した方がいい気がします。
「すみません……私のお仕事ですのに。」
申し訳なさそうにお弁当を渡してくるセーラ様。
「いえ。では、行って参ります。」
御屋敷を後にし、魔法研究所に向かいます。
ノルン支部の研究所は冒険者ギルドを通り、孤児院のある教会を右に曲がると見えてきます。
門兵の方に身分確認をしてもらい中に入ります。
アマーリエお嬢様はご自分の研究室をお持ちのため、居場所はすぐに分かります。
二階に上がり、奥から三番目の部屋へ向かうと、木製の掛札に『アマーリエの部屋』と異世界文字で書かれた扉がございました。
――コンコン
「アマーリエお嬢様、バトラーです。」
30秒ほど待ちましたが声も掛からなかったため、「失礼します」と言い中へ入りました。
中に入ると、旦那様の金髪と奥様の尖った耳が特徴的な白衣の少女が、机に伏しておられました。
「ぬぬぬ……」
名前:アマーリエ・ノルン
性別:女
年齢:18歳
レベル:43
種族:ハーフエルフ族
職業:魔法使い
スキル:火・水・風・土属性魔法
称号:シリギ国ノルン侯爵令嬢・魔導師
状態:寝不足・微熱
アマーリエお嬢様は若くして魔法の才能に秀で、その才能と人一倍の興味を魔法の研究に費やしておられます。
「あー……バトラー……。おあよ……。」
頭の切れも良く、旦那様と奥様から受け継いだその美貌に少しでも気を遣っていただければ、引く手あまたなのでしょうが、本人にはその気は全くないようです。私も他人事ではございませんが、一点集中で仕事人間となるタイプかもしれません。
「おはようございます、お嬢様。あまり奥様に心配をかけてはいけませんよ。私みたいに会えなくなってから後悔したりしますから。――合成魔法――――異常清浄」
元の世界の方々と会えなくなってから思うところはあったため、少しばかりのお節介を焼いてしまいました。
セーラ様からお預かりしたお弁当を渡すついでに体調を治す状態異常回復と、しばらくお風呂にはいられていない御様子だったため、身綺麗にする清浄を合成して発動します。
お嬢様が白い光を浴びて体調が元に戻ったときに見た口元の笑みを見たとき、しまった……と思いました。
「バトラー!?アナタ、合成魔法が使えるのね!!今のは光魔法の状態異常回復と清浄の合成かしら!?」
下がった眼鏡をくいっと上げ、呪文のように言葉を並べ立てます。先程のお節介は頭の片隅にもない御様子。もう少し間を置くべきだったと反省しました……。
「合成魔法は昨年、ワタシが提唱した技術。国王陛下の前で披露して、そのおかげで陛下から魔導師の称号を戴いたのよ。」
それまでは魔法を発動してから合体させる、連携魔法が至高とされており、神の使徒であるケイゾウ様がお使いになられてから広まったとされております。ノルン侯爵家は魔法の扱いに長けた一族のようですね。
お嬢様が提唱した合成魔法は、魔法を発動する前、つまりイメージの段階で合体させておき、その後発動するものです。
「曾お祖父様が広めた連携魔法は発動してから合体させる魔法。発動を個々でできるから、複数人で分担して発動してから掛け合わせることができるのよね。
けど、合成魔法は発動を分担できない。だからワタシみたいに魔力が多くて魔法のイメージがきちんとできてないと、合成魔法は発動もできないのよ。流石は神の使徒サマね。」
「使途の力は半分ズルみたいなものですから。あまり誉められたような力ではございませんよ。」
「何言ってんのよ!魔法の実験台として大いに役に立つわよ?」
少し不穏なことを仰られたため、話を変えることにします。
「して、何か悩んでおられたのでは?」
「あ、ああそのことね……。実は魔法の詠唱について調べてたのよ。いつも灯り代わりに使っている
――灯火――
って魔法があるんだけど、一昨日、
――灯火――
って唱えてみたら、この通り。発動できちゃったの。」
と言いつつ、お嬢様は炎の灯りが出る魔法を放ちました。
魔法はイメージと詠唱が大事だと孤児院長のクルーエル様から伺いました。
しかし、私は魔法の発動の仕方は教わりましたが、魔法がどのようにして発動しているのかは全く知りませんでした。
「お嬢様は魔法が発動する原理をご存知なのでしょうか?」
そう言うと、お嬢様はきょとんとした顔で
「へ?そんなことも知らないの?魔法は魔素っていうそこら辺を漂っている目に見えない生き物に、詠唱とともに魔法のイメージをのせた魔力を渡すことで発動できるものよ。
術者が渡した魔力の一部を魔素が食べる代わりに、魔素は食べた魔力のイメージから魔法を発動するの。持ちつ持たれつの関係というわけよ。」
「なるほど……。話の腰を折ってしまいすみませんでした。前は魔法が存在しなかった世界に居たものですから。」
「ナニソレ、不便そう……。ワタシには魔法がない世界なんて勘弁だわ……。」
そう仰いましたが、アマーリエお嬢様なら科学の発達した元世界に興味を持ちそうですし、向こうで生まれたとしても何かしらの研究職に就いておられそうな気がします。
「……まあいいわ。話を戻すけど、魔法は魔素に詠唱する、つまり語りかけることで発動する。
詠唱の文言は個人が閃いた、決まった名称で発動していたのよ。だけど、そうではなかった。」
「魔法の発動は決まった詠唱は必要ないということですね?」
「そういうコト。ワタシはこう考えたの。魔素が魔法の発動に必要なのは、魔法のイメージとその発動タイミングで、詠唱はただ魔素にその発動タイミングを教えているに過ぎないと――」
たんたんと語っていたお嬢様は一呼吸置いて、部屋の机から黒板に向かって歩きながら続きを話し始めました。
「もしそうなら、魔素にとって詠唱魔法はタイミングを取るためのものでしかないから、こうやって
――灯火――
と唱えてもできるってわけ。これができるようになるまで一日も掛かっちゃったけどね。
で、魔具の魔力測定器で測り比べたら、どうやら詠唱を先人の残した閃き通りにしないときは通常の詠唱よりイメージが強く、つまりイメージを魔力にのせて伝えている関係で、消費魔力が多く必要になるみたいなのよね。」
「ふむ……魔素は術者が詠唱を短縮しても発動できますが、術者がどのような魔法を発動したいのかが理解できないと発動できないと。
となると、決まった詠唱をすることで魔素が魔法を発動する手助けになっていたということですね……。
仮説から実証までのご慧眼、流石でございます。お見逸れ致しました。
しかしそうなると、閃いた詠唱単語は魔素にとって分かりやすい単語であり、魔素は相性の良い術者と共存するために魔素が術者に閃かせているという可能性がありそうですな。」
お嬢様はふむ、と顎に手を添え、
「アナタも大分頭が回るようね。理解が早くてアナタと話していると楽しいわ。」
と先程とは打って変わり、楽しげな面持ちになられました。
「して、先程はしょんぼりとされておられたようですが……?」
この部屋に入ったときのご様子について伺うと、しょもも……というような寂しげな表情になりました。百面相かのようにコロコロと変わられて可愛らしいですね。
「そうなのよ……。さっき一文字まで短縮できたじゃない?なら無詠唱もできるんじゃないかって思ったの。魔素はタイミングさえ分かれば良いんだから、別に『詠唱』でタイミングを伝える必要はないんじゃないかって……。
それであれこれ試していたんだけど、どれもてんでダメ。言葉の変わりに音を出したり、身振り手振りで合図を送ってみたりしたけど、駄目だったわ……。
これまではみんな詠唱を固定して発動してたからね。今まで言葉が合図だってルールがあって、術者は魔素が理解しやすいように詠唱をしていたんだもの。多分、音や身振りでは魔素がまだ合図であると認識できないのかもしれないわ。」
そう言い、少しふて腐れたように椅子に腰掛け直し、軽く顎に手を置き机に肘をつくお嬢様。
お顔が整っているせいか、そのお姿はサマになっている御様子で少しズルいと感じました。
「バトラー、アナタなら何か分かんないかしら?ここまで聞いたんだもの。何か浮かんだりしない?」
そう言うと、お嬢様は机に置かれたお弁当に手をつけました。
私は少し考えてから思い付いたことを口にすることにしました。
「そうですね……いままでの話をお聞きした限りだと、術者がイメージを魔力に乗せて魔素に渡し、魔素はその魔力を一部食べることでイメージを理解しているのだと思うのです。
そしてそれは、詠唱より早い段階で伝わっているということです。」
「……!?まさかっ!」
はっとしたお嬢様はバンッ!と机に手を置き、立ち上がりました。
「そう、魔素にも分かりやすいようにイメージの中に発動タイミングを入れることができれば、
――灯火――
このように、無詠唱ができるのではないでしょうか?」
初めての試みでしたが、予想通りだったのでうまく発動できたようです。
元々魔素は術者のイメージが入った魔力から発動したい情報のほとんどを受け取っていたのですから、この伝達手段は魔素にとって一番理解しやすいということですね。
「…………にしてもアナタ、一発で無詠唱を会得するなんて、非常識というか規格外ね……。ワタシもさっきから発動してみようとしてるのだけど、上手く行かないわ。なんかコツとかあるの?」
「そうですね……。ええと……」
少し考えて言おうとしましたが、そこで当初の目的を思い出しました。私はにっこりと笑みを作り、
「お嬢様がお帰りになられるのでしたら、お教えしましょう。」
ズルい言い方かもしれませんが、有効かと思ったので口に出てしまいました。
「う……そう来るか……。…………お母様、怒ってなかった……?」
「怒って、というよりは心配されておりましたよ。連絡もないので体調崩してないでしょうかとか、きちんと食事を摂られていらっしゃるかなど、こちらからは分かりませんから。」
聡いお嬢様にはこれ以上の説明は不要だと感じました。
「……わかったわよ。帰りましょう。でも、帰り際に続きは聞かせてもらうからね!!」
それがちゃっかりしているから出た言葉なのか、それとも諭されたことへの照れ隠しなのかは分かりませんでした。
――ギルドを通り、御屋敷に戻る道中、
「で、コツは?」
ワクワクしながら見つめてくるお嬢様。
領主のご息女であることとその見た目から人目を引いてしまいますね。街の方々は立ち止まってお嬢様を見つめておりました。
「タイミングを魔素にも分かりやすいようにするんです。魔素は単語の意味は理解できても、術者のルールや常識を知っているわけではないようです。
ですから、『何時何分に発動』や、『一秒後に発動』と説明しても、魔素は『一秒後』というものが一体いつのことを指しているのかという常識が分からないために理解できない、ということです。」
「……確かにそうね。でもそれなら、どう伝えれば良いのよ?」
「私は『魔素が魔法を理解したらすぐに発動』とイメージしました。要するに、タイミングを魔素側に委ねることで、向こうで勝手にタイミングを解釈してもらうということですね。」
「――灯火――
……ホントね。……できちゃったわ。」
歩きながら試してみたところ、出来てしまわれたようです。流石はお嬢様ですね。
――お屋敷に戻ると奥様がお出迎えになられました。きっと心配だったのでしょう。
「ただいまお母様。ワタシ、無詠唱魔法が出来るようになったの!言葉で伝えなくても魔法が発動できたのよ!!」
……ピキッと音がしたような気がしました。何の音かは、言うのは憚られたので割愛しておきましょう……。
第一声はご心配されていらしたので謝りましょうと事前に伝えてはおいたのですが、どうやら無詠唱魔法ができたことの喜びが勝ってしまったみたいです。
ですがお嬢様、流石にそれは悪手でしたな……。
「……あの……お母様……?」
「アマーリエ……研究が順調なのは良いことだけれど、貴方に必要なのはきちんと定期的に言葉で伝えることよ!!!家族に連絡くらいして頂戴!本当に心配したんだから!!!」
……その日の奥様のお説教は夜まで続いたのでした。