プロローグ 執事 成影 遼
その日は冬にも関わらず、やけに暖かかったように思います。
――バタン
「じいや!」
普段は大人しい御坊っちゃまも、この時は慌てたご様子でした。
「おかえりなさいませ、御坊っちゃま。」
私はいつもの所作で一礼をし、御坊っちゃまに笑みを向けます。
「志望校、受かったよ!じいやのおかげだ。本当にありがとう!」
「おめでとうございます。これも偏に御坊っちゃまの努力によるものでございます。」
私の手を取りブンブンと上下に振るご様子。久しぶりに可愛らしい御坊っちゃまの姿を拝んだような気がいたします。
「さぁさ、御坊っちゃま。奥様にご報告になられては如何でしょう。旦那様には私からお伝えしておきますから。」
「ああ、伝えてくる」
軽快な足取りを背に一礼をすると、タイミングを見計らったかのようにメイドの羽鳥がおりました。
「羽鳥、奥様と御坊っちゃまにお茶の用意を。それから本日は旦那様がワインをお開けになるでしょうから、ディナーにはあのワインのご用意をお願いします。」
「かしこまりました。」
羽鳥が他の使用人を連れて去ると、奥の部屋から奥様の歓声が聞こえてきました。
「さて……御坊っちゃまもこれでじいや離れとなってしまいましたね。」
夕刻に日が傾いて来ました。空を寂しい気持ちで見つめていると、御坊っちゃまとの受験勉強の日々を思い出してきました。
「……歳を取ると涙もろくなっていけませんね。しかし、これで大旦那様に拾っていただいた恩は少しは返せたでしょうか。」
―――「失礼します、旦那様。成影です。」
「こんな時間にどうした。何かあったのか?」
軽くノックをしてから書斎に入ると、作業を終えた旦那様が整った顔を上げこちらを見ました。
「お茶をお持ちしました、ひと息どうぞ。」
「ありがとう。」
主人が一口飲み、ふぅと腰を落ち着けてから話し始めます。
「御坊っちゃまが志望校に合格なされましたよ。」
「おお!本当かっ!今日はめでたいな。こんな日にはあのワインを」
「旦那様…まだお仕事が残っておられるのでは?」
「うっ……た、たまにはいいじゃないか。仕事は明日やるから。」
私はにっこりと笑みを浮かべ話します。
「本日は私がお手伝いいたしますから、早く終わらせてしまいましょう。」
「な……成影ぇ……!お前は天使か何かか……!?」
「こんなじいに天使とは、お世辞にしてももう少しいい表現があるでしょうに。」
「じゃあ神様だな。」
「変なこと言ってないで仕事、終わらせますよ。」
旦那様とは若い頃からの付き合いですから、主人でありながらも友人のような関係でございます。
その日は二人で仕事を早く終わらせ、少し豪華なディナーを行いました。
旦那様は酔いつぶれてしまい、寝室へと担いでお見送りした帰りのこと。
――応接室が明るく、使用人が密やかなパーティーでもやっているのかとその時は思っていました。
応接室の戸を開けると、中央の木製のテーブルの上に二重丸の淡い青の紋様が浮かんでいたのです。
「っ!?」
中に入りよく見てみると、二重丸の間には古代文明の文字のようなものが淡い青色で書かれております。
それが光るさまはとても幻想的で、私は気がつくと応接室の戸を閉めていました。
「これは……魔方陣でしょうか?」
その問いかけに答えるかのように魔方陣を中心に風が吹き、まるで魔方陣に吸い込まれるように辺りの本棚の本や旦那様の盆栽などを飲み込んでゆく。
これはまずいと思わず飛び交う鉢に手を伸ばすと、そのまま引きずられるように黒い空間に吸い込まれた。
――「うーん……。ここは?……ステンドグラス?」
目が覚めると、暗い夜のなか、月の光が青色の丸いステンドグラスに照され、円陣のようになっている中央に私が座っていたのです。