MIRAGE(1)
一夜明け、街の官憲やワーカーズに聴取された。
宿に押し寄せてきた時は何事かと思ったが、怪我の事を考慮してくれたらしい。
結論から言うと、「私達だけは」この件は不問となった。
というのもラフティや私はあくまで誰も殺していないが、あのクラリスとかいう自称斥候は別だ。
命の恩人ではあるし、襲ってきた奴らも人殺しを厭わない犯罪者集団ではあったものの、わずか二日の間に多数を殺害した事実について看過される事はなかったようだ。
どういった罪に問われるかは聞かされていないが、もう会えないなら直接お礼は言いたかった。
「怖い人だったけど、最後にお礼くらいは言うべきだったよなぁ」
「………………」
「収容所に行けば会えるかな……でもこの街には無いし、今頃移送されてるだろうな」
「………ねえ」
「ん?なんだラフティ、あの人の行き先知ってるのか?」
「言いたい事山程あるんだけどさぁ!アンタなんでもう歩いてるわけ!?」
そりゃあ、依頼斡旋所に向かう所なんだから当たり前だろう。
そう返事をすると、そういう意味じゃない、また傷口が開いたらどうするの、等々がなりたてる。
なんともまぁ、ラフティらしい不器用な心配の仕方だなと思うと可愛らしくもあった。
頭を撫でてやると、気に触ったのか怪我のあった所を叩かれる。
「いてっ、何するんだ」
「ほらやっぱり痛いんじゃない!やせ我慢して仕事しようとするんじゃないわよ!」
「いやぁ今のは叩かれたから反射で言っただけで……怪我はほとんど治ったぞ」
「見え透いた嘘つかないの!アンタ精霊術効かないし、そんなすぐ治るわけないでしょ!!」
証拠が無いと納得出来ない様子だったので、一応巻いておいただけの包帯を外す。
脚の傷は既に塞がっていて、後は軽いかさぶたを残すだけである。
ついでなのでそのかさぶたも取ってみると、赤みがかった皮膚が顔を出した。
さてこれで信じてくれたかと顔を見れば、信じられない物を見たと明らかにドン引きしている。
「嘘でしょ……確か貫通してたんじゃ…………」
「まぁ、外見は人間と変わらないくらい血は薄くても一応龍の端くれだからな。鱗は貰えなかったけど、頑丈さが取り柄ってのはこういうことだよ」
「………………こわ……」
「今までで一番傷付いたぞお前!?」
あまりの態度にぎゃあぎゃあと言い合っていると、突然ラフティが静かになった。
突然怒ったり、すぐしおれたり、相変わらず情緒が不安定だ。
今度は何だと見守っていると、ややあって真面目な口調で語りだした。
「あのさ。なんでわたしにそこまでしてくれるの?」
「何だよいきなり。お子様扱いは嫌か?」
「真面目に訊いてるの。……わたし達、会ってまだ三日経つか経たないかくらいの関係だよ。保証者になってくれたこともそうだけど、昨日だって死んでたかもしれないのにわたしの事庇ってさ。……おかしいよ、そんなの」
「……私の事が信じられないなら、それでも──」
「そういう事言ってるんじゃない!……ううん、今の言葉だってそうだよ!なんでそこまで自分のことかなぐり捨ててるわけ!?イルミナにだって、何か目的があってこんな所に居るんでしょ!?それなのに、会ったばっかりの相手のために命捨てるような事してさ……何考えてるか分かんないし、重すぎるよ」
別に、深い考えや確固たる信念があって人助けをしてるわけではない。
確かに今回の件、私自身冷静に考えても会ったばかりの相手を命がけで助けるなんてどうかしてる。
ただ、怖かった。人から疎まれるのが、無視されるのが、非難されるのが。
必要とされたかった。でも私はそうじゃなかったから故郷を飛び出した。
母にだけは必要だと言ってほしかったけど、それすらも叶わなかった。
だから、こんな事をしているのかもしれない。
情けない過去を少し思い出して、でもそんな個人的な事をラフティには言えなかった。
「……重い、か。確かにそうだな……」
「あっ……ご、ごめん。イルミナが居なきゃわたしだってユグドラに帰ってただろうし、あんまり強く言っちゃいけないのは分かってる、けど。……でも、もっと自分の事を大事にしてよ。死んだらどうするのよ……」
「……ごめん」
「謝ってほしいわけじゃ……あぁ、もう……」
それ以降、会話はぷっつり途切れた。
まだ何か言いたげにしているが、伏し目がちにこちらを伺うだけで何も言わなかった。
そんな陰鬱な雰囲気なまま、依頼斡旋所に到着してしまった。
今日の仕事は気が重いなと扉を開けて、私達はその場で固まった。
居ないはずの人間が笑顔で出迎えてきたからだ。
服装こそ違えど、絵に描いたような白い肌と顔立ちに、金髪、鮮やかな碧眼。そして、背中にはあの見慣れない滑車付きの大弓。
見間違えるはずもない。
収容所に送られたと思っていた、クラリス=シルベストリが目の前に居た。
「あら、お二人共随分と遅かったですね!官憲どもにそこまで時間を取られてしまいましたか?」
「なっ……お、お前、な、なんで……」
「む!お前とは随分な呼び方ですね、イルミナ。これでも私、18歳で年上なんですから」
「え、あぁ……?その、悪かった、です……っていやそうじゃないだろ!なんでここに居るんだよクラリス!?連行されたんじゃなかったのか!?」
「人聞きの悪い事を大声で言わないでくださいませんか?私、悪い事は何もしておりませんので」
満面の笑みでそう答える彼女を見て、急速に昨日の恐怖が戻ってきた気がした。
どう考えてもおかしい。事情込みとはいえ殺人を不問にされるなど尋常ではない。
突然の事に思わずラフティの方を見ると、またも信じられない物を見たとドン引きしていた。
まぁ、うん。自分もドン引きしてるわけだけど。
「アンタ、どうやって言いくるめたわけ……?ありえないでしょ、こんなの……」
「あらあら、ラフティも随分と言葉遣いがなっていませんね。年上はさん付けで呼びましょうね?」
「ご、誤魔化してんじゃないわよ!!何人も殺しといて平気な顔してさ、どういう神経してんの!?大体今ここに居るのだって、どうせ逃げてきたんでしょ!?今から官憲を呼んでくるから──」
「粋がるのは結構ですが。仮に、私が本当に怖い相手だったとしたら、今の言葉をどう受け取ると思いますか?」
一段トーンの下がったその言葉で、ラフティの言葉はピタリと止まった。
仮に、などではない。今目の前に居る相手は、笑顔を崩さず人を殺せるのだから。
私も言葉を失っていると、クラリスはまたにっこりと笑った。
怖い。
「ふふ、脅かしすぎましたかね。でも安心して下さい、私達はチームなのですから」
「…………え」
「え、じゃありませんよ。……あぁ!まさか昨日の言葉を反故にするおつもりで!?そんな、せっかくお二人が時間を取られている間にと、実入りの良いお仕事を取っておいたのにそんな酷い!」
「い、いや、待て。あの時は確か『チームに入れて欲しい』しか言ってなかっただろ。まだ了承したわけじゃ……」
「えぇー?命の恩人である私の頼みでも聞いてくれないんですか?」
「……それを、言われると…………」
「やったぁ!その言葉は正式に了承して頂いたと受け取って構いませんね?」
ここで無理にこちらの意見を通すと後が怖い事だけは感じて、もう何も言えなかった。
あらゆる意味で押しが強すぎる。
「ちょ、ちょっとイルミナぁ……!わたしイヤだからね!?こんなのと組みたくない!」
「あらぁ、こんなのとは酷いですね。……ラフティーネ?」
「え、は!?いや、な、なっ……なんでッ……わたしの、なまえ……!」
「なんで、でしょうねぇ?」
もうやめろラフティ。こいつには逆らわない方が身のためだぞ。
口にこそ出来なかったが、肩に手をおいて首を振ってやるとラフティにも伝わったようだった。
……諦めろ。
「う、うう……!ぜ、絶対に人前で言わないでよ……!!」
「もうここ人前ですけどね。幸い聞かれてる様子はありませんから、ギリギリセーフでしょうか?」
「…………最悪……」
さっきまで、ラフティと重い会話をしていたのが嘘のようだ。
私の情緒までハチャメチャにされるとは思ってなかったが、ある意味ラッキーだったのか、これからドン底まで落とされるのか。それは分からなかった。
なるようになあれと現実逃避していると、クラリスにおでこを弾かれる。
「ボーッとしてる場合じゃありませんよ。お仕事、しに来たんでしょう?」
「そうだね」
「なんでそんな腑抜けてるんですか。ほらこれ、取れたての遺跡調査依頼です。ラフティにもピッタリのお仕事でしょう?お金もいっぱい貰えますし、イルミナも笑ってくださいよ。せっかくの可愛いお顔が台無しですよ?」
「……そうだね…………」
愛想笑いをしたつもりだったが、引きつった顔しか出なかった。
一体何がピッタリなのか。私でさえまだ知らないラフティの素性でも調べ上げたのだろうか。
もう嫌だ。
私の態度に機嫌を損ねたのか、クラリスは口を尖らせてカウンターに行ってしまった。
そうして居なくなった隙に、ラフティが懇願するような顔で話しかけてくる。
「ね、ねぇイルミナ……本当にあんなのと組むつもりなの?」
「……仕方ないだろ、もう……ここで下手に刺激したって良い結果にはならないぞ」
「こ、頃合い見て置いてく、とか」
「バレた時に私達が針鼠にならなきゃ良いがな……」
ラフティが大げさに頭を抱えるポーズをしているが、頭を抱えたいのはこっちだ。
相手が何を考えてるのか分からなさすぎる。
悪意があるわけでは、多分、なさそうだが、意図が読めない以上恐怖の対象でしかない。
二人で意気消沈していると、すぐに恐怖の対象が戻ってきた。
「イルミナ、もしかして失礼な事考えてません?」
「いや?そんな事は、ないですよ?」
「……。まぁ今は良いでしょう。でも、私にだって言い分がありますから、後でちゃんと聞いてくださいね」
「あっはい、分かりました」
生返事がいたく気に入らなかったのか、軽くほっぺをつねられる。
特別痛いわけではないが、上下に動かされると変な感じだ。
ひとしきり遊んだ後、満足したのかまた笑顔になった。何が楽しいのかは分からないが。
そしてわざとらしい咳払いをし、今度は真面目な口調で話し始める。
「さて、気持ちを切り替えましょうね二人共。これから行く遺跡は、ここ港町から北に20kmほど離れた山中にあります。過去に調査済みの場所ですが、どうやら最近になって子鬼が住み着き始めたようです。またそれと同時に、崩落した箇所から未踏査の深部が発見されたという話もあります。私達はこれらの真偽を確かめる為、証拠となる物を持ち帰るのがお仕事となります」
「……20kmっていうと、一日あれば帰ってこれるくらいか。報酬は?」
「山中ですので、調査や討伐を含めると一応二日は見ておいても良いかもしれませんよ。……そして気になるお賃金は何と、銀貨十枚です!わー!」
「いや怪しくない?それ……なんでそんなに高額なわけ?」
銅貨百枚で銀貨一枚、三食付きの宿に一日泊まると銅貨40枚くらいである。
簡単そうな仕事の割に1ヶ月近く寝泊まり出来る金額なんてのはいくらなんでも高すぎるし、ラフティの疑問は最もだった。
こういった高額依頼は何かしら情報が伏せられているか、あるいは丸きり嘘、騙し討ちという可能性も無くはない。警戒するに越したことはない。
「そんなのは私達の知った事じゃありませんよ。労働者たるもの、仕事をしてお金が貰えればそれで良いのです。もちろん嘘だった時は相応の代償を払わせますが」
「お前が言うと洒落にならないな……」
「うえーん、せっかくチームになったのにイルミナが名前で呼んでくれません。しくしく、悲しいです」
「……そういう態度が怖いんだよ……」
「お、ようやく素で喋ってくれましたね。でも名前で呼んで欲しいのは本当ですよ?会ったばかりで信用ならないのは仕方ありませんが、これからは一緒に仕事をする仲間なんですから。仲良くしましょう?」
ラフティとの関係悪化に、ヤバイ奴の強引な加入。加えて、あからさまに胡散臭い仕事。
次は何が起きるのかと思うと頭が痛くなりそうだが、逃げ場など無い。
クラリスが握手を求めて手を差し出し、それを観念して握り返す。
そうするとまた、彼女は際立って美しい笑顔になるのだった。
怖い。