第1話 友情
初めましての方は初めまして。
そして皆さんこんばんは、星月夢夜と申します。
「雨と虚偽を司る館」と並行して書いているこの作品。
沢山のキャラクターの人生の物語に立ち会えて
作者ながらとても嬉しい気持ちです。
前作の時も書かせていただきましたが
これから始まる1つの物語に、ぜひお付合いください。
自分も一緒に楽しませていただきます。
鳥のさえずり。カーテンの隙間から差し込む朝日。それらはまるで、1日の始まりを告げているようだった。そして、1日の始まりを告げるもう1つの要素である執事のノック音。ノックをした執事であるジョーカーは自身の主からの返事が無いことを確認し、ドアを開けて部屋に入る。
「ヒビキ様、もう朝ですよ」
ヒビキと呼ばれた少年は布団にくるまっており、動く気配はない。ジョーカーは横目でベッドを見つつ、いつも通り部屋のカーテンを開けに行く。ジョーカーがカーテンを開けると儚げだった朝日は、部屋いっぱいに広がった。
「起きていらっしゃいますか?」
振り返り、ヒビキへ確認を取るジョーカー。
「……起きてる」
ベッドからは、布団にくるまっているせいかか細い声が聞こえた。
「それでは起きているとは言いませんよ。ちゃんと体を起こしてください」
ジョーカーはベッドの近くに寄り、様子を伺う。そんな彼に応えるかのように、ヒビキは渋々体を起こした。
「おはようございます、ヒビキ様」
「……おはよう、ジョーカー」
少し不機嫌そうに答えるヒビキ。そんな彼に、ジョーカーは笑顔を向けた。
世界的に名の知れた商業の国、マリネン。商人や観光客など日々多くの人が訪れ、絶えることのない賑わいを見せている。また、様々な物資や情報といったありとあらゆるものが滞ることなく行き交い、ここで手に入らないものは無いと言われるほどであった。そんなマリネンでも特に栄えている首都クリセントには、とある貴族がいた。その現当主であるヒビキ・クライトはクリセントの中心街から少し離れた場所にある屋敷に、16人の使用人と共に住んでいた。
ヒビキの自室は広いが、そのわりにあまり物は置かれていない。大きなベッドにタンス、デスク、チェア。それぐらいであった。そこには、ヒビキという1人の少年の性格が垣間見えている。
「今日は1日よく晴れるそうですが、夜は少し冷え込むそうですよ」
まだ少し眠そうにしているヒビキの隣で、彼が今日着る服の用意をしながらそう言うジョーカー。毎日行っていることであるため、その手際は良い。
「……そう、分かった」
相変わらず口下手な方だ、ジョーカーがそんなことを思っているとは露知らず、ヒビキは表情ひとつ変えずベッドから降り、ジョーカーが用意した服を取って彼に背を向け着替えだす。その間、彼の横でジョーカーはベッドを整え始める。
「今朝は珍しく遅い起床でしたが、昨晩何かなさっていたんですか?」
普段は早起きであるにも関わらず今日はそうでなかったことに対して、ジョーカーはヒビキに問うてみる。
「ずっと本を読んでいて、気付いたら遅い時間になっていたんだ」
ジョーカーからの問いにそう答えるヒビキ。ジョーカーは彼が寝る前に本を読んでいる事を知っていたが、それで遅い起床になったのはこれが初めてだった。珍しいこともあるものだとジョーカーが思っていると、ベッドの隣にある小さなテーブルに本が置いてあるのが見えた。題名は『贖罪の未来』。貴族でありながら貴族嫌いの少年が幼い弟を残して家出をしたが、その数年後に弟が孤独死してしまったことを知り、贖罪の念を抱きながら生き続けるという悲しい物語である。寝る前に読む本ではないのでは、とジョーカーは思ったが口には出さない。
「体調を崩さないよう気を付けてくださいね」
そう言うと同時にベッドメイクを終わらせたジョーカー。ほぼ同じタイミングでヒビキも着替え終わる。
「分かってるよ」
ヒビキはジョーカーにほんの少しの微笑みを見せる。そんな主にジョーカーも微笑み返す。そして、2人は部屋を出た。
ヒビキの自室の隣には彼が普段いる書斎がある。その部屋には大きなデスクと大きなチェア、その前に客人用の低いテーブルとそれを挟むように置かれたソファがあり、壁際には書類を保管している棚がいくつかある。
そんな部屋では今、ヒビキがペンを走らせる音だけが聞こえている。彼は常日頃様々な種類の書類の記入に追われていた。それに加え、若くしてクライト家の主となったため人一倍貴族としての教養が必要であり、結果として連日激務になっていた。朝から結構な時間書類を書いていたヒビキだったが何の前触れもなく手が止まり、そして机に突っ伏してしまった。
「ヒビキ様?」
ヒビキの傍で書類棚の整理をしていたジョーカーは主の突然の行動に驚く。声をかけても、ヒビキが動く気配はなかった。
「そんなことをなさっても、私は手伝えませんからね」
ジョーカーのその言葉を聞いて、ヒビキはゆっくりと体を起こす。
「分かってるよ。僕の直筆じゃないと意味が無いから」
全ての書類の記入はクライト家の人間の直筆でなければいけない。だがクライト家の人間はヒビキしかいないためその結果、山ほどある書類の記入を彼1人でこなさなければならなかった。
「分かっておられるのでしたら、早く終わらせてくださいませ」
笑顔でまるで悪魔のようなことを言うジョーカー。ヒビキは少しムッとしたような顔をするが、これがジョーカーの"いつも通り"だと気付き、小さくため息をつく。そして嫌々ながらも書類作業に戻った。
クライト家には16人の使用人がいる。彼らは4人1グループに分かれ、屋敷での職務を分担していた。そんな4グループのうちの1つである、ベグ。屋敷周辺の治安維持や、主外出時の護衛などを担当する彼らは全員が執事で構成されている。メンバーは執事長でありリーダーのジョーカー、スペード、ダウト、チェスの4人。実戦経験が最もあり、彼らが1番戦闘力が高いグループであることは間違いないだろう。
ヒビキが書類作業を再開してから約1時間後、突然書斎の扉が大きな音をたてて開け放たれた。少し驚いて顔を上げたヒビキと、うんざりするような顔を向けたジョーカーの目に映ったのは、満面の笑みでこちらを見る屋敷の執事であるダウトの姿だった。
「ヒビキ様、一緒に遊びに行きましょー!」
笑顔でそう言うダウト。だがダウトの期待とは裏腹にあまりに急なことで思考が追い付いていないヒビキは、ダウトを見て驚いた表情のまま固まってしまっている。それにはおそらく連日の激務も影響しているせいだろう。一方、ジョーカーはため息をついてまるで何事もなかったように自身の作業を再開した。
「あれ、もしもーし、生きてますか?」
訝しげに首を傾げ、部屋に入っていくダウト。そんな時誰かがこちらに走ってくる音が聞こえ、開け放たれた扉の前でその姿を見せる。正体は、ダウトを追いかけてきた屋敷の執事のスペードとチェスだった。
「ダウト! 勝手なことをするな!」
スペードの声を聞いて振り返り、嫌な顔をするダウト。
「うげっスペード、もう追いかけてきたの?」
「当たり前だ。あのままお前だけにしておくと、ろくなことにならない」
そう言いながらスペードは書斎に入り、ダウトの少し後ろに立って腕組みをした。スペードの後に続いて書斎に入ったチェスは、少し困ったような表情を浮かべてスペードの少し後ろにいる。
「ふん。オレの事を監視して、よっぽど暇なんだねぇースペード?」
ダウトが企み顔でスペードを覗き込む。
「少なくとも、お前よりは暇じゃない。屋敷内をウロウロしているお前よりはな」
スペードに嫌味を言われ、ダウトは怒りを見せる。
「はぁ? オレはただ、皆が何か困ってないかなーって確認してまわってるだけだし。つーか屋敷内でオレが何をしようと勝手でしょ?」
「じゃあ俺も何をしようが勝手だろう。そっちが先に言ってきたんだぞ」
「大体スペードが……」
「2人とも」
激化し始めたダウトとスペードの口論を見兼ねて、今まで無視をしていたジョーカーが口を開く。その顔は少し怒っているように見えた。ジョーカーの静止を聞いた2人は動きを止め、渋々といった様子で口論をやめた。そんな2人を見てジョーカーはため息をつく。
「で、何の要件です? 見てもらえれば分かるとおり、私たちは暇ではないのですが」
相変わらず少し怒ったような顔で問うジョーカー。どうやら予想外の出来事を受け、不機嫌になっているようだ。
「いやー、オレはただ、最近仕事詰めで疲れているであろうヒビキ様を遊びに誘って、ちょっとでも疲れをとってほしいなーって思いまして」
ダウトがそう言った瞬間、スペードがダウトを睨んだ。
「だから何度も言ってるだろう。ジョーカーさんがおっしゃったように、ヒビキ様はお忙しいんだ。俺らが邪魔をしてどうする」
スペードの言葉を聞いて、ダウトはスペードを睨み返す。
「うるさいな。それはスペードが決めることじゃないでしょ。スペードはオレの何なわけー?」
「黙って」
より不機嫌になり始めてきたジョーカーは、また2人の口論が激化し始める前に静止する。そして、事の発端をチェスも入れた3人に聞くことにした。
今から少し前、前からヒビキの体調を心配していたチェスはどうしたら主を休めることが出来るか分からず、同じベグに所属するダウトとスペードに相談した。するとダウトが皆で遊びに行けばいいのでは、と言い出した。それでは休むことにならないとスペードは言ったが息抜きにはなると考えたチェスが、もし行くならどこが良いかをダウトに聞いたところ、最近賑わいを見せている市場に行くのはどうかとダウトは答えた。そこはダウトの行きつけらしく、想像するだけで行きたくなったダウトはヒビキ様に相談してくる、と言いながら走っていってしまった。
「それで、今に至ります」
口を開けばすぐに口論してしまう2人に代わって、チェスが全てを説明する。そして、話し終えたチェスはヒビキに向かって深く頭を下げた。
「申し訳ありませんヒビキ様! 全部僕のせいです」
チェスは今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべている。
「どうなさいますか、ヒビキ様」
自身の作業を中断しヒビキの隣に立つジョーカーは、主に意見を求める。
「……チェス、頭を上げて」
考え込むようにずっと黙っていたヒビキが口を開く。ヒビキの言葉を聞いて、チェスは少し怖がりながらもゆっくりと頭を上げた。
「……怒っていませんか?」
「怒ってないよ。逆に、僕は何に対して怒ればいい?」
そう言い優しく微笑むヒビキ。それを聞いて、チェスは主の対応に感激するように目を輝かせた。一方で、そのやり取りを見ていたジョーカーはため息をつく。
「ということは、行くんですね?」
ヒビキの側近として生活しているジョーカーは、彼が口に出さなくても考えていることが大体分かるようになっていたが、ジョーカーがヒビキの考えを察する時はほとんどがジョーカーにとって悪い企みなのである。
「うん。たまには息抜きも必要だよ」
ジョーカーを見ながらそう言うヒビキは、少しの間ではあるが最近の激務から解放されるとあって少し機嫌が良いようだった。そんなヒビキの返事を聞いたダウトはチェスよりも目を輝かせ、両手を力いっぱい上げた。
「やったー!!」
人一倍喜んでいるダウトの隣で、あまり乗り気ではなかったスペードはため息をつく。しかし主であるヒビキが行くという決定をした以上、それに逆らうことはできない。同じく乗り気ではなかったジョーカーもスペードと同じ気持ちなようだ。
こうしてヒビキとベグの面々は主の休息という名目で、ダウトの案内により市場へと向かうこととなった。
クリセントの街は常に賑わいを見せている。それは昼夜問わず収まることを知らず、どんな時間でもこの街から灯りが消えることはない。また最先端が集まる街でもあり、マリネンの流行はここで生まれていると言っても過言ではない。しかしそんな最新を持つ街だからこそ、犯罪の数も多い。そういった意味でも、この街は"全てが多い街”なのであった。
ヒビキとベグが向かっている市場はいわゆるフリーマーケットで、街の人々が中古品やお手製の物を持ち寄り売買する市場であった。そんな市場をヒビキたちに紹介したダウトは元々知り合いが多く、その内の1人に招待され行ったところ普通のお店とは違う感じがとても楽しく、ぜひヒビキを連れて来たいと前々から思っていたらしい。
「じゃーん! ここがその市場だよ!」
大袈裟に腕を大きく広げるダウト。市場の始まりらしきところにはアーチ状の門があり、そこには“スラッシュマーケット”と書かれていた。
「スラッシュはここの地名ですが……安直なネーミングですね」
ダウトとスペードの口論に突然巻き込まれ作業を中断されたうえに、ほぼ強制的に外に連れ出されたため普段よりも少し機嫌が悪いジョーカーは市場に入る前から皮肉を言っていた。
「聞こえるよ」
ヒビキはジョーカーを横目で見ながら、彼の皮肉を冷静に対処する。
「構いませんよ。聞こえなかったら、陰口になるではありませんか」
「悪口も陰口もダメだからね」
ヒビキの言葉を聞いたジョーカーはヒビキに笑顔を向ける。そんなやり取りをしている間に、近くにいたはずのダウト、スペード、チェスの3人がいなくなっていた。
「私たちも行きましょうか」
ジョーカーの気持ちの切り替え具合にヒビキは少し驚くが、気にすることをやめ今は純粋に休息を楽しむことにした。
いざ市場に入って見ると、本当に様々な物が置いてあった。大きめや小さめの家具、小物からアクセサリーまであり、初めて見る物が多かったヒビキは市場に並ぶ物にとても興味をそそられていた。一方、ジョーカーはそういった物にこそ興味は無かったが珍しく主が目を輝かせているところを見て、しばらくはこのままでいいと思っていた。
そうして2人で歩いているときに、市場の人と楽しそうに話しているダウトを見つけた。どうやらこの市場に沢山知り合いがいるようで、色んな人から話しかけられているダウトが人気者であることは明らかだった。ダウトはヒビキとジョーカーに気付くことなく、そのまま市場の奥へと進んでいく。特に引き止める用事も無かった2人は、そのまま自分たちのペースで歩いて行くことにした。
それからまた少し歩いたとき、道の真ん中に立っているチェスを見つけた。チェスは自身が立っている場所の少し前にある果物や花の苗木を売っている店を見ていた。
「チェス」
気になったヒビキはチェスに話しかける。チェスは少し驚いたあと、ヒビキとジョーカーを見た。
「ヒビキ様、ジョーカーさん」
ヒビキはチェスの表情を見て、彼が何かに困っているようだと気付く。
「どうかしたの?」
「え、えっと。あのお店で売っている苗木を買いたいんですが、自分で話しかける勇気がなくて……」
チェスには人見知りなところがある。そんな彼にとって、自分から他人に声をかけるのはとても難易度の高いことのようだ。
「どれが欲しいの?」
「え、えっと、ラズベリーと、オリーブと、レモンの苗木です」
チェスの要望を聞いたヒビキはジョーカーを見る。
「ジョーカー」
「はい」
チェスの代わりにジョーカーに買いに行かせるヒビキ。だがそれは市場に入ってから何にも興味を示していなかったジョーカーに、少しでも興味を持ってもらうためにヒビキがわざとしたことだった。そんなヒビキの思惑を知ってか知らずか、ジョーカーは出店へと出向く。
「すみません。ラズベリーと、オリーブと、レモンの苗木を頂きたいのですが」
店番をしている若い女性に柔らかい笑顔で話しかけるジョーカー。やっぱりこういう時のジョーカーの切り替えはすごいな、と思いながらヒビキは見ていた。
「は、はい!」
女性はジョーカーを見て少し頬を赤らめ、彼が言った苗木を包装し箱に入れ始めた。その後ジョーカーから代金を貰い、全ての苗木を入れた箱をジョーカーに手渡した。
「ありがとうございます」
ジョーカーが丁寧にお礼を言うと、女性はさらに少し頬を赤らめた。
「あの……とってもお綺麗ですね」
ジョーカーは女性が何を綺麗と言ったのか分からなかった。だがここで聞き返すのは野暮だと思い、とりあえず受け流すことに。
「ありがとうございます」
女性の言葉に笑顔で応えるジョーカー。ジョーカーは女性にお辞儀をして、ヒビキとチェスのところに戻った。
「チェス」
ジョーカーは購入したものをチェスに手渡した。
「ジョーカーさん、ありがとうございます! ご、ごめんなさい。僕が知らない人と話すのが苦手なせいで……」
少し落ち込むチェスを見て、慰めるように微笑むジョーカー。
「いいんですよ。苦手な事は、ゆっくり克服すればいいですから」
ジョーカーの言葉を聞いて、チェスは瞳を潤ませた。そうして合流したチェスと3人で再び市場を回ろうとしたその時、市場の奥の方から女性の悲鳴が聞こえた。市場の人々は何事かといった様子で声が聞こえた方を見ている。3人は顔を合わせて頷き、急いで奥へ向かった。
市場の奥は噴水公園になっていた。中心に置かれた噴水を取り囲むように円形に作られている。円の外にはあまり背の高くない木々が立ち並び、噴水の周りには3人ほど座れそうなベンチがいくつか置いてある。小さなイベントならば開催できるくらいの広さで、この噴水公園が1番盛り上がる場所なのであろう。
そんな場所にヒビキ、ジョーカー、チェスの3人が到着した時にはすでに人だかりができており、人々が見ている先には噴水の前で若い女性にナイフを向けている男性の姿があった。女性はとても怯えており、男性の方は何かに焦っている様子だった。
「く、来るな! 俺は、コイツと心中するんだ!!」
そう言いながら、男性は女性に向けていたナイフを民衆に向ける。それを見た民衆から小さな悲鳴が上がった。
「困りましたね。死ぬなら、勝手に死んでほしいんですが」
淡々とした様子でそう言うジョーカーは、未だに少し不機嫌なようだ。
「ジョーカー、心の声がダダ漏れだよ」
少し嫌なそうな顔で言うヒビキにジョーカーは相変わらずの笑顔を向けた。
「ど、どうしましょう? このままじゃ……」
1人心配そうな顔を浮かべるチェス。ヒビキは少し考え込んだ後、作戦を使用人たちに伝える。
「今は一刻を争う。僕があの人と話をするから、ジョーカーは待機、チェスはダウトとスペードを探して」
「危険すぎます。ここは私が」
主を案じるジョーカーに、ヒビキは微笑んだ。
「大丈夫だよ。でも、何かあったら助けに来てね」
ヒビキの言葉を聞き、ジョーカーは少しだけ目を見開く。そして主の命を聞いた2人は静かに頷いた。そんな時、横から民衆の間を縫ってダウトが顔を見せた。
「なんか叫び声が聞こえたんたけど、これどういう状況!?」
「おや、探す手間が省けましたね。男性が女性と無理心中しようとしているのです」
ヒビキのおかげか冷静さを取り戻しているジョーカーは、後から来たダウトに目の前で起こっていることを説明する。
「無理心中って……こんなに人の多いところでですか?」
そう言うダウトに笑顔を向けるジョーカー。
「同意見です」
ジョーカーの言葉にヒビキは小さなため息をついた。
「ダウトさん、スペードさんがどこへ行かれたかご存知ないですか?」
チェスからの問いかけに、ダウトは興味が無さそうな顔をした。
「知らない。アイツがどこに行こうと、オレには関係ないし」
屋敷の外に出ても、彼らの仲の悪さは健在だった。その時、ヒビキがハッとした表情を浮かべる。
「ねぇあれ、スペードじゃない?」
そう言ってヒビキが指差した先には、男性と女性の方へと歩いていくスペードの姿があった。彼の右手には一丁の拳銃が握られている。スペードは少し歩いて止まり、彼ら、正確には彼へと銃を向けた。
「う、撃ってみろよ! この女にも当たるぞ!」
男性のその言葉にスペードは一切動じていなかった。
「当たらない」
スペードの目はナイフのように鋭く男性を捉える。民衆は息を呑んで、そんな光景を見ていた。
「俺なら、お前だけに当てることができる。やってみせようか?」
そう言ってスペードは笑う。男性は何も全く動じないスペードを見て、どうすることもできずに固まってしまっている。そんな男性を捉え、スペードは引き金を引いた。弾丸は男性の顔のすぐ横を通り、その先の店にあった風船を破裂させた。それらは一瞬の出来事。そのあまりの衝撃に男性は体の力が抜けたらしく、その場に弱々しく座り込んだ。その隙に男性の腕からすり抜けた女性は、一目散にスペードの方へと走って来た。
「あ、あの! ありがとうございました!」
拳銃を腰のホルスターへとしまったスペードは、女性に柔らかな笑顔を向けた。
「いえ。お怪我は無いですか?」
「はい、大丈夫です! 本当にありがとうございました!」
そう言いスペードにお辞儀をした女性はまるで急いでいるかのようにスペードの横を通り、後ろの民衆の中に消えていった。そんな女性とすれ違う形でヒビキたちはスペードの近くに行く。スペードは女性が去っていった方を見つめていた。
「スペード」
ヒビキに名前を呼ばれたスペードは、ハッとしたような顔をする。
「も、申し訳ございませんヒビキ様、勝手な行動をとってしまい。それに、店の風船も割ってしまって……」
ヒビキはスペードに笑顔を向ける。
「大丈夫だよ。お店の人には後で僕が言っておくし、結果的に女性は助かったから」
「はい。といっても、すぐにどこかへ行ってしまいましたが」
スペードは再度彼女が行った方向を見る。そこにもう、彼女の姿は無い。
「あちらもどうにかなりそうですね」
そう言うジョーカーが見ている方を見ると、さきほどまで地面に座り込んでいた男性が市場の人たちに連れて行かれていた。どうやらここにいる人たちは、相当勇敢な心を持っているようだ。
「良かったねスペード。たまにはやるじゃん」
褒めているのか否か、嫌味のように言うダウト。
「たまにはってなんだ。お前は動くことすらできていなかっただろうが」
「オレはただ、ヒビキ様からの指示を待ってただけだし。お前こそ勝手に動いてるじゃん」
「何もしなかったお前に言われたくないな」
「だからオレは……」
そうしてまた2人の口論が始まってしまった。いつもこの口論を止めているジョーカーは、もう今回は止める気が無いらしく、ため息をついて口論を傍観していた。
「どうしてあの2人はいつも口論をするの?」
そんな時、ヒビキがジョーカーに対してそう問う。
「……ダウトに出来ることがスペードには出来ない。逆に、スペードに出来ることがダウトには出来ない。彼らは、互いに互いの事を妬んでいるんです。だからいつも口論になる」
「どうしたら、2人は口論しなくなる?」
ジョーカーを見ながらヒビキはまた問う。
「彼らが、互いのことを妬むのではなく、尊重し合えるようになったら、少なくとも今よりは口論が減ると思いますよ」
屋敷の執事長として、ジョーカーは使用人たちのことをしっかり見ているようだった。
「なら何をしたら、2人は互いのことを尊重し合えるようになる?」
続け様にヒビキが問うが、今度のジョーカーは首を傾げた。
「さぁ。そればかりは、私にも分かりません」
ジョーカーからの返事を聞いてヒビキは考え込む。すると、今まで黙っていたチェスがある提案をする。
「あの、それなら、ダウトさんとスペードさんを2人きりにすればいいんじゃないですか?」
ヒビキとジョーカーは同時にチェスを見た。
「しかし、ただ2人きりにするだけでは、また口論をしてどちらかが出ていって終わりだと思いますよ」
良い案だ、とジョーカーとヒビキは思ったがこの案にはそういった欠点があった。その欠点を埋めるべくジョーカーは考え、そしてある1つの作戦を思いつく。
「私に良い案があります」
そう言うとヒビキとチェスを手招きし、彼らに耳打ちをした。
「……相変わらず悪魔みたいなことを考えるんだね」
「僕は良い案だと思います!」
ジョーカーの思いついた作戦に笑顔で賛同するチェス。ヒビキもジョーカーに対してぼやきつつも、その案には賛成なようだ。
「でしたら、私は早速手配をしてまいりますね」
そう言ってジョーカーはヒビキに笑顔を向けると、足早に市場の出口の方へと向かった。ジョーカーの姿が見えなくなった後、ヒビキとチェスはいまだに口論し続けているダウトとスペードを見る。彼らの様子に少し肩を落とすヒビキに、チェスは苦笑で答えた。
それから十数分後、ジョーカーが2人のもとへと戻ってきた。
「おかえり。早かったね」
ジョーカーは息ひとつ切らすことなく、ヒビキに笑顔で答える。
「えぇ。予想よりも早く、条件に合う建物を見つけることができましたので」
「よし、作戦開始といこうか」
主の言葉にジョーカーとチェスは頷く。
「ダウト、スペード。そろそろ帰るよ」
ヒビキにそう言われたダウトとスペードは、ずっとしていた口論をようやく止める。
「はーい」
「はい」
同時に発言した2人は顔を合わせ睨み合い、そして顔を背け離れて歩き出した。そのままヒビキたちの横を通りすぎる。
「ここまで、計算通り?」
どんどん先へ歩いて行く2人を見ながら、ヒビキはジョーカーに問う。
「えぇ。あとは、彼らの後ろを歩いて行くだけです」
そう言って笑うジョーカーは市場に来た時とは打って変わって機嫌が良いようだった。そして3人は、ダウトとスペードの後ろをゆっくりと追いかけて行くことにした。
街中を歩く5人は市場を出てからずっと無言だった。先頭を歩くダウトとスペードは一切話そうとせず、ヒビキ、ジョーカー、チェスの3人は作戦に支障が無いようにあるところまでは黙っていることにしていた。
「ダウト、スペード」
突然ジョーカーがダウトとスペードを呼び止める。ジョーカーは自身の横にある、建物と建物の間にある少し暗い路地を指差した。
「こっちに、屋敷に帰るまでの近道があるんです」
作戦が始まっても普段と変わらないジョーカーとヒビキとは別に、チェスは少しヒヤヒヤしているようだ。
「へぇ、そんな道があったんですね。じゃあそっちに行きましょ。オレ、早く帰りたいし」
ダウトは何の疑いもなくジョーカーが示した路地へと進んでいった。
「そんなところに近道が……?」
一方のスペードは若干疑っているようだったが、自分が尊敬しているジョーカーの言葉を疑うのはよくないと思い、ダウトより少し後に路地へと進んでいった。ちなみにジョーカーの言葉は嘘であり、ここでジョーカーが言ったのも彼の作戦の一部である。そしてその作戦を成功させるためにジョーカーが先に路地に入り、その後にヒビキとチェスが入って行った。
路地を少し進んだ時、ダウトが口を開いた。
「なーんかここ、薄気味悪いね」
陽の光があまり届かないこの路地は、お昼過ぎであるにも関わらず少し暗かった。それでもダウトとスペードは奥へと進んでいく。そんな2人にジョーカーは気配を殺し、ゆっくりと近付いた。そして自身の手が届くところまで行くと、素早く手刀で2人を同時に気絶させた。それにより意識が無くなったダウトとスペードは、そのまま地面に倒れる。
「チェス、2人を運ぶのを手伝ってくださいね。1人で2人を運ぶのは少々億劫ですので」
そう笑顔で言うジョーカーは、実はこの状況を楽しんでいるのかもしれない。
「あ、あの、本当に僕に出来るでしょうか……?」
徐々にこの状況を不安を感じて始めているチェスは、困ったような顔をしている。
「やってもらわないと困ります」
ジョーカーの言葉にチェスは自分の使命を果たさねばと責任感を感じ、ジョーカーと共にダウトとスペードを作戦の場所まで運ぶことにした。ヒビキもジョーカーとチェスの後に続く。
「……ウト、ダウト!」
スペードの呼ぶ声で、ダウトは目を覚ます。
「……スペード?」
目覚めたばかりのダウトはこの状況に混乱しているよう。しかしそれは、彼よりも早く目が覚めていたスペードも同じであった。
「ここ、どこ?」
「さぁな。こっちが聞きたい」
2人がいる部屋はどうやら物置部屋のようで、部屋の奥には木箱や布など色んな物が散乱している。火の点いたランタンが2つ置いてあったが、それでも部屋の中は少し暗い。
「……ヤバい、頭が混乱してる。えっと、確かヒビキ様たちと一緒に、ジョーカーさんが教えてくれた近道を通ってて、それで」
頭を押さえながら、ダウトは必死に記憶を呼び覚ます。
「気付いたらここに、だろ」
最後をスペードが捕捉する。
「そう。他の皆は?」
「ここにはいない」
スペードはいち早くこの状況を冷静に対処する。
「じゃあ何。オレらひょっとして、誘拐されたってこと?」
「……分からない。ともかく、俺たちが今優先すべきことはヒビキ様を見つけることだ」
「分かってるよ。オレに指図しないでよね」
ダウトの言葉にスペードはムッとした顔をする。
「別に指図したわけじゃない」
「じゃあもっと言葉遣いに気を付けたらー?」
ここでも2人は相変わらずの口論を始める。
「ダウトにだけは言われたくないな」
「オレだってスペードには……」
そこでダウトは言い返すのをやめ、無言になった。そんなダウトをスペードは少し見るが、すぐに目を逸らす。
「……バカみたい。こんな時まで言い合ってさ」
とても小さなダウトのその言葉は、スペードには聞こえなかったようだ。
「? 何か言ったか?」
「いーや別に? とりあえずさ、部屋の中見てみない? 座ってたって意味ないし」
スペードはさきほどのダウトの様子が少し気になるようだったが、部屋の中を見るという彼の案には賛成なため、2人で部屋の中を分担して散策することにした。散策を始めてから少ししてダウトは口を開く。
「思ったんだけどさ、ジョーカーさんに騙されたって可能性はない?」
ダウトの発言を聞いてスペードは怒る。
「そんなわけないだろ。ジョーカーさんがそんなことをするはずはない」
ジョーカーを慕うスペードにとってジョーカーに騙された、というのは考えたくないものであった。たとえそれが、真実であっても。
「分かんないだろそんなこと。そうやって、いつまでもジョーカーさんに心酔するのはやめなよ」
「じゃあお前は、ジョーカーさんのことを信じてないって言うのか!」
カッとなったスペードは、今にも殴りかかりそうな勢いでそう言う。
「誰もそんなこと言ってないでしょ。ジョーカーさんのことは信じてるよ。いつもカッコいいって思ってるし、憧れてるし。でもさ、だからってあの人がやってないとは言えないでしょ。オレらは、ジョーカーさんのこと何も知らないじゃん」
「……」
ダウトの言葉を聞いて何も言えなくなったスペードをよそに、ダウトは話し続ける。
「それに、お前いっつも自分の意見しか尊重しないじゃんか。今日だってそうだよ。結果的には良かったかもしれないけどさ、自分勝手に動いたのは事実でしょ」
そこでダウトが顔を落とす。
「……まぁでも、それはオレも同じだよね」
ダウトの言葉にスペードは驚く。普段は明るい性格のダウトが今のように影を落としているところを見るのはこれが初めてであった。しばらくの沈黙の後、今度はスペードが話し始める。
「……俺はきっと、ジョーカーさんになりたかったんだ。何でもこなせるあの人に。俺は器用じゃない。なんでもは出来ないし、全部を上手くやれる自信も無い。そういうふうに教育されてきたはずなのに、俺は天才にはなれなかった」
そこでスペードは言葉に詰まる。そしてまた、静寂が訪れる。いつもなら口論になるはずの2人が、今は違った。
「……そういえば」
スペードはダウトに近寄り、彼にクリップを2つ渡す。
「何これ」
「見ての通りだ、さっき見つけた。お前なら出来るだろ、ピッキング」
突然のことにダウトは少し混乱するが、スペードはいたって真剣だった。
「……やってみるよ」
スペードの真っ直ぐな目に少し圧倒されつつダウトは部屋の扉に近付いて、クリップを変形させ作業にとりかかった。
「オレは、生きるのに精一杯でさ」
作業をしながらダウトが話し始める。
「そんな時にトウヤ様に拾われて。生まれて初めてだったんだ、自分のことを見てもらえたのはさ。だから嬉しかった、この人の役に立ちたいと思った」
ヒビキの父親であり、クライト家の2代前の当主であるトウヤとの過去を振り返るダウトは、気のせいか涙ぐんでいるように見える。
「……トウヤ様が亡くなってから、オレ、どうしたらいいか分かんなくて、ずっと自分がやりたいようにしてた。多分今もそうなんだよね。でもさ、自分がやりたいようにするのと、自分らしく生きるのは、全然違うんだよ。言葉は似てるけどね」
そこで一呼吸置く。
「今はヒビキ様がいる。オレらのやるべきことは、あの人を命に代えても守ること」
そして同時に扉が開いた。
「だから、これからもよろしく。スペード」
面と向かってその言葉を言うのは簡単なことではない。けれど、今の2人にはそれが出来た。
「……いいとこ取りしやがって」
スペードは笑う。
「あぁ、お互い様だ」
そうしてダウトとスペードは、並んで外に出た。
扉の奥には階段があり、2人は自分たちが地下にいたことを知る。なぜか没収されなかった拳銃と投げナイフをそれぞれ構え、慎重に階段を登っていく。そうして少しだけ登った先にドアがあった。2人は顔を見合わせ頷き、スペードがドアノブに手をかける。そして勢いよくドアを開け、その先に銃を向ける。
「ん、やっと来た。お疲れさん、2人とも」
そこでダウトとスペードが見たのは何も無い小さい部屋でイスをこちらに向け、頬づえをしながら彼らを見る"もう1人の"チェスだった。その時、2人はヒビキたちに騙されたことを知るのだった。
「ホント! 酷い! やることが! ホントに!」
彼らが今いる場所は少し高い廃墟のような建物でダウトとスペードが地下から出てきた後、チェスが外にいたヒビキとジョーカーを呼び合流した途端、ダウトは叫び出した。いつの間にか、外は夕焼け空になっている。
「なんか! 色々! 口走っちゃったし! 心配して損した……」
肩を落とすダウト。
「確かに、火の点けられたランタンが置いてあったり、拳銃やナイフが取られてなかったり、少し妙だなとは思っていたが……」
スペードも同様に肩を落とした。
「しかも、まさかこれを立案したのがジョーカーさんだなんて……ダウトの予想が当たってしまった……」
「俺とヒビキ様は巻き込まれただけだからな」
チェスは苦言を呈する。
「チェスだって! オレらが上がってきたとき! 楽しそうにしてたじゃんか!」
「いやだって、あの騙されたって分かったときの2人の顔が面白くて。つか言っとくけど、俺、一応お前らより年上だから」
肩を落としていた2人に衝撃が走る。
「ウソ! 絶対年下だと思ってた! 人格が変わったら年上になるとかじゃない……ですよね?」
「そんなわけないだろ」
チェスは二重人格者であり、屋敷内ではチェスの二重人格に関する話をするのはタブーとされているが、当の本人は全く気にしていないらしい。
「ヒビキ様、ジョーカーさん、知ってました?」
信じられないダウトはヒビキとジョーカーに問うてみる。
「うん」
「えぇ」
2人に即答されて、再び肩を落とすダウト。
「……ダウト、もういい。この人たちに付き合ったら駄目だ」
もう考えることを諦めたスペードは、肩を落としつつも至って冷静である。
「……はぁ、早く帰りたい」
そう言いながら、ダウトはとぼとぼ歩き出した。その後をスペードがついていく。そして2人は玄関から出て行った。
「これでいいのか、執事長?」
チェスが腕組みをしながらジョーカーを見る。
「えぇ。どうやら、2人とも多少は変わることができたようですし。作戦成功と言っても、まぁよいでしょう」
ジョーカーはさきほどのダウトとスペードのやり取りを見て、2人が変わったことを確信していた。
「では、私たちも帰りましょうか」
笑顔でヒビキをみるジョーカー。ヒビキもまた、ジョーカーと同じものを感じていた。
「うん」
そして、ヒビキ、ジョーカー、チェスも玄関から外へ出る。3人の少し前を歩くダウトとスペードを、沈みかける太陽が明るく照らしていた。
再度皆さんこんばんは、星月夢夜です。
初回である今回はベグのお話です。
というよりかは、ほぼダウトとスペードのお話です。
友情というものはやはり素晴らしいですね。
ヒビキや使用人たちが抱える過去とは。
そして、これから向き合わなければならない未来とは。
これから徐々に明らかになっていくことでしょう。
それでは、いつもお世話してくれる家族と
インスピレーション提供の友達に感謝しつつ
後書きとさせていたただきます。
星月夢夜